情念は時空を超えて! 開発民俗学講義 『クロスロード・オブ・ハッピネス』…地域研究者が地域開発に出会うとき
初出: facebook note: 2013年4月4日
アラブ・イスラーム旅行記・地理書研究者でアラビストであるしばやんこと私・柴田英知は21年前、研究者への道を断念し、何を血迷ったのか開発援助の世界に飛び込みました。
大学でアラビア語とイスラーム(宗教を基盤とした文化・文明)を学んだ私は、大学3年生のとき、文部科学省の科研費で行われた『イスラームの都市性」という東京大学の板垣雄三先生が中心になって3年間にわたって行われた騒然300名を越す日本中のあらゆる分野のアラブ・イスラーム研究者を総動員しておこなわれた文部省初の総合地域研究の中締めに全国の大学院生・大学生を対象におこなった「イスラームの都市性セミナー」に参加する機会を得ました。
東京大学の東洋文化研究所で5日間にわたって日本の第一線の中堅・若手研究者の連続講義を朝からみっちり聞いて、毎日夜は宴会で一体、何コマの授業を受けたことでしょうか。1990年代初頭の状況で、日本で考えれれるたぶん最高の「地域研究プロジェクト」の最先端の研究者と昼夜を共に過ごした研究は、何にもまして私の研究生活を考える上で最高の経験でした。
大学でアラビア語とイスラーム(宗教を基盤とした文化・文明)を学んだ私は、大学3年生のとき、文部科学省の科研費で行われた『イスラームの都市性」という東京大学の板垣雄三先生が中心になって3年間にわたって行われた騒然300名を越す日本中のあらゆる分野のアラブ・イスラーム研究者を総動員しておこなわれた文部省初の総合地域研究の中締めに全国の大学院生・大学生を対象におこなった「イスラームの都市性セミナー」に参加する機会を得ました。
東京大学の東洋文化研究所で5日間にわたって日本の第一線の中堅・若手研究者の連続講義を朝からみっちり聞いて、毎日夜は宴会で一体、何コマの授業を受けたことでしょうか。1990年代初頭の状況で、日本で考えれれるたぶん最高の「地域研究プロジェクト」の最先端の研究者と昼夜を共に過ごした研究は、何にもまして私の研究生活を考える上で最高の経験でした。
そう、大学3年生のときに私に「地域研究者」としての自覚とその面白さ、興味関心が芽生えたのです。
このときはそれほど意識していなかったのですが、ものすごい情報量であったことは間違いないですね。なにしろ、第一線の若手や中堅どころの先生方が、さらに若い大学生や大学院生を相手に朝から晩までかんかんがくがくやるのですから^^?
ともあれ、そのときはピンとこなかったのですが、その約半年後に東京で公開シンポジウムが開かれました。「第5回「大学と科学」公開シンポジウム 都市文明イスラームの世界-シルクロードから民族紛争までー」 平成3年(1991年)2月11日(月)~12日(火)」ということで論文集がまとめられていますが、演者が総勢21名、日本のイスラーム研究の英知が結集していたんですね。今、それをパラパラと読み返してみると。
ともあれ、地域研究論に入ると話題が尽きないので、その当時の私自身の覚書を紹介しましょう。
実は、イスラーム関係だけではなく、他に大きな知的?な出会いが大学時代にありました。それは、大阪外国語大学の若手の先生方が企画してくださった地球環境論という毎回違う講師をよぶリレー式講義でした。これまた、すばらしい先生というか先達(大学の先生ばかりではなくNGO関係者やジャーナリストなどさまざまな大人?の方が話をしにきてくださったからです)
なにかぜんぜん話が進まないのですが^^? 今、思うといろいろな意味で最高の学生生活を送ることができたことに改めて気がついた次第。感謝あるのみです!
そんな奔放な大学時代を過ごしたしばやんは、何を血迷ったのか大学院への道を急遽めざすことにします。
そのときから開発コンサルタント会社に就職するまでの話は実は、別のところにかなり詳しく書いているのでここでは省きたいと思います。
ちらみ?してみたい人はこちらをご参照!
■その2
まあ、その後、いくつかの挫折?を経て、今があるというわけでして!
