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2019年3月20日 (水)

【歩く仲間通信 20181225】名古屋・栄に事務所を借りました

みなさん、こんにちは。

ご無沙汰しております。

しばやんこと柴田英知です。不定期発行の「歩く仲間通信」、初めてご覧になる方も多くいらっしゃるかと思いますが、わたくしの近況報告と、みなさんの研究や生活に、ほんの少しでもお役にたてたらと考えて、発信をしております。

基本的には、フェイスブックとブログ、ホームページなどの、しばやんチャンネル(勝手に、いま名付けました^^?)に引っかかっている方にとっては、それほど目新しい話題ではないかもしれませんが、ぜひ、この機会に、フェイスブックの友達申請をしてください。もっと、早く情報を共有できます。

閑話休題。さて、今回は、お題を3点用意しました。

1.オフィスワーカーしばやん

わたくし事ではありますが、2018年12月6日に、名古屋の栄のテレビ塔から徒歩10分ほどのところ(地下鉄久屋大通駅から徒歩5分)に、オフィスを構えました。個人事務所というよりシェアオフィスで、自分の机と椅子の一画と共有の大中小の会議室と、コワーキングスペースがあるという、オフィスビルのテナントになったわけですが、なかなか快適です^^?

まず滝子の名古屋私立大学から桜山駅経由でドアツードアで40分くらい、名古屋市内の主だったスポットもおおむね1時間以内で確実に移動できます。英語で、自営業のことを、Self employedというのですが、オフィスがあると自分が雇われている感があって、なるほど、自分自身が雇い主であり雇われ人であるということは、こういうことなのかと、妙に納得した次第でした。

2.大学院の修了が、半年以上、伸びました。

1の件の直接の原因となったのが、今年こそ、3年目に修士論文を書き上げて修了しようと思っていたのが、まったくの自分の思い込みと勘違いで、来年3月の修了が無理とわかったこと。それが、はっきりしたときは、気が狂いそうに動揺しましたが、よくよく考えれば、100パーセント、自分の落ち度で、誰にもあたりようがないという現実。

仕事だったら絶対にありえないミスだったのですが、これも自分の責任。ほぼ、90パーセントは完成しているので、最後の、一番、重要な部分をきっちりと仕上げて、今の予定では、来年の9月の修了をめざします。

3.So what?とWhy not?

2のことにも関連しますが、開発コンサルタントを辞して、学問の途に転向して、一番、困ったというか悩まされたのが、いわゆる「社会科学的」思考法でした。もう、わたしは、これを機会に、「So what?」思考とは決別しようと思いました。その理由を下記に、説明しましょう。

「So what?」とは、日本語にすると、「それで、それがどうした」という意味なのですが、海外で働いてきた開発コンサルタントの立場からすれば、これは、「それで(何が言いたいんだ)」、「それがどうした(何か意味があるの)」、「(俺様が分かり切ったことを)何をぐたぐた言っているんだ」というニュアンスに、ほぼ100パーセント相手に受け取られます。

誰も(大学の先生すらも)指摘していませんが、この言葉は、非常に、人を馬鹿にした言葉で、開発コンサルタントが、この言葉を、カウンターパートの政府の役人はもとより現地の直接の裨益者である、貧しい人たちに使ったら、一発でアウトです。

自分のオフィスの秘書でもドライバーでもそうですが、こう一言発したら最後、「誰があなた(自分のこと)に話しをするか」と、シカトされるのが、目に見えています。

一方、Why not?は、どうでしょうか。これは、「どうしたの?(何か問題があるの)」、「(何の問題ないから)遠慮せずに話してみなよ」というニュアンスで、次に、「Please come in.(入っておいでよ)」とか「Don't hesitate to say.(遠慮せずに話してみなよ」という言葉が、続きます。

ここまで言えば、みなさん、十分お分かりになると思いますが、特に、社会学者やビジネス界、特に、トヨタのかんばん方式や、5回なぜを繰り返せ、あとJICAなどが世界に売り込んでいる「5S」とか、欧米系の戦略系コンサルタントやビジネスコンサルタントが、重用しているロジカルフレームワークの根本にあるのが、この「So what?」の考え方です。

はっきりいいます。これは、強者の論理であり、正面切って、これをぶつけられた社会的弱者は、ひたすら黙り込むしかありません。なぜなら、「質問者にとって(ここが大事)大切なこと」しか、発言させてもらえないわけですから^^?

