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2011年6月27日 (月)

<コラム(その1)> あとがきにかえて(旅行の勧め) 2011年6月26日

初出: HP版歩く仲間 2000年5月5日 再掲載。

アラブ・イスラーム学習ガイド(資料検索の初歩)@1991年11月11日

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g000.htm

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あ と が き に か え て(旅行の勧め)

近年、マスメディアの、特にテレビの発達によって、瞬時に、世界中の情報が、それも茶の間で知ることが出来るようになった。しかし、テレビに徹底的に欠けているもの、それは匂いであり温度であり、曖昧な言い方だが、要するに雰囲気(アトマスフィアー)とでも言うものであろう。いくら、テレビ技術が発達しても、結局、音と映像だけの世界でしかない。俗に、五感というが、私達が物を認識しようとする場合、さらには体感しようとした場合、果たして聴覚、視覚だけ分かったと言えるのであろうか。

「コピー文化」という言葉がささやかれるようになって、すでに久しいが、日本のこの状態はどうもおかしいし、まずいと思う。疑似体験(体験とは言えないと思うが)だけで、分かったような気になっている。最悪の例が先の、テレビのシュミレーションゲームそのものと言われた湾岸戦争の報道であろう。私達は、連日のように湾岸地帯の映像を、イラクへの爆撃さえをも見ていた。 しかし、一体誰が映像の向こうにいる人々の痛みや悲しみ、怒りを感じることが出来たのであろうか。イラク兵も、多国籍軍兵も、さらには一般市民も、断じて、決してゲームの基盤のうえの駒なんかではない。

実は、正直に告白すると、私は、まだアラブの地を踏んでいない。湾岸戦争のことなど、言い訳はいくらでもあるのだが、それはともかく、今までずっと述べてきたこと、すなわち体感するためには絶対に現地体験が必要不可欠である。もし、留学というものが必要であるとしたら、その本旨は、書物や、外側からだけでは解らない生活そのものに触れる事ではなかろうか。チェアー・ディテクティブではだめだと笑われるかもしれないが、この目録ぐらいのことは出来るということは、特記してもおいてもよいであろう。

さて、イスラームの大旅行家であるイブン・バッツゥータが、29年間にもわたった大旅行に、故郷のタンジャから旅立ったのは、彼の22歳の時であったことを、ふと思い出した。私も、近々その年齢を向かえる。旅立ちへの期待を胸に秘めつつ筆を置くことにする。

1991年11月11日

執筆者しるす

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