等身大の‘世界’を知る・感じるということ
「Life, I Love You!」のほうに、アメリカ合州国の新しいオバマ大統領の就任演説について記事を書きました。
オバマ大統領就任演説 <アメリカ合州国に目が離せない> 2009年2月7日http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2009/02/post-dff9.html
本当にこれほど時代の移り変わりといいましょうか、世界の動きの激しさに右往左往してしまうとき、どこに自分のアンカー(碇)を置くのか。どこに自分のコンパスをかざすのか、それが非常に大切なことになっています。
情報の爆発というか、もう何がなんだかわからなくなっているこの時代、2001年の9月11日以来、世界が変わったといわれますが、混迷を続けるこの21世紀の10年を見ても、一概に一方的に世界が悪くなったとも思えない。
新しい何かが生まれつつある、そんな予感を感じています。
情報爆発、これは、今までの大本営報告(情報)のみを信じなくてはならない時代とは一線を画し、誰もがどのような情報にでも(ある程度の限度はありますが)、以前に比べて格段に簡単にアクセスできるようになりました。
ゴミ情報も増えたが、本当の貴重な情報(それは個人の発信が多い)にも触れやすくなった、さまざまなリアリティ(現実感)がより身近に感じられるようになった、そのメリットは非常に大きいと思います。
世界に対して、ビビルことなく、ありのままにとらえていく、見せ掛けだけの虚勢や虚言に惑わされない、‘理念’より‘実践’や‘実態’そのものを見据えていく、そんなことが必要な世の中だと思うし、いい加減、口先だけの‘政治家(屋)’や、‘先生(有識者といわれる人たち)’にうんざりしているのが、今の日本だと思います。
そういう意味では、老若男女を問わず、個々の生き方そのものが問われている、それは、やはり時代の流れであるし、そういう意味では‘厳しい’世の中になったといえるかもしれません。
ともあれ、われわれは、居心地のよかった(と思える)昔に戻ることはもうできません。悲しいけれど、パラダイム自体が変わりつつあるなかで、‘変わらない’という選択肢を選ぶことは、非常に厳しい。でも、それでもあえて‘変えなくてもよい’ことはあるはずだし、勇気を振り絞って‘変えないこと’を選択することは、非常に難しいが必要なことでもあるといえます。
今までのように、誰か偉い人がいて、みんながみんながといって、わけのわからない‘世間’に流されていれば良しという時代は過ぎ去りました。これからは、自分で判断をしていかなくてはなりません。
そんなときに必要なことは、自分の‘等身大’の感覚をまずは信じることなのでしょう。だって、難しいことをいわれたって、‘自分’にはわからないのだったら、‘わかること’から始めていく信じてみることがまずもっては必要だからです。
自分で、みてきいてかんがえて、そんな歩みを続けていけたらと思います。
ではでは^^?
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