小森陽一監修 『研究する意味』 東京図書 2003年5月 <研究者への途>
初出: mixi開発民俗学-地域共生の技法- 2011年8月14日
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=63702552&comm_id=2498370
今日も、市の図書館に行って来ました。
2週間10冊借りれるのですが、ついつい欲張って10冊借りても、実際には、返却期限には2,3冊しか読めていない。まあ、積読といって手元にあるだけでも意味がある?と、しかもこれほど緊迫財政の中で専門書を買う余裕は全くないので、しっかりした本を置いておいてくれている公共図書館には非常に感謝しているのですが、今の読書傾向はこんな感じです。
1. ‘学問’方法や‘学問’をするスタンスに関するもの
2. 深めたい分野の専門書
3. その他
となるわけですが、今の時点では、2の分野が多くて、1の分野がちょぼちょぼ、3の分野は本当に流行の本とか気晴らしが数冊といった感じです。
さて、1の本ですが、前から書いているように学説史とか、研究者自体の問題意識というのに非常に興味があるので、いろいろ新旧混ぜて読んでいるのですが、それぞれおもしろい。
今回、紹介するのは、1950年代生まれの研究者達の‘研究する意味’です。
私は以前、1955年前後生まれの研究者は、それ以前の世代の研究者と根本的に異なると看破?しましたが、実際に当事者に言わせてもそのとおりで、今、2003年に編まれた本を読んでいるのですが、彼らが新しい研究の出発点は、1992年とか2001年の9月1日とか言っている。そして、助手や助教授の時代、すなわち1980年代から1990年代にかけて中堅どころとなった全共闘時代の、つまり団塊の世代の先輩研究者にずいぶんいじめられたと書いている。
私が見ても1990年代から2000年にかけての動きは本当にめまぐるしかったので、時代が先にいってしまって学界というか知識人自体が思考停止というか自分の足場をなくしてしまったようで、傍から見ても悲惨な状況にあったということが、その内部で一線に立とうとしていた先輩方の言葉として語られているのが、非常に生生しかったです。
というか、実は、まだ最初の章の、小森陽一氏と金子勝、高橋哲哉氏の座談会を読んでいる途中なのですが^^?
私には、独自の世代間があります。
1970年生まれなので、非常にわかりやすいのですが、自分の前後5歳までは同世代、10年離れると世代が違うと感じてしまう。
今回のまな板の上の彼ら先輩は、少なくとも10年から20年年が違うとなると、やはり全然、背負っている時代背景や問題意識が違う。
たぶん、自分が研究者としてやっていくとするのなら、やはり彼らを乗り越えるだけのモノがなければならないのだろうなと強く感じました。
自分が大学を卒業したのが、1992年3月のこと。結局、20年近く社会人(会社人)をやっているわけですが、やはりあのときにそのまま進学していなくてよかったと心から思います。
というのは、もやもやとした問題意識しかなかったから。
当時、それぞれの主流派であった人たちは、1950年代の人より以前の古いパラダイムに生きていたし、1950年代の人たちは、まだ発言権がなかったし。
今、空手挙手で学界に殴り込みをかけようとしているわけですが、そうだな、理論は後(別)にして‘現場’から考える姿勢だけは、仕事で鍛えさせていただいた、ただその一点だけを武器にして、というと単なる蛮勇に終わってしまうので、いろいろ学問的な‘素養’を再勉強した上で、新しい地平線や水平線を切り開いていけたらと思います。
なにか、この3名の座談会を読んでいるだけで、モダンやポストモダンの西欧の哲学者の名前がボンボンでてきて、確かに‘学問’としてやるなら、それは押さえておかないとと思いつつも、所詮、借り物の知識をちょっとかじっただけで学者になれるのかという天邪鬼的なツッコミを入れたくなったりして、ただ、この本に出てくる人たちは、基本的には実証的な研究を続けて人たちばかりとは思いますが、‘いちおう’押さえておく必要があるのかなあというのは、今でこそ、疑問で疑問でたまらない。
なんかポストモダンで話題にしていることって、実は、我々の世代は感覚的にわかってしまっているというか難しい‘言葉’を使わなくても、それってあたりまえじゃんという感覚、でもそれを学問の末席で言っては(つぶやいても)だめなのでしょうか^^?
自分としてはもっと‘巨視的’な研究がしてみたいし、世界観の根底にある‘哲学’にイスラーム哲学や中国、インド哲学が‘常識として’含まれていないのは本当におかしいと思うし、西欧哲学研究は、1割以下にして、それ以外の地域の宗教や哲学研究を9割したほうが、よっぽどかこれからの‘日本’のためになると思う。文部科学省はもっと、そういった方面にお金をつけるべきといっても、その‘価値’が、旧帝大系統の日本の高等教育を受けた人たちにわかるのかしら?
少なくとも、自分たちが立っている‘基盤’そのものが間違っているかもしれないという危機感は、1950年代の人たちには、全然欠けていると私は思う。
学問が継承を必要とするのなら、本当の意味での人類の知的遺産とは何かを考えるべきだと私は思います。
まあ、同世代の仲間の活躍に期待するしかないし、我々の世代のもつ世界に対する不安感は、やはり自分達で突き止めて解決していくべきだということなのでしょうか?
まあ、人のフリをみると自分の立ち位置がわかってきますので、上記1の分野の読書は、これからも続けていこうと思いました。
嗚呼、なんかまた余計なケンカを売っているなあと‘ちょっとだけ’反省しつつ。
ではでは^^?
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