以上のような、気づきがわずかこの2か月ぐらいにわたしの身の回りに勃発しました。また、1に戻るのですが、今回、事務所を立ち上げたわけは、自分が、いままで多くの先達と仲間たちから教えてもらったことを、若い世代に還元したい.

もし本気で世界で、海外で自分の夢をかなえたい仲間がいるとしたら、わたしは、その職業のオプションとして、「開発コンサルタント」という生き方や考え方を示したい。これは、大学院で愛知用水の研究をしているという究極の目的も、「開発コンサルタントと地域開発のあるべき姿」を史実から説き起こしたいからにほかなりません。

なかなか、「開発民俗学」への途は、行きつ戻りつですが、我流のそしりを受けないためには、どうしても他流試合が必要となります。

これからも、自分なりに研究活動と、新規事業の人材育成事業の2本柱で、これからがんばっていきたいと決意を新たにしました。みなさま方のご指導とご鞭撻を、引き続き、よろしくお願いいたします。

最後になりますが、よいお年をお迎えください。

2018年12月26日 しばやん こと柴田英知

P.S.
ちょっとというか、かなりの宣伝です^^?

しばやんのプラットフォームです。さまざまなプロジェクトの窓口としての情報発信機能を強化しました。イベントやセミナーは、基本的に、歩く仲間が主宰となります。

FBに掲載した中でも、アーカイブしておきたい重要な記事をこちらに保存しています。今回の修了できなかった事件(事件かよ)や、なぜ「せかブタ」を始めようと思ったのかなどについてもふれています。

繰り返しになりますが、今年も大変お世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。

ではでは^^?

柴田 英知

2018年12月 9日 (日)

コミットするということ-仕事をするのにあたっての決意

このたび、新たに新規事業を立ち上げることにしました。

それは、「世界を舞台に-国際協力キャリア・ナビ」という仕事で、わたしは、ナビゲーターをつとめさせていただこうと思っています。

なぜ、いわゆる「キャリア・コンサルタント」ではないのか。

それには、海のおとこ(ヨットマン)としての読みというか、その経験を踏まえてのネーミングで、詳細は、のちのちに明らかにする予定です。


それはそれとして、その仕事内容について、簡潔に結論からいうと、国際協力に関心がある人たちが、それを仕事として考え始めた時に、その水先案内がしたい。そこに、わたしの個性と経験の全てが生かせるのではないか。

そんなことを、ほんの数日前から考えています。

お前に何ができるのか?と問われた時、今までは適当にお茶を濁していたでしょうが、今のわたしは違います。

これまで、20数年、社会人をしてきて、1992年に初めての仕事が、まったく何の予備知識もなしで飛び込んだ、民間の開発コンサルタントの仕事、結局、ただ単に、世界をマタに仕事をしたいと素朴に思っていた少年は、いつしか50歳の声をきくようになりました。

人生に、もしはあり得ない、しかし、現在、48歳ですが、これまで生きてきて、無駄とまわり道ばかりをしてきたけど、なんだかんだで、好き勝手にやりたいことを経済的にも家庭環境的にも、社会環境的にも、やらせてきてもらった。

特に、開発コンサルタントの仕事は、ほぼ100パーセントが政府開発援助(ODA)の仕事なので、わたしは、16年間、みなさんの税金で、ご飯を食べさせていただき、しかも、開発途上国支援という、おそらく今、世界で一番ホットでおもしろい社会事象のフロントラインで学ばせていただきました。

10年前に、事情で仕事をやめて、実家のある愛知に戻った時にも、この経験や知識を自分だけで死蔵していいのか、昔はよかったという、そしておそらく脚色された武勇伝とともに墓場にもっていってしまっていいのか、ばくぜんと考えたことがありました。

しかしながら、単なる元開発コンサルタントがフリーでやっていけるほど甘い世界ではありません。しかも、開発援助の世界で働いている日本人は、おそらく9割がた、東京に足場を置いていると思います。

