川喜多二郎 『環境と人間と文明と』 古今書院 1999年6月
初出: 「地域研究」と「開発学」 <理論各論> @ 開発民俗学 「地域共生の技法」
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先日、7月23~24日に大阪のセミナーに出席したときに感じたこと。
どうも、私の学問的ルートは関西、特に京大学派に負っているなあとしみじみ思いました。
なぜか。といわれても一言でいうのは難しいですが、京都には‘場’を作る伝統があり、近衛ロンド、人文科学研究所、東南アジア研究センターなど、理系文系を問わず学者が集う習慣があったこと。登山部、探検部をはじめ世界を目指す風潮があること。何よりも京大の研究所の強みは、文人系よりむしろ地学や農学など理系の実証的な研究者が地域研究をひっぱったことなどがあげられると思います。
つまり、文系のいわゆる文学・哲学系の概念から入るのではなくて、実際の‘モノ’にあたるという態度。それが、独創的で現実をよく捉えた研究成果を生み出してきた源ではないかと思います。
当然、その輪の中には具体的な研究者‘個人’があるわけで、それこそ個性的な研究者を輩出しました。
この本は京大人脈に繋がる重鎮の一人の川喜多二郎先生が、京大の東南アジア研究センターがおこなった「総合的地域研究の概念」という科研費の研究会で発表したもの。講演ならではの平易な語り口が読みやすいです。
川喜多二郎先生といえば、KJ法という発想法、その生まれと展開についても触れられています。
ともかく、今の日本は、全体を見ようとする人が非常に少ないような気がします。やはり大学者とは、過去の遺物なのでしょうか。
ともあれ、「地域研究」の実践論の一つとして味読したい一冊です。
ではでは^^?
<書評の続編>
初出: 「越境のアドベンチャー」 ‘開発民俗学’は‘総合科学’たりうるか?<各論> 2011年8月21日 @開発民俗学 「地域共生の技法」
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古今東西を越えて本物が選ばれる時代
碩学に学ぶ、というとそのまんまだが、やはり先達から学ぶことは多い。
今、日本では歳多く生きているだけでもありがたいスゴイという考え方に振り戻しがあるが、一昔前までは、やはりシニアに対する敬意が一時、とても低くなった時代があったと思う。
今は、団塊の世代が60~70歳なので、戦後民主主義教育を受けた彼らが戦前派、戦中派に対して感じた不信感から、30~50歳くらいまでに、ことさら人生の先輩にきつく当たってきたと思うのだが、いざ、自分が還暦を迎えるようになると、いやでも自分も歳をとるのだということと自分が反発される立場にあることに、ようやく気がついたということであろう。
大体、若者は自分より10歳~20歳くらいのちょっと上の年配者に非常に反発をするものだが、それ以上、30歳とか上になるともう兄貴や親父といった世代ではないので、単なるお爺さんとして孫のような立場で甘えられるというか素直に付き合えるようになるのであろう。
それが実生活でのトレンドであったと思うのだが、現在のこの21世紀はどうか。
はっきりいうと人間の歳とか風貌とか属性についての関心が薄れて、本質論での議論ができるようになってきたと思う。つまり世界が、年齢や地域に関係なく、フラットになってきたというである。
今までは、先進国の研究者であるだけでむやみにあがめたり、風采だけで信用できないとか、そういう外部用件が、中身の評価に影響していたのが、今なら著名人であろうか無名であろうが、先進国にいようが途上国であろうが、全く等しく中身だけで評価される。そんな時代だと思う。
そうすると何が起こるか。
結局、今までのように、外面的なレッテルにとらわれることなく、いいものはよい、悪いものは悪いと素直に評価できるということで、今まで以上に、現在過去を問わず本物の仕事をした人に評価が戻ってきたということである。
単なる‘古典に回帰’ではなく、古典たるゆえの中身の'スゴサ’が改めて問題にされている、最近の斉藤孝先生の福沢諭吉の『学問のすすめ』の再発見についても同じことがいえると思う。
ということで、今回、紹介するのは、川喜多二郎先生の『環境と人間と文明と』古今書院 1999年。
もう、10年以上も前の本であるし、川喜多先生は1920年、つまり大正9年生まれの戦中派、KJ法で一世を風靡した『発想法』は、1967年なので、もうとっくに終わってしまった?2世代も3世代も前の研究者と思うどころか、今の大学生では名前も知らないかもしれないのだが、ところがどっこい、いわゆる‘昔’の学者の骨太なところを、この講演録は物語っている。
正直、私はこの本を読んで感動した。
京大の地理学をでてからの研究遍歴、地理学から農業経営地理へとオーソドックスに研究を進める中で、自然科学だけではダメだと人間と地域にフォーカスを徐々に移していく。科学者が、いかに地域の‘人’と向き合うのかが実際の経験を通して語られていく。
なぜ、KJ法が生まれたのか、アクション=リサーチの走り、「分析的」な西欧の学問に対する「総合」への道のり。彼のいう、「書斎科学」、「実験科学」と「野外科学」、まだこれが、学界では市民権を得ていないと思うが、彼には市民がついているというか、普通の人の感覚では、やはり「野外科学」を設定しえもらったほうが、実利もあるし、われわれ自体も、(学問に)参加できるという意味でありがたい。
1990年代の後半から2000年の初頭まで、開発援助の現場で、盛んに「参加型開発」だとか「PRA」とか「PLA」とかが話題になったが、欧米経由で英語で学ばなくとも、少なくともそれらが話題となり研究される最初期と時を同じくして、日本でも、そのような動きがでていたことは、やはり日本人としては押さえておくべきであろうと思う。
本当に、日本人の日本人知らなさは恐ろしい。なぜ、このような実践思考の研究者が、開発援助の学界ではあまり認知されてこなかったのか、理解に苦しむ。
というか経済や政治、法律から開発問題を考える人は、理系の農学とか地理学者における開発問題への取り組みについて、盲点というか眼中に入っていなかったのではないか。
開発問題は、‘国際’問題ではなく‘国内’問題でもあり、政策の問題とも非常に密接に絡んでいる。しかしながら、農学、土木、建築などの技術系の開発研究と、行政における開発問題、すなわち政策問題について、比較的に関心が薄かったように思われる。
貧困問題も、福祉の現場では、日本でもそれなりに研究と実践の蓄積があるのにも関わらず、日本のホームレスやワーキングプアと、先進国の失業問題、途上国の貧困の研究は、必ずしも研究者間の横の連携が取れていないように見受けられる。
私みたいな素人にとってみれば、世界の問題も日本の問題も全く同じだと思えるのだが、なぜ、その知見を他の地域に拡げられないのか。それが不思議でもある。
とはいえ、今では、私のような思考の人も増えていると思う。
結局、学問でもなんでも、その人の‘人間的な幅’以上のものはできない。民間企業でよく言われている、「社長のスケール以上に、会社は成長しない」ということと、全く同じである。
かといって、だから昔の学者は凄かったで終わらせてしまっては意味がないので、ぜひ積極的に、批判的に、やったこと自体より、なぜそれをやったのか、なにを考えてそう行動したのかに着目して、自分の今後の参考にしたい。
そんなことを考えました。
京大学派に関心のある方も、注目です。
いかに実践的な学問が立ち上がってきたのかの一端がわかる好書ともいえましょう。
ではでは^^?