岡田斗司夫 『ぼくたちの洗脳社会』
パラダイム論の最高傑作。おそるべし、オタキング。
岡田斗司夫 『ぼくたちの洗脳社会』 朝日新聞社 朝日文庫 1998(単行本は、1995)
お勧め度: ★★★★★、 ジャンル: パラダイム論
少し古くなってしまったが、この本を読まずしてパラダイム論を語るなかれ。確か、2000年ごろたまたま図書館で借りて読んで、のぞけそった覚えがある本である。(すぐ購入しようとしたが、なかなか手に入らなかった記憶がある。)
著者は1958年生まれ、アニメやコンピューターゲームのプロデューサー・社長、俗にいうオタク文化の情報発信者。1992年の東京大学教養学部オタク文化論ゼミの非常勤講師など、‘オタク学’のオーソリティーというか、知る人ぞ知るすごい人なのである。‘トンデモ本’というジャンルを一躍有名にしすめたドンデモ学会の創設メンバーの一人でもあると思う。
この本を一言で説明すると「アルビン・トフラーの『第3の波』(1980年)と境屋太一の『知価革命-工業社会が終わる 知価社会が始まる』(1985年)を敷衍して、‘新しい’パラダイム論を展開した」ところにあると思う。
つまり、戦後世代のパラダイム=21世紀のパラダイムを先取りしたとでもいおうか。特に、パラダイムの考え方とその説明、今まで支配的であった旧世代の考え方を『トフラー・境屋タイプ』、『私たち=若者を中心に広がりつつある価値観』(=戦後世代、私がいうところの1955年以降生まれの世代 しばやん補足)という2つの価値観を仮に設定し、今までとこれからのパラダイムを考えてみるというものである。
トフラーのいう、第一の波(農業革命)、第2の波(産業革命)、第三の波(情報革命)の特に、第三の波について、それは、第2の波である産業革命によって形作られたパラダイム、たとえば、「自由競争」「民主主義」とかニュートン力学などによって代表されるパラダイムでは読み解くことができないことを、境屋の「豊かなものをたくさん使うことは格好よく、不足しているものを大切にすることは美しいと感じる、人間のやさしい情知」というキーワードで読み解くという試みである。
ちなみに、岡田は、「高度情報化社会」を「洗脳化社会」と読み解きます。
うーん、ここまで書いてきて、非常に解説が難しいことに気がつきました。一言、非常にわかりやすい本です。ぜひ原本にふれてみてください。
自分の立っているこの‘世界’が決してひとつの世界ではなく、常に新しい‘パラダイム’によって解釈しなおされてきた、きわめて恣意的なものであったことに気がつくでしょう。つまり、すでにわれわれは‘パラダイム’によって常に洗脳されているのです。
自分がそのようなものに縛られていることに気がついたとき、あなたは昨日や今日とは違う明日へ一歩を踏み出していることでしょう。
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