わたしのウインド初体験(ウインドウズではありません)
もう11年も前になりますが、前の会社の社内報に書いた記事です。わたしの「海洋民俗学」はあくまで自分の体験や経験から語り綴ろうと考えています。
よろしくご笑覧ください^^?
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平成9年(1997年)11月12日
わたしのウインド初体験(ウインドウズではありません)
11月X日(日曜日)、横須賀線快速電車にゆられながら、そういえば初めてウインドサーフィンをやったのは、一昨年(1995年)だったなあと思いおこしていた。
大学時代、体育会でヨットをやっていた。東京で勤めだして3、4年目であろうか。そろそろ仕事や生活にも慣れてきたが、なにか物足りないなと思い出したとき、友人から逗子海岸の或るウインドサーフィンスクールに誘われた。
一昨年は、11月に、一日体験コースでおもちゃみたいなセールで水辺をまっすぐ走って終わり。去年は、結局、春から秋まで10回ほどスクールに通ったのだろうか。(夏には逗子海岸に海水浴にきているおねーちゃん達をしり目に、海水浴場の端っこで集団でスクーリングを受けていたのを思い出す。)そして、今年の8月に、念願の自分の道具を購入した。
ここで、なぜ僕は海が好きなんだろうと考えてみると、「自然にいじめられる快感」を知ってしまったからではないかと思った。原体験としてこんなことがあった。
ヨット部1年のオフ直前11月に、初めて先輩と小さな2人乗りのヨットでレースに出場したときのこと。なんどか沈して(ヨットが横転すること)びしょ濡れになったレースの後、涙だか鼻水だかをながしつつ、吹きっされしの雨まじりの海上で冷たい昼飯を食いながら、ふと「僕は誰に泣かされているのだろう」と考えた。それは、自分でも先輩でもなかった。まさにその時、「自然にいじめられること」を知った。そのことは、「人から」いじめられるのと違って全然悔しくなかった。
海と言ってもほんの水辺で遊んでいるだけで外洋は知らないし、山のことも知らないけど、自然相手のスポーツとは、きっとそれが楽しいのではなかろうか。「自分」との闘いという人もいるけど、人知や体力の及ばない世界があることは否応ない事実だし、自然との「闘い」というと、ちょっと違うような気がする。
ともあれ、水と風さえあればどこでもできるスポーツなので、興味のあるひとは、ぜひ一緒に遊びましょう。(ヨットも可)
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(2008年12月17日 付記)
残念ながら既にウインドサーフィンの道具も手放してしまっていますが、手元にはスクールで受験させてもらったウインドのバッジテストの認定証があり、また経験としてわずかな期間ではありましたが習ったことを体が覚えている(はず)です。
また田舎に戻ったのを機会に、マリンな生活にも近々復帰できそうな気がしています。
ではでは^^?
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