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2012年1月 8日 (日)

【es004】開発コンサルタントの聞き語りによる日本の開発援助研究(仮題)について - 前口上 -

初出: facebookページ 歩く仲間 2012年1月7日

http://www.facebook.com/#!/note.php?note_id=344013755625970

いよいよ中身に入ろうと思うのだが、いささか私的な話から始める事をお許しいただきたい。

私は、1992年に大阪外国語大学のアラビア語専攻を卒業しているのであるが、もともと人文地理学に興味があって、しかも現代の歴史や政治にも関心があった私は、大学という何をやってもよいという身に余る自由に道を見失いかけていた。今思えば単なるバカ?であるが中学生時代(1985年)にたまたま市の青少年施設(太陽の塔)のイベントで見かけた原爆の映画(人間を帰せ)に魂を被爆した私は本気で外交官にでもなってアメリカとソ連を握手させることを夢想していた。しかし時代の進むのははるかに早く、それからわずか数年後にはドイツのベルリンの壁の崩壊や中国の天安門事件、南アフリカのマンデラ大統領とアパルトヘイトの廃止、ソ連の崩壊など、あれよあれよという間に世界は激変し、私の夢はあっけなく現実に叶ってしまった。のであるが、その後の第2世界なきあとの世界の混乱については、だれもが知るところであり改めて言うまでもないであろう。

大学時代に学内の外交官の勉強会に入ってやろうと思ったが、あえなく挫折、結局、欧米の国際法などのなりたちというか枠組みのいい加減さというと誤解を与えるが、ギリシアとローマの伝統は中世でイスラーム世界を通じなければ現在まで継承されていないのであるが、それをすっ飛ばして西欧の歴史に接木する無節操さにあきれて、こんなバカなルールは認められないというのが、当時から今までの西欧ルールに対する基本的な私のスタンスである。今、世界中のいろいろな局面で、開発の世界も例に漏れず、‘民主主義’とか‘民主化’とかいわれているが、これほどうさんくさい言葉はないというか、それぞれの地域事情を考慮せずに言葉だけが独り歩きしていてしかも迷惑を与えている言葉はないであろう。

ともあれ、世界の激変の中でアラブも例に漏れず、イライラ戦争(イラン・イラク戦争)が終わったかと思えば湾岸戦争が勃発し、行く場のない私の唯一の希望であったエジプト留学も流れてしまった。そんなときに出会ったのが、飯塚浩二の「東洋史と西洋史のあいだ」岩波書店 1963という本で、中世のシチリア島の特異な位置付けについて、非常に明確にわかりやすくしかも楽しく解説していた。今でも、この知的な興奮はわすれられないであろう。留学もできないし現代的な問題をやってもダメだから中世史をやろう、これならアラビア語の知識も、そもそも好きなアラブの旅行記や地理書の研究もできるし、ということで中世シチリアにおける寛容の精神や共生のあり方について研究しようと思ったのであるが、わずか半年の浪人期間のみであえなく挫折。浪人中にとりあえず就職活動はしておけという親の指示で、やむなく始めた就職活動もことごとく落とされ(説明会にいってもそれ以上先に進めなかった)泣きついたアラビア語の主任教授である池田修先生の推薦を受けた某一部上場企業の役員面接で落とされるという前代未聞の不祥事を起こしつつも、結局、やはり自分の関心のあることでないとダメだと国際協力関係の役所などに絞って就職活動を再開、たまたま行った国際協力センターの説明会後に送っていただいた国際協力ジャーナルの1992年のリクルート特集号、これに載っていた開発コンサルタントの見開き2ページのダイレクトリーにあった三祐コンサルタンツにたまたま拾っていただき開発コンサルタントの門をたたいたのであるが、そもそも国際協力業界のことなんて、全く回りに先輩もいなくわからずに、本社が名古屋で農業関係というだけで選んで電話して3回の面接だけで通ってしまったという超裏道というか裏門から入ったようなもので、ちゃんと正規に試験や面接をやっていたら当時でも今でも絶対に雇ってもらえなかったであろう。

結局、私は、開発コンサルタントがなにであるか何も知らずには業界人となったわけで、もともと開発論者でも反開発論者でもない。あえて言えば、もし開発が避けられないものであれば、少なくとも現地の人に対する悪影響を少なくしたい、といった程度の事なかれの日和見のスタンスである。そもそも‘開発途上国’に関心があったわけではなく、自分の知らない広い‘世界’が知りたかっただけである。