開発コンサルタント会社のスタッフという看板がない、世界というより日本の片田舎の自分になにができるのか、その答えをだそうともがきつづけた、この10年であったともいえます。

ともあれ、まったく異業種で、5年はたらいてそれなりに仕事に慣れてきても、地域開発への情熱が捨てられず、退職して、大学院へいこうと思いきや、縁があった国際開発NGOで一年間、スタッフとして働かせていただき、また道に迷い…。そのいきさつを、ざっくりと話しましょう。

ODAでは、あたりまえのことですが、日本政府の調査団員として青パス(正確には、緑色のパスポート)、一時雇用の政府関係者のパスポート(外交官パスポートのような特別なものです)で、親方、日の丸で(まさにそのもの)偉そうに専門家気どり(実際には、開発コンサルタントは間違いなく専門家そのものです。)で、肩で風を切っていた頃が懐かしいというかはずかしいという経験を、NGOでさせていただきました。

今思えばとんでもない話ですが、開発コンサルタントのスタッフの時には、開発途上国の国家元首や大臣、役所のハイレベルスタッフとあたりまえのように会議をするばかりが、“コンサルティング”をしてました。

ただ、それは、客観的にみるまでもなく、青パスのおかげてあり、その国なりを援助する側の人間であるという特権であったことを、自分の能力だと錯覚していた。

本当に、そんなおめでたい仕事ぶりというか、世界認識だったのです。そのことを、まざまざと見せつけられたのが、このわずか一年ですが、国際開発NGOでの仕事でした。

さて、この迷いから、あらためて(大学院での)研究テーマを考えなおして、一旦、受かっていた大学院も入学辞退して、別の大学院を受験しなおしたのが、この5年間の動きです。

まえがきが長くなりました。

ところで、いちばん言いたかったのは、その放浪の過程はともかく、わたしは、他人の人生にコミットしたことがあったかというのが、このエッセイのテーマです。

結局、それをしてこなかった自分に、齢50近くになってようやく気が付いた。しかし、他人の人生にコミットすることなしには、自分の人生にコミットすることにならない。そんなことを考えています。

今度の、事業は、自分の今までの人生経験の全てをかけて本気で取り組みます。

ボランティア(無料)ではやりません。本気で、自分の人生を、国際協力にかけてみたいという、日本中の有志がいるかぎり、全力で、このプロとしての国際協力の世界をナビゲートします。

なので厳しいかもしれませんが、遊びは遊び、コミットすべき仕事は仕事と、けじめをつけた生き方をしていきます。

相手が、その事象を遊びと考えるか、仕事と考えるかは、わたしには関係ないし、そもそもわからない。

しかし、わたしが、そのひとに関わることにより、なんからの結果にコミットするような局面だと、わたしが認識したら、申し訳ありませんが、わたしの都合で、仕事モードに切り替えさせていただきます。

なぜなら、課題や問題にもよりますが、遊びで適当にできることは、しょせん、その程度のことなのです。おそらくわれわれが、本気でタックルしなければならない課題や問題は、まちがいなく仕事としてコミットしないかぎり、相手(課題や問題そのもの)が、われわれを相手にもしてくれない。

わたしは、そんな気がしています。

コミットするということは、結論がでるまでやり抜くこと。結果は結果で成功も失敗もない。

そんな、結果にコミットした仕事をしていきたいと思います。

なお、ちなみに、ライザップの「結果にコミット」というキャッチフレーズを、そのままパクっているようにみえるかもしれませんが、どう思われてもかまいません。

わたしができる、やるべきだと思うこと、そして、なにより、わたしが手伝えることで悩んで迷っている仲間がいれば、わたしの力の全てをつかってナビゲートする。一緒に、この海路のない、荒波を乗り切ろうとコミットできない人は、残念ながら、わたしはその人の船から降りなければなりません。

なぜなら、あなたの船(人生)のキャプテン(船長)はあなた自身であり、わたしは、一介の、たまたま難所を案内するナビゲーターにすぎないからです。

それでも、わたしの能力に不安を感じる人へ。

すでに、わたしは、ふたつの船をナビゲートして結果を出しています。一人は、社会人で全くの異業種から国際協力の世界へキャリアチェンジをしたいと、わたしのホームページをみていきなり電話してきたHくん(男性・20代半ば)。電話だけ(結構長電話)のコンサルティングでしたが、見事、志望の国際協力が学べる大学院に進学し、その経験を活かして社会人として、あらたな道に進まれました。

