岩田正美 『現代の貧困』
先の記事でも触れましたが、最近、福祉と開発の問題の接点を探っています。
岩田正美 『現代の貧困 - ワーキングプア/ホームレス/生活保護』 ちくま新書 2007年5月
お薦め度: ★★★★☆、 一口批評: 現代日本の貧困問題を考えるのにMust Readの骨太の貧困論。逆に「一億層中流社会」という幻想に浮かれていた日本の‘貧困’研究のプア-さを嫌でもわからせてくれる本。
ようやくというか、まともな日本の「貧困」論の本だと思う。筆者は、「・・・日本では高度成長以降、多くの人々にとって「貧困はもはや解決した」ものとなり・・・ある人々を貧困だとレッテルを貼るのはそれらの人々の人権を脅かすことになるという「優しい配慮」があって、それが貧困への関心を封印してきた」ともいい、日本では「貧困」の「再発見」という問題意識自体が薄れてきていた(実際に貧困調査が長いことなされていなかった)ことをまず語っているが、そもそもそこに問題があったといえよう。
この著書では、欧米での貧困の「再発見」の歴史と、日本の現在の「貧困」問題について、著者の長年の実証調査によって、統計データの裏側まで読み解こうとしている。現代日本の貧困研究の一人者の初心者向けではあるが非常にエスプリのきいた掌作といえよう。
あえて1点のみコメントする。
この本では欧米の‘貧困’の「再発見」の歴史や経緯についても簡単に触れているが、私としては、その測定方法の日本への適応方法について、もうすこし批判的な考察がほしかった。つまり、今の開発のトレンドをみるに、特にMillenium Development Goals(MDGs)をみると明らかに社会福祉の概念の開発援助への適合が感じられるのである。しかし、私の立場からいうと、このMDGsの「貧困」概念自体が非常に恣意的なものにすぎない。
もっといえば、なぜ先進国で(しかも、それをかなり恣意的に調査して得られた)尺度でもって貧困を測ろうとするのか、全く理解ができない。
つまり、日本でも途上国でも、それぞれの地域の状況に沿った「貧困研究」があってからこそ、「貧困ライン」なりが検討されるべきであり、まず最初に‘尺度ありき’では断じてないはずなのである。
今、日本でも「格差社会」の到来を愁う言論と同時に、先進国の例(ケース)を単純にもってこようとする動きがあるが、歴史や地域差を無視した「方法」の適合は決してありえない。私が、大学研究者に不満なのは、時にして‘前提条件’を無視した論理を展開して平気な人がいることである。(この岩田氏のことではないのだが)
つまり、日本の社会福祉改革に、フランスやアメリカなどの実例を解決策の一つをして持ってこようとする人が多いが、わたしが言いたいのは、その欧米の研究者は、彼等の研究書や論文では、‘彼等の中で常識であるフランスやアメリカなりの「格差社会」である現実’にあえて触れていない(自明のものであるから)ということを無視して、それを日本なりに答えだけをもってこようとする論調があるということである。
前提条件が違えば、当然、その解決の経緯も結論も違ってくるはずである。
そういう意味で、この岩田氏のような地味な実証調査の積み重ねが望まれるとともに、特に国際比較においては、もっともっと慎重であるべきだということをこの場で言わせていただく。
P.S.
この本での「貧困ライン」の解説(2章 貧困の境界)は、援助関係者もMust Readである。いかに「MDGs」やUNDPの「HDI」の一部の‘指標’が適当(いいかげん)なものであるかがわかる。
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