大学卒業後、ほぼ7~8年ぶりに仕事とは全く関係ない(こともないですが)内省的な文章を書くという二足のわらじを履き出したのですが、それがすなわち歩く仲間プロジェクトの始まりでした。
そんなかんなで仕事を通じて世界と接する中で、いろいろ思い迷うことがあり、30歳代は、他流試合と称してさまざまな開発援助業界団体を訪問しました。
特に日本の伝統ある開発NGOの多くのセミナーや事務所に直接出向き、素性を隠したわけではありませんが、開発コンサルタント(会社の社員)であるというだけで、胡散臭い目で見られつつも、いわゆるべ平連以来のノン・ガバメント(反政府?)の闘士?である古参の創始者の人たちやNGOスタッフの人たちに教えを請うて回りました。まあ、別に誰に頼まれたわけでもないのによくやったと思いますね。
そうそう、それがきっかけで「歩く仲間」の名刺を作る羽目になったのです。しばやんの武者修行の一部はこちらでご覧いただけます。
さて、1992年9月から開発コンサルタント会社に籍をおいたのですが、とにかく7~8年は忙しくて忙しくて、東京と海外を行ったりきたりしていました。ただ、当時はちょうど、1980年代終わりのODA批判の嵐が吹き荒れた直後で、いろいろ日本の援助業界も大きく変わりつつある激動の時代でした。
いわゆる施設ものの‘経済インフラ整備’のハード重視から’人間開発’や‘持続的開発’が合言葉となったいわゆるソフト重視に急激に舵をきった時期で、本当に日本の援助機関(国際協力事業団や海外経済協力基金など)は、世論に押されて政治家にもちょっかいを出され、そうそう聖域なき改革が援助業界を直撃したのです。
とにかく1990年代の日本の援助業界は大きな変革の渦に巻き込まれ、われわれ開発コンサルタントも新たなチャレンジを余儀なくされました。日本の60年の政府開発援助の歴史の中でも1990年代の10年は、特に激しい変革のときであったと思います。
いわゆる施設ものの‘経済インフラ整備’のハード重視から’人間開発’や‘持続的開発’が合言葉となったいわゆるソフト重視に急激に舵をきった時期で、本当に日本の援助機関(国際協力事業団や海外経済協力基金など)は、世論に押されて政治家にもちょっかいを出され、そうそう聖域なき改革が援助業界を直撃したのです。
とにかく1990年代の日本の援助業界は大きな変革の渦に巻き込まれ、われわれ開発コンサルタントも新たなチャレンジを余儀なくされました。日本の60年の政府開発援助の歴史の中でも1990年代の10年は、特に激しい変革のときであったと思います。
その一番おもしろい?時期を援助業界の内部から世界を見ていたのですが、ひとつの限界を感じたのも20世紀の終わりから21世紀のはじめのことでした。
そのもやもやが私に「開発民俗学」というものを考えさせるきっかけになったのですが、何に疑問や限界を考えたのかは、おいおい今回の連続講義の中で明らかにしていきます。
さて、私の歩みをみていただくとわかりますが、私が開発コンサルタント(社員)時代からずっと探求してきたことは、地域開発そのものです。
若手会というインフォーマルな飲み会を企画して同年代のコンサルタントやクライアント、大学生・大学院生、NGOスタッフと語らい夢?を語ってきたことは、よりよい仕事をするためにはどうするかということだけでした。
みなさん、いろいろな立場で開発途上国の開発の問題に向き合っていました。私があえて開発コンサルタント以外の市民?であるNGOや官(役所の人たち)、学(大学の研究者、大学院生、大学生)とわざわざネットワークを広げようとしたのか、それは、自分が旗を振れるような年齢になったときに、最強のチームを作るためです。
みなさん、いろいろな立場で開発途上国の開発の問題に向き合っていました。私があえて開発コンサルタント以外の市民?であるNGOや官(役所の人たち)、学(大学の研究者、大学院生、大学生)とわざわざネットワークを広げようとしたのか、それは、自分が旗を振れるような年齢になったときに、最強のチームを作るためです。
なにか、こう言ってしまうと元も子もないのですが、今でも歩く仲間として袖を触れ合った人たちは、いつかどこかで一緒になにか仕事をすることができる潜在的なパートナーという意味で考えています。
いろいろと語るべきことは多いのですが、「地域研究」と「地域開発」については、日本でも非常にユニークで、たぶん当代最高の教育を受けた一人として、しばやんがあることは間違いないと思います。
確かにたいしたことをいっているわけではありませんが、自分が実際に歩いて感じて人と語らって、いわば自分の血肉となった知識や経験から問題を立てて解答(らしきもの)を歩きながら考えている私がここにいます。
とにかく自分がいろいろな先達から教えていただいたことや自分が考えてきたことを人にバトンタッチしていきたい。特にそれが若者であればいうことなしです。
たぶん、私のほうが先に逝くものだからです。
ともかく今、なんとかしないと世界はやばいと私は考えています。自分が立っているところを見つめなおして、次の一手をうたないと、取り返しがつかないことになる前に。
かなり独りよがりな話になるであろうとは思いますが、まあお時間がありましたらしばやんの顔でも見に来てやってください。私は、それだけでうれしいです。
セミナー会場でお会いしましょう。
ではでは^^?
(この項、了)
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