もう一人は、たまたま国際協力関係のイベントで言葉を交わした現役の大学生のEくん(当時、大学4年生)、そのイベントの後で、あらためて日時をきめて彼の進路相談にのりました。彼なりに、就職先や仕事観をもっていましたが、学部と国際協力のボランティアの経験では、開発コンサルタントの仕事は難しいとあきらめていたようですが、わたしが業界のことを説明し、さまざまなアクターとその仕事内容の生情報(これが大切です。本には書いていない裏の裏まで知っています^^?)を語りました。

その後、ずっと連絡がなかったのですがSNSでひょんなきっかけで綱かったときに、その後、開発コンサルタント会社に就職したという喜びの声をききました。

確かに、今のところ、わずか2件の経験でしかありません。正直、私の一言で、他人の人生を変えてしまうかもしれない。うまく、本人も納得して、本人が望んだ方向に進んだからよかった、たまたまうまくいったケースなのかのしれない。

でも、これは偶然でもラッキーでもありません。本人も、本気で何かをしたいと思った。その判断のために必要な情報を、わたしが持っていて、わたしも本気で、かれらの人生のことを真剣に考えてアドバイスした。

そう、必然の結果ですし、ほぼ100パーセントの成功しかない事業だと思います。

わたしのいままでの経験や、開発援助の現場で、なにをみてなにを考え、なにに失敗してきたのか、はたまた、なにか新しいイノベーションをおこすことができたのか、については、すでにおそらく何千万文字以上も、ホームページやブログに、すべて無料でリンクフリーで、2000年からずっと公開しています。

このウェブという公共空間にだせない情報がいくらでもあることは、みなさん、想像に難くないと思いますが、わたしが、仕事としてナビゲートするからには、海図(ウェブページ)にのっていないベテランしかわからない秘密の暗誦や、もしかしたら、宝島の宝の隠し場所を教えてあげれるかもしれない。

あなたが、本気でコミットするかぎり、わたしも、とことん、コミットし続けます。倍返しどころか、10倍くらい?は、ちょっと盛りすぎですが、あなたが思う以上の情報を提供します。むろん、わたしの得意でない分野もありますが、そのときは、一緒に勉強しましょう。おそらく、しばやんネットワークで、ほとんどの分野への対応が可能だと思いますが^^?

ということで、今回のテーマは、「コミット」についてでした。
仕事としてやるかぎり、100パーセント以上のコミットを、わたしもしますし、お客様である船長さんにも求めます。

では、これからも、よろしくお願いいたします。

2018年12月 7日 (金)

FB公開グループ クロスロード・オブ・ハッピネスのご紹介

みなさん、こんにちは。

久しぶりにブログをアップさせていただきます。

このブログは、しばやんこと、柴田英知の(国際)開発コンサルタントとしての経験をシェアする目的で運営しているのですが、いかんせん、情報の流れが一方通行となってしまいがちです。

その欠点を補うために、facebookにて、グループ活動を、数年前から運営しております。

その案内文を、このたびアップデートしましたので、もしフェイスブックをやっていらっしゃる方で、まだ、こちらのグループを知らない方がいらっしゃいましたら、ぜひ、グループメンバーになってください。

公開グループなので、フェイスブックをやっていなくても、どなたでも自由にみることができます。

では、よろしくお願いいたします^^?

――――――――――――――――――


国際協力や地域づくりに関心のある方はどなたでも参加できる公開グループです。ただし、しばやんの友達であることがメンバーの条件となりますので、そうでない方は、まずしばやん(柴田英知)に友達申請のメッセをお願いいたします。

<初めてグループに参加される方へ>

まず、このグループの母体となったミクシイというSNSにおける活動を紹介させていただきます。


mixiというソーシャルネットワークの中で、「開発民俗学」のコミュニティを、2007年08月12日から運用しています。メンバー数は、約200名です。

このコミュニティに参加している方は、社会学、文化人類学、民俗学系の学問を修めていてかつ開発に関心のある大学生、大学院生、研究者が多かったと思います。もちろん、開発コンサルタントの方も参加しています。

