‘平凡’な‘平和’ No Music No Life! 歌う心を探る
基本的に、思いつきで書いているけど!
自分の部屋で、プリンセス・プリンセスのCDを聞いて、ミクシイのレヴューをみていたら不意に泣けてきた。
時代と共にある、唄の数々を思った。
時代がどんなにいいときも、悪いときでも、いや辛いときほど、人は悲しみ悼む歌ばかりでなく、それでもどれほどつらいときでも‘明日を信じる’唄を歌ってきた。
歌のフォーマットには、3つしかないという話を聞いたことがある。
1. 出会いの歌
2. 別れの歌
3.、その他
ミクシイの人のレヴューをみていると、唄はそれぞれの人の心の中にずっと生き続けて折節に、その人を、その社会を、その世界を支え、力を与えてきた。
自分には、何の唄をつくる力もない。でも、人の唄を共有し、一緒にみんなで歌うことはできる。
私は、政府開発援助の仕事で、青パス(厳密にはグリーンパス)という半分外交官みたいなパスポートをつくってもらって国の予算で、途上国で仕事をしてきた。
いわば‘国’の予算で留学させてもらったといってもよい。
途上国は、単に‘貧しい’だけではない。いや、経済的な問題より、政治的な、もっといえば一部の‘人間’の利権や権益だけのために、紛争に巻き込まれている地域や国があまりに多すぎる。その一部の‘人間’の影には、実は先進国のフィクサーたちの影がある。(あまり突っ込むと自分が危ないけど)
実は、途上国の問題は途上国だけでは解決できない。
もっと根本的に、世界の(国々)のあり方、いや‘生き方’をかけないことには、いたちごっこで何の解決にもつながらない。
私には、本当の敵が見えている気がするのだが、一人ではとても立ち向かえないし、今は、そのときではない。
まあ、‘正しさ’がへたに‘力’を持つと、‘悪’が‘力’を持つ(持っている)よりさらに始末が悪いということも歴史が証明しているので、あまり‘正しさ’というか‘正しいと思われること’を追究することは控えたほうがよいのだが、でももう少しなんとかならないものか。
本当に、今の福島の原発ではないが、人類は自滅への道を歩んでいるようにしか思えない。
もう、頭のよい人や声の大きな人のいうことや方向性について、疑問をもって、自分の身の回りの‘平凡’な‘平和’を考えて、いや‘平和’に生きてよいのではないか。
戦うべきは、高所から見下ろした‘平和’や‘ユートピア’であって、自分がすでに持っている‘幸せ’を守り広めていくところにこの21世紀の人類生き残りのポイントがあるのではないか。
と私は思う。
間違っているかもしれないけど。
ではでは^^?
« 8.生活支援と復興支援の違いと留意点について (続き) | トップページ | 9.生活支援と復興支援の違いと留意点について (続き) »
「‘わたし’の平和学~冬が来る前に!」カテゴリの記事
- 【2015年11月14日 フランス・パリの同時多発テロに思う】(2015.11.15)
- ビッグデータと秘密保護法案・・・グローバルな盗聴・傍受に反対する!(2013.11.09)
- <プリンシパルと覚悟について・・・ 山本太郎さん問題によせて>(2013.11.03)
- 68年目の長崎の日に思うこと(2013.08.11)
- 68年目の廣島原爆投下の日に思うこと(2013.08.07)
« 8.生活支援と復興支援の違いと留意点について (続き) | トップページ | 9.生活支援と復興支援の違いと留意点について (続き) »
コメント