2013年 年頭言 あり続けること
みなさん、明けましておめでとうございます。
しばやん@愛知です。
みなさま、新たな気持ちで2013年の元旦を迎えていらっしゃることかと思います。
昨年1年間、自分的には非常に不本意な年を過ごしました。1月にとあることでつまずいて、思考停止のような腑抜けた1年を過ごしてしまったのですが、年末になんとか立ち上がるきっかけをつかむことができました。
それを、「Life, I Love You!」の方に年末から年始にかけてアップさせていただいたので、よろしければ、ご笑覧を^^?
しかしまあ、なんで今頃、松田聖子とお思いになる方ばかりと思いますが、正直、私は年末の12月29日の彼女のコンサートに初めて参戦して心というか魂を洗われました。
ちょっとだけ抜粋を。
(前略)
しかし、これがキモ。
「昔はすごかった 今のほうがすごい
本当にすごいところは、いつもすごかったということ」
つまり、聖子さんの30年前と今が点として全く別の‘モノ’として存在しているのではなくて、それが時間軸という線によって一本貫かれている。このニコニコ動画やユーチューブにアーカイブされている30年前のパフォーマンスと、今の眼前の奇跡のパフォーマンスは同じ松田聖子さんの体を通して発現されている。我々が見ることのできないその間の昔(32年前)から今に至る「いつもいつもがすごかった」(に違いない)ということを、否応なく感じさせられてしまったのです。
だって、50歳のオバサン(失礼)が、ダンス(社交ダンス的なものから本格的なクラシックダンス見ないなものまで)もすれば、空も飛んじゃうし、彼女自身が常に一瞬一瞬(※)が素晴らしいものであるように、それこそ日々精進を積み重ねてきたことが、今、現在の彼女のパフォーマンスの奇跡につながっているということを肌で感じざるを得ない。(※松本隆さんが、聖子さんは、「瞬間の人」」と話しているそうです。)
もう、ここに、この事実(30年前も現在も同等以上のパフォーマンスを発揮している)を体現していること自体に完全に感服というわけです。
私は正直、1980年代の松田聖子さんは素晴らしかった、それをニコ動や熱心なファンの方々のブログなどで‘再’発見できてよかったよかったと心底、思っていたのです。このコンサートに参戦するまでは。
ファンにならずとも私みたいなライト?なミュージックファン(J-POPSやオーディオファン)としては、黄金の1980年代の彼女のパフォーマンスを知らない(知らなかった)ということは、めちゃくちゃ愚かでもったいないことだというのは、彼女のCDなどを聴けば、すぐにわかるはずなのです。
ところが現実は想像をはるかに超えていました。彼女は、常にいつもいつも(誰がみていようがいまいが)こんなハイ・パフォーマンス(歌だけではない)を発揮し続けていたのだという事実。
いや彼女の32年間の全ての24時間をみることは絶対に不可能なのですが、きっといつもいつも日々鍛錬を続けていたと考えなければ、彼女の‘今’はとても説明できない。
彼女は過去も未来も否定も肯定もしていない。ただ、その時その時でやるべきことをやり続けている。過去の栄光を振り返ることもなく、ただただひたすらに‘今’できる最高のパフォーマンスを追及し続けている、そんなことをビシバシとステージ上の彼女の姿から感じました。
以下略」
芸能人や有名人のオーラって凄いと広く言われていることですが、今年歌手デビュー33周年、昨年50歳になられた現役アイドル 松田聖子さんの真価というか実力はとんでもないものでした。いや芸もそうですが、それ以上に、生き方に深く感銘を受けました。
「あり続けること」
それは、私にとってどういうことなのだろう、どれほど‘意味’のあることなのだろう。
そんなことを考えながら、自分に‘今’できることを積み重ねていきたいと思います。
今年もよろしくお願いいたします。
ではでは^^?
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