ところが、フェイスブック(FB)が流行りだして、mixiのコミュニティ活動が休止状態になってしまいました。

ここでは、「しあわせ」をキーサードに、地域と開発を考える一緒に考えるきっかけとなるようなネタを振っていきたいと思います。

当然、世の中、いろいろな人がいらっしゃいます。生まれも育ちも違います。主義主張も違うことでしょう。

しかし、このグループの運営母体の「歩く仲間」は完全にオープンな活動をめざしています。


「最後に、なぜ“歩く仲間”としたのか。たまたま同じ方向に行く人がいれば、しばし一緒に歩いてみたらという、一期一会のつながりを大切にしたいという意図があります。逆にいえば、決して“の会”というような、閉じたものになってはならない、そんか自戒を込めての命名です。」

ということで、お気軽に参加いただけたらと思います。

では、引き続き、よろしくお願いいたします。

なお、イベントやセミナー情報はこちらのブログに掲載しています。


ではでは^^?

P.S.

その他の開発に関するしばやんのホームページやブログはこちらです。

歩く仲間 HP版  目次(コンテンツ)はこちら


こちらは、遊びのブログです。最後のは、ギャップに驚かれます^^?



ではでは^^?

2018年5月 6日 (日)

【今日の世界をより楽しく生きるために(その2)】


みなさん、こんにちは。

今年のゴールデンウィークも、いよいよ最終日ですね。いかがお過ごしですか。

第二回目のお題目は、こちらです。

(第2回)「(人の話は)半分に聞こう」

これは、別にわたしのオリジナルではなく、開発コンサルタントの先輩に教えていただいた(いわれた)言葉ですが、たぶん25歳くらいでしょうか。とある方から、飲み会か何かのインフォーマルな席でいわれました。

まあ、なんということもない言葉ですが、わたしは結構、気になっていて、自分でもいつしか、たぶん、30歳くらいから特に若い人と話すときにつかうようになりました。

さて、その心はなにか。わたしがこの言葉を使うときは、ちょっと説教が入るときとか自分の経験を語ろうとするときには、必ず前置きとしていうように意識しています。

わたしが、この言葉でいわんとすることは、過度の経験至上主義みたいなものを自分にも相手にも戒める意味があります。われわれ開発コンサルタントは、特に開発途上国でかなり特殊な個人的な経験をもっています。それは一般的なものもありますが、かなり特殊な経験ももちろんあります。

ただ、それはあくまで個人的な経験であり、それが全てではないし、その特殊をもって一般論を語ることはできないし、その経験そのものに価値を与えることは危険ですし、鼻持ちならない自慢に聞こえるのかもしれません。

また、語る人にとっての意味と聞く人にとっての意味は、当然違うこともあるでしょう。ただ、経験なり考えを語るということは、語る人にとっての意味を聞く人にもわかってもらいたい。同意してもらいたいという気持ちはあると思います。

ただ、そのような場合でも、あくまで語られた人、聞く人が考える余地、判断する余地を大切にしたいとわたしは思います。

経験が全てではない、でもせっかく経験なり情報や考えをわざわざシェアしてくれる人がいるのなら、その語りを100パーセントでもなく0パーセントでもなく、せめて半分くらいはまじめに聞こうよというのが、わたしの本位です。

確かにすごい先輩や上司の言葉は、かなり迫力があって、人によっては、100パーセント自分が正しいんだとか、100パーセントこうせよと強いる人がいないわけでもありません。しかし、逆にあきらかに間違っているとか矛盾しているよということもあるとは思います。

これは、権威や力に対して、盲目的に従うなという意味でもあるし、どんなくだらないことや間違いからも学ぶべきことがあるということでもあります。

そして、その判断は、聞く人にゆだねたい。過度に委縮することなく、一つの「話」として聞けることは聞いたうえで、自分のものにできるのであれば、その価値や自分が判断する。そのようなことを促すために、この言葉をつかってきたような気がします。

これは、相手にいうのと同時に自分が人の話をきくときにも、常に意識していることです。

この連載も、この言葉を頭において聞いていただけますとさいわいです。

ではでは^^?

