開発‘民俗’学を語るからには
ということで、最近、柳田國男の研究を始めています。
もともと学説史は好きで、学界で誰が何をやっているかについて常にウオッチしている(大学で学んだアラビア・イスラーム研究の頃から)つもりなのですが、この‘民俗学’の世界も奥が深い。今までに読んだ主な概説書や学説史は以下のとおり。
1. AERA MOOK 『民俗学がわかる。』 朝日新聞社 1997
2. 小松和彦+関一敏編 『新しい民俗学へ 野の学問のためのレッスン26』 せりか書房 2002
3. 上野和男、高桑守史、野村純一、福田アジオ、宮田登編 『民俗研究ハンドブック』 吉川弘文館 1978
今、3をひいゆう言いながら読んでいるのですが、これが実におもしろい。要は研究分野ごとの研究解題と文献案内なのですが、1978年当時とはいえ、純粋な「柳田」民俗学の後継者たちが執筆しているだけあって、非常に内容が濃いです。
また、結局、日本の「民俗学」を語るには、「柳田國男」理解が必要不可欠であることも、改めて実感しました。
ところで、3月15日~18日まで一時帰国していたのですが、ここでおもしろい柳田國男本を発見。
4.福田アジオ 『民俗学者 柳田国男』 神奈川大学評論ブックレット 御茶の水書房 2000
一口コメント: 非常に簡潔に柳田國男の業績と時代背景がまとめてあると思います。業績というか彼の「考え方」を身近な直系の弟子筋の方が語っているので、國男の内面にまで突っ込んだ記述がほろりと見られます。また日本の民俗学の流れも、さらりと触れています。
わずか66ページのブックレットですが、結構内容は濃いと思います。でも逆に、ちょっと割高な感じが^^?
5. 中尾文隆/平成柳田国男研究会編著 『ポケット解説 柳田国男の民俗学がわかる本 逆立した柳田像を重層的に検証する!』 秀和システム 2007
4は、まさにお弟子さんというか日本の民俗学界の重鎮、5はありがちなアンチョコ本と思いきや、まじめな柳田論、特にその思想と歴史背景というか周辺状況にも目を配った概説書です。
ところで、4のブックレットから、一点、引用させてください。福田氏いわく、
「次に(柳田国男の)二番目の特色ですが、彼は経世済民ということを出張しました。現在柳田国男を研究する人たちは、柳田国男の学問の特色を経世済民という言葉で捉えています。しかし柳田国男自身はこの経世済民という四つの漢字で自分の学問を説明しませんでした。普通には「世のため人のため」という言い方をしました。あるいは学問救世と説明しました。・・・ とにかく柳田国男は自分の学問は世のため人のためにする学問だということを言いました。言い換えれば実際の社会で要求していること、あるいは社会で起っていることを解明することを民俗学の使命としたわけです。」 上掲書(4) 15ページ
まさに、私が、大学時代に漠然と感じた「知は力なり、ただしそれは開かれたものでなくてはならない(1991)」ということと同じことをいっています。
知識や学問は人を傷つけたり貶めるものではありません。やはり人や世の中の役に立つものであってほしい。
そもそも日本の「民俗学」が「世のため人のため」のものであると創始者自身が語っていたことを知って、この「開発民俗学」を提唱する意を強くしました。
P.S.
趣味の学問ですが、学界のルールには従うものとします。これは、鶴見良行氏が「裸足の研究者」でありながら、学界のルールにこだわったことは本人も、また周りの人も等しく認めているところです。
鶴見良行 『東南アジアを知る-私の方法-』 岩波新書 1995
アジア太平洋資料センター[編] 『鶴見良行の国境の越え方』 月間オルタ増刊号 アジア太平洋資料センター 1999
でも、また鶴見さん自身も志を大切にした人であったことを思い出しました。ジャーナリストの鎌田慧もそうだよな。私も自分のやっていることの方向性が間違っていないことを改めて実感しています。
あと蛇足ですが、柳田国男、宮本常一、鶴見良行の誰もが、本格的には30歳を超えてから、それぞれの学問的なキャリアを独学でつくりあげています。柳田氏が、『後狩詞記』を出したのが35歳、宮本氏が『周防大島を中心としたる海の生活誌』をアチック・ミューゼアムから出版したのが29歳、ただし彼が研究生活を始めたのはアチックに入った32歳。鶴見氏が初の論文集『反権力の思想と行動』を刊行したのが、44歳のとき。
これを考えたら、しばやんも全然OKじゃんという気がします(何が?)。
並べるのもおこがましいですが^^?
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