確かに、1985年のバングラデッシュの飢餓に対する英国のバンドエイドやエチオピア難民に対するUSA for AfricaのWe are the world、日本でのネグロスキャンペーンなどのさまざまな開発途上国援助のためのプロモーションに関心がなかったわけではない。

だか単純に‘貧しい’とか‘かわいそう’とか、「恵まれない子供たちに愛の手を」などという陳腐なキャッチフレーズに流されるほどおセンチでも初心でもお人よしでもなかった。中学1年生の時に出合った原爆のドキュメンタリー映画をきっかけに、中高校生のときにはまったのは本多勝一の「戦場の村」といか「中国の旅」、極めつけは「殺す側の論理」とか「殺される側の論理」など一連の朝日文庫のドキュメンタリーシリーズとか、岡倉古志郎の「死の商人」(岩波新書)とか、フィクションよりむしろノンフィクションのルポルタージュとか新書とかであった。結局、小中高から今まで小説はほとんど読まない。小説より事実は奇なりという事実は、いくらでもあります。本当に世界をいろいろみてみると^^?

まず基本的に私は開発援助業界に身をおいたものの、業界を弁護する立場でもないし、中身を知らずに批判するという無責任な立場でもないというのが今のスタンスである。

ただ、中に入ったら入ったで大変でした^^?右も左もわからないとはよく言ったもので、特に困ったのが日常業務と開発援助の‘崇高な’目的なりが全く結びつかなかったことである。民間企業である開発コンサルタントは、当然のことながら営利企業であり、ちょっと知的ではあるが組織であり、やること自体は調査も設計も施工管理も、はたまた日常の細かな日常業務も、いわば全て金儲けのための‘仕事’であり、どこの企業でも、大規模であろうが中小企業であろうが、ひたすら繰り返すルーティン・ワークでしかないのである。

開発援助の最前線で、‘貧しい’?人たちのために、僕は私はがんばっているだという充実感は、少なくとも東京でのオフィスワークを見る限りは‘ない’。

結局、要領も悪く社会性のない私は普通の人が1年や遅くとも3年でわかることや簡単な作業でさえ、なんとなく自信をもってこなせると自分で思えるようになったのは、入社して7年とか8年かけてやっとこさ、人の半人前、同期は遥かに先の業務をやっているという状況であった。

いや、正確にいうと文系で語学系の私みたいなポジションの先輩は10年上の東京外国語大学のドイツ語卒の先輩ととふた周り(24年)の大阪外国語大学のタイ語の先輩がいるきりで、会社の本業である農業や水資源関係の技術者や経済畑のいわゆる技術系のエンジニアとはちがった立ち位置に退社するまで、最後まで悩まされた。

結局、技術のないものが、いかに開発コンサルタントの仲間や開発援助業界を見たかというのが、この研究の出発点であり描き出したいことである。

そもそも人間世界の全ては技術論でもなく論理や理論や理屈の世界ではない。喜怒哀楽や好き嫌いとか表も裏もあるどろどろした‘天’と‘地’と‘人’の世界である。

私が16年間努めた会社は、株式会社三祐コンサルタンツというのであるが、非常にわかりやすい会社名であった。創業メンバーの愛知用水の図面を引いた安城農学校の浜島辰雄先生の新入社員に対する説明は、下記のとおりであった。

「三祐の‘祐’の字は、正確には示す偏に右と書き、その意味は、‘たすけ(である。3つのたすけ、すなわち‘天’のたすけ、地のたすけ、人のたすけのことである。すなわち農業開発など大きな事業を起こすには、神仏など天の助け(政治的な‘天の声’というものもあるが)と自然環境のたすけと、多くの人々のたすけ(協力)がないと事は成就しない。そして、コンサルタンツと複数形であるのは、一人のコンサルタントではなく仲間で事にあたるから(最初から)コンサルタンツなのである。」

これほど理路整然とした会社名の解き明かしは、正直、私は今まで聞いたことがありません^^?

名古屋が本社で東京が支社というこんなオーナー会社は、実は、プロジェクトXでも取り上げられた戦後の世界銀行の借款プロジェクトの一つである愛知用水を作ったいわば日本の農業分野の開発コンサルタントの草分けであり、農業土木の分野では日本トップの会社でもあったのでした^^?

正直そんな事情なので、学問的とか中立性とか無記名性とかは一旦おいておいて、‘客観的’に描くことより、当事者としての自覚と‘主観’をもって開発コンサルタンツたちの物語を始めたいと思います。

(この項 了)

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