2018年4月30日 (月)

【今日の世界をより楽しく生きるために(その1)】


みなさん、こんにちは。

なんとなくこのグループの投稿がただ仲間(これは事実ですが)のイベントを紹介するだけのシェアオンリーみたいになってしまって、単なる情報グループになってしまっているのではないかという自己反省から、もう少し「闘う知識人」のグループとしてのアイデンティティを前面に出すことにしました。

テーマと構成は、このグループの主宰者のしばやんが、不定期に、ワンテーマで読切の記事を書きます。それを基にみなさんで議論を深めようという企画です。

まず、第一回目のお題目は、こちらです。

(第1回)「知は力なり、ただしそれは開かれたものでなければならない。 by 柴田英知 1991」

実は、この言葉は、もう大学生の頃からですから、もう20年近く唱え続けていることなので、人によってはもう聞き飽きたという方もいるかもしれません。
ですが、そもそも私が外部に向けて文章を書くのは、この言葉にこだわり、かつ、ここにしか自己の存在理由を見出すことができないからでもあります。

すでにお察しのとおり、「知」とは、単なる「情報」以上の、かなり広いものを指しています。例えば科学技術なども含まれるでしょうし、もっと身近には自分や知人の醜聞みたいな極めて個人的な「恥ずかしい」ことも含まれましょう。

わたしが思うのは、その「知」そのものが力であり、例えば、特定の権力者が他の誰もが持てない権利や力を持つ、卑俗的には、人の弱みを握ることにより、その知を(暴)力に変えてしまう、いわゆるハラスメントというのも個人や団体間での「知」と「力」をめぐるせめぎあいです。

ここでいきなり「正義」論に話を飛躍させることはしませんが、上の言葉には、「力である知」は、そもそも誰のものであり何のために存在するのかという問いが隠されています。

わたしは「知」や「力」に、そもそも正義や倫理を求めていません。なぜならそれらは、それが置かれた状況によって正義にも悪にもどちらにもなりうるからです。

せめての願いは、だれもがその「知」や「力」にアクセス可能なものであってほしい。

わたしは、ヒエラルキーの存在を否定はしませんが、いわゆるサミット主義には反対です。世界賢人会議とか特定のエリートや賢いとされる人々にわれわれの生をゆだねることに断固反対します。ギリシアの賢人は、衆愚政治を呪ったそうですが、わたしは「衆愚」の知恵の方が、一部の「賢者」の知恵にまさると信じています。

前書きで、「闘う知識人」と書きながら、自分の中でも失笑していました*。なんらかの力を持つものは、それに応じた社会的な責任を果たすことが求められています。

それは、その「知」や「力」を、「自分の考え」で使うのではなく、それをかみ砕いて自分以外の人びとや社会に開いたものにしていく、その中で、みなが考えるための材料として提供することにより、みずからの「自分の考え」をより世の中にとって意味のあるものにしていく、それが、「知識人」が「闘う」ということの意味だと思います。

ものの原義は知りませんが、私の立場からすれば「知識人」が時の権力なりと「闘う」という意味ではなく、「知識人」が自分のエゴやプライドと「闘う」ことにより、「知」や「力」をもった一部のエリートの中での主導権争いをするのではなく、独占されていた(いる)知を開いたものにすることにより、本当の意味における「人びとの闘い」につなげていく。

これは「知」や「力」を、だれの側にもっていくのか、いや、そもそも「知」や「力」は、だれのものかという命題につながっています。

そんな青臭いことをひたすらに考えて実践していく。そんなことを常に考えながら生きています。

ではでは^^?
*しばやんは、こんな偉そうなことをいいつつ、自分を「知識人」の側におくことに何のてらいもないのかといわれたら、身も蓋もありませんが、客観的にみれば、どうみたって私は「知識人」の側にいる、比較的自由に「知」にアクセスできる立場にいることは間違いがありません。このアクセス可能であるということは、いろいろな含意があります。言葉の問題やアクセスすること自体に何の制限も今のところは課せられていないことなど、今の時点に限っていえば、世の「知識人」といわれる人たちと何の遜色もない「めぐまれた立場」であることは事実であり、それを隠したり偽る意味はないと考えています。

柴田 英知

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