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2007年5月14日 (月)

本多勝一 『職業としてのジャーナリスト』

axbxcxさんと議論?していて、本多勝一は懐かしいという話と、でも「二分論」はちょっと古いよねという話で盛り上がったのだが、その際、ままや、この話はもう本当に古い議論なのかという点と、自分の思考パターンが深く本多勝一氏の論理によっていることにあらためて気がついて愕然とした。

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2007/05/post_cf38.html

いまはやりの言葉でいえば、『反西洋思想』の一つの急先鋒が1960年代から1970年代にかけての本多勝一ではなかったのか。本多勝一は、わたしが中学校から高校生時代にかけて非常に傾倒したジャーナリスト(というか思想家?)で、当時、朝日文庫版の「本多勝一シリーズ」はほぼ全巻読破していたと思う。残念ながらいま手元に数冊しかないので、彼の「二分論」がよく現われている著作として以下を挙げる。

Photo_12 本多勝一 『職業としてのジャーナリスト』 朝日新聞社 朝日文庫 1984

お薦め度: ★★★★☆、 一言コメント: 日本人で人文科学や社会科学を志すものはマストの文献。

結局、一言コメントで全て語ってしまいましたが、今の社会で活躍している1955年生まれ以降の世代の研究者やノンフィクション(ジャーナリストやルポライター)を書くもので、本多勝一の影響を受けていないものは皆無であると思う。いたらそれはもぐりであろう。

わたしは、大学生から社会人になるにつれて、少し距離をおくようになったが「支配される側とされる側」という「二分論」議論は、当時非常に説得力もあったし、今でも十分の妥当性と説得力をもっているものと考える。

いま、社会全体がオブラートで包んだようになっていて、白黒はっきりさせるな(できない)とか、とかく灰色であることを強調して人を煙に巻く、つまり自分を絶対安全圏において、いかにももっともらしいことをいう知識人というか有識者が非常に多い。こだわるようだが、安倍晋三総理の「歴史認識は有識者(歴史学者)にゆだねる」発言は絶対にわたしは許さない。どうせあなたはお抱え学者に自分の好きなことを代弁させるつもりなのだろうということがみえみえである。それほど、われわれはお人よしの馬鹿ではない。小賢しいことをしていると、そのうち足元をすくわれますよ。http://homepage1.nifty.com/arukunakama/y2007NewYear.htm

ともあれaxbxcxさんへの返答でも書いたが、‘自分自身の立場’を自覚せよという意味では、援助業界に限らず、人間世界に生きていく上で最低限のエチケットというか重要なマナーを教えていただいた気がする。

「今まで、本多勝一の影響で、「客観というものは存在しない」というところまではきていたのですが、自分の‘主観’自体を客観視するというところまでは思い至りませんでした。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/d030028.htm

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blog052.htm

でも「する側、される側」の理論というのも、そもそもは、自分を‘客観化’し、世間でいわれている‘客観’に惑わされずに、自分で主体的に自分の立場(=‘主観’)を選びなさいという意味では、自己の相対化による主体性と、自覚をもつという意味で、同じようなことを意味していたのかもしれません。」

本多勝一については、以下の文章でもふれているので、ご参考まで。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00015.htm

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n000281.htm

でもまあ、本多勝一本人もさることながら、彼を取り巻く環境、京大探検部とか、京都学派の存在もあわせて評価されるべきではなかろうか。

関西系の学問のテイストって実は私も好きで、これは大阪で大学生をしてみてよくわかった。そもそも大阪外大も貿易商の奥さんのおばちゃんが私財で作った大学だし、関関同立や阪大、府大、市大、神大、竜谷大、国際仏教大学など、いろいろ東京とは違ったテイストの学問的な土壌があるような気がする。京大で言えば、梅棹忠夫、今西錦司、京大の人文研、東南アジア研究所(いまのアジア・アフリカ地域研究所)など、非常にユニークな仕事をしていると思う。

いかんせん、関西人は、まだ社会への発言度が小さいというか東京ほどメディアにのりにくいというきらいはあるが、結構、本多勝一みたいな鬼っ子のような形で、中央(東京)で気を吐いているのかもしれない。

本書に掲載のうち、「職業としての新聞記者」(1971)、「海外取材の旅」(1971)、「私の取材方法と認識論」(1981)などは、確かに古い議論かもしれないが、今でも示唆に富むと思う。

P.S.

今の時代に、本多勝一のエッセンスを伝えるものとして、彼の認識論、フィールドワーク論、ジャーナリスト論(取材・執筆論)についてのダイジェストがあってもよい気がする。つまり今の若い人に読めといっても時代背景がわからないので、かなりとっつきにくいものと既になっていないか。誰が編者がついて、時代背景の解説をつけたアンソロジーができれば、非常にすっきりとこの思想家(ジャーナリスト)の輪郭がつかめると思うのだが。

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コメント

自分も高校時代に本多勝一の本を読みあさったことがあります。南京虐殺など。開発援助の道に進もうと考えたのも、ひょっとしたらあのあたりが原点になってるのかもしれません。

purunさん、こんにちは。

書き込みありがとうございます。南京虐殺の話は、確か中学生の頃の私には、かなりショックでした。夢でうなされた気もします。なにか、中国とかベトナム、カンボジアは、はっきりいって本多勝一によって、トラウマになったというか、こちらの国々は‘鬼門’になりました^^?

当然、‘彼’のリアリティなり、現状認識なので、それに引っ張られる必要はないはずなのですが、‘自分’であらためて検証しようというところまで気分が盛り上がっていません、今でも。

本当は、いい意味で、彼の仕事を乗り越えていかなければならないと思うのですが、自分も含めて、なかなかですね。

若いジャーナリストに期待したいところです。

~継承して、さらにそれを乗り越えてもらいたいですね。~

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