【es001】ESSCES (エセス)略して【es】プロジェクト始動! 国際開発学会の宿題です^^?
初出:facebook版 歩く仲間 2011年11月29日
http://www.facebook.com/#!/note.php?note_id=316774845016528
というより実は、以前からなんとなく考えていたことなので、人のコメントや後押し(応援)とは、一旦、切り離して、そのプロジェクトの意義を考えてみようと思います。
1. ESSCES Project、略して【es】プロジェクトとは?
es とは言うまでもなく、ドイツ語の指示代名詞、英語でいえば、it (イット) つまり、「それ」プロジェクトです。なんていうんだろう、別に秘密めくつもりは全くないのですが、コードネームで、例えば、ミスター・チルドレンの楽曲や、マイケル・ジャクソンの楽曲、「This is it」をたぶんに意識していますが、「そうそう、まさにそれなんだよ」というものであると同時に、「最後のカーテンコール=これっきり、これが最後だよ」ということまでなんとなく私にはみえてしまっています。
ESSCES = Ethnographical Study on Samurai Consulting Enginners もしくは、Ethnographies on Secret Samurai Consulting Engineers といったほうがいいかもしれない。少なくとも最初に私の頭に浮かんだのは後者でした。
これは、日本の60年になろうとする開発援助の黒子に徹してきた無数の決して表に名前のでてこなかった(でも業界人なら誰もが知っている)開発コンサルタントであるサムライエンジニアたちの聞き語りを歴史の証言としてアーカイブすると言う、とてつもないプロジェクトです。
そもそも個人では決してできないことですが、アウトプットとして頭に浮かんだことは、ソロワークとしては、宮本常一先生の『年寄りたち=忘れられた日本人』、共同研究としては、平凡社の『日本残酷物語』のようなものになる、いやなるべきだと思っています。
実は、宮本先生は、「年寄りたち」つまり、のちに「忘れられた日本人」という聞き語りをまとめる過程で、独自の民俗学の考え方を整理したといわれています。彼にとっても、大きなターニングポイントになった経験(体験)が、明治生まれの文字のある伝承者と文字を持たない伝承者とのジャム・セッションだったのでした。世間師(しょけんし)を訪ねての旅、自身がすぐれたフィールドワーカーであったと同時に、世間師そのものであって彼の真骨頂がエスノグラフフィーであったことは、決して偶然ではありません。
なんとなく、ゴールは見えている。でも、これの影響というか、社会に与えるであろうインパクトの大きさにたじろぎもしています。
つまり、パンドラの箱を開けることになるのではないかと。
なぜ、なのかは、次回で説明します。
ではでは^^?
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