初出:フェイスブック書き込み 2013年11月2日
<プリンシパルと覚悟について・・・ 山本太郎さん問題によせて>
最近、山田太郎さんの天皇直訴?問題が話題になっていますが、今回はそのことについて、今時点の私の考えを述べます。
いきなり結論ですが、正直なところ、単なる‘パフォーマンス’か!と思います。
この事件の前も伊豆大島を慰問?してネット中継でつまらないミソ(自衛隊に関してスタッフとのやり取り)をつけているし。まあこの件についてはカメラマン(秘書)がバカかと思いますが、それはさておき、あまりに常識がないということと品がない。大島に関しては、遊び気分で行ったと人に思われるような服装や態度はあかんでしょう。結局、福島の直訴についても、結局、同じ眼でみてしまうわけですよ。
山本太郎さんの言いたいことや気持ちはわからないでもないが、がやり方が間違っているし、その言動について人につっこまれるような脇の甘さはいかんともしがたい。この点だけは、ちゃんと反省して国会議員としての軽率な言動についてまずはきちんと国民に謝罪すべきだと思います。
天皇陛下の政治利用については、そう取られても仕方がない。自民党がどうのこうのではなく、まず、そのようなことはしない。必要だと思えば、国会で議論すればよいこと。ゲリラ戦と割り切り、こうなることを見込んでやったのならそれもまたありの気もしますが、あまりに弁明が子供じみている。
しかも、陛下が福島原発や大震災の現状を知らないと思ってやったというのなら、その太郎さんの前提(思い込み)は決定的に間違っていると思います。皇室は皇室で、たぶん天皇陛下自らが悩んで考えてできるかぎりのことは既にしているし、実際に現場をみているわけですからね。天皇陛下が知らないわけではない、象徴天皇という憲法上の立場から動けないのですから。
きついことを言いますが、「簡単に天皇に頼るな!自分たちでなんとかしろ!それが日本国民だろう!」ということと、「少なくとも遊び感覚でちゃらちゃらしたやつに現場をみたなどと言われたくない」というのが私の本音です。
伊豆大島の件については、まずはきちんと現地の人や自衛隊員に謝罪をしてほしいと思います。
山本太郎さん、政治の世界で生きていくのなら清濁併せ飲んだ上で、組めることころとは組む、闘うべきところは闘うとやり方を考えないと、簡単につぶされちゃいますよ。海千山千の大先生?方がごろごろいるわけですから!
さて、その話は置いておいて、結局テレビやマスコミで、今ではフェイスブックなどのSNSでわいわいがやがややっていますが、そんな勢力闘争の足の引っ張り合いや権力争い、誹謗中傷などをみて誰がおもしろくて何の役にたつのか!ということが気がかりなのです。
最近、私は自分の生き方のプリンシパルとして、「‘楽しい’と‘おもしろい’」を基準としてよいのではないかと感じています。
あくまで感じているというところがミソで、理屈ではなく全くの感情(フィーリング)なんです^^?
大学のヨット部の同期の仲間で、もう25年も前になりますが、「オレは自分の好きなことしかせーへん」と豪語していた人がいました。学生時代には、あまり語ったことがなかったのですが、卒業する頃からいろいろ深く話すようになって、就職してから数年後の会話でしたら、私も当時、入社したてだったので、「いや、社会人だったらそれはまずいやろう」と言ったかどうかは忘れましたが、心の中でそんなことができるもんか!と思っていました。
たぶん、別のところにも書いたかと思いますが、とにかくユニークなやつで、大学時代から、フィアットのパンダというビンテージカーに乗ってみたり、3万円のトラサルディのジーパンとかタグホイヤーのフォーミュラワンという時計をつけてみたり、かと思えば、こだわらないところは全くこだわらない人で、しかしその自分のスタイルのためには深夜バイトもいとわずといったなにかスゴイ人で、卒業後に彼の滋賀の実家にいってびっくりしたのがアンチークの掛け時計のコレクションで、これは奇人だと思ったわけですが・・・。
結局、彼は彼なりのスタイルを貫いたみたいですね。
商社に入って10年後くらいにはイタリアのランボルギーニカウンタックを買ったときいて、またびっくりしたわけですが、(大阪で乗せてもらいました)会社の飲み会には付き合わず、部署も3年おきくらいにいろいろまわされたわけですが、本人も腐ることなく東京と大阪といろいろ異動しつつ、今は中南米のある国の所長さんをやっています。確か2回目か3回目かの海外駐在なのかな、こんな人が大手商社(6大商社の一つです)に、入ったわいいけどやってけるのかと思っていましたが、確かにいろいろありましたが、20年間、第一線で商社マンをやっています。
なにがいいたいかというと、ああ、こういう生き方もありかということなんですよね。新入社員当時の私は、まわりの大人の常識で、「好き勝手に生きれるわけなんてあるもんかい」と思っていたのですが、できてしまう人もいる。ただ、生き方を貫くのは本当に大変なことだと思うのです。
私が開発コンサルタントを退職するときに職場の大先輩から、「勇気」という言葉をいただいきましたが、決断と勇気は、社会で生きていくのに絶対に必要です。
一言でいうと「覚悟」ということでしょうか。
私もなんども挫折して失敗してまわり道をしてきましたが、そのときに、思う方向に進めなかったのは、準備ができていなかったことに加えて、覚悟ができていなかったからだと思います。
逆にいえば、覚悟ができないうちは準備ができていない、だから天は先に進ませないといえるのかもしれません。
まあ、世の中うまくできているなあと思いますね。
今回のことは、山本太郎さんにとっては、政治生命がかかっている大きな試練だと思います。だからこそ、謙虚に間違いは間違いだと認めた上で、建設的な議論を周囲の全ての方々とするようにしてほしい。安直な‘ヒーロー’になりたい感や中途半端な‘正義感’は、すぐに底が割れます。ここでしっかり叩かれて、再度、立ち上がれることができれば本物となりましょう。
私は、今の時点では、彼の自分の軽率な言動についての反省がきちんとなされない限りは相手にしません。(彼のブログの弁明は非常に見苦しいもので、正直、がっかりしました。)どのように今の世界をみるのも自由なので、私が言えるのは、それぞれが自分なりに考えてみようよということだけですね。
10年前の記事を引用して、なにか今回に関してヒントになるかと思ったのですが、結局、私はまだまだ何もわかりません。
ただ、変わったところは「‘楽しい’と‘おもしろい’」という自分の感覚に素直になろうという気持ちになったという事だけですね。たぶん^^?
蛇足になりますが、‘楽’しようとか'つまらないことは知らない’というつもりではないので^^?一見、つまらなそうなことでも、自分が楽しいと思えばおもしろいものに変わりますし、逆に、私がどのように思おうが思わまいが、それはそれとしてたぶんすっとあり続けるわけです、
つまり無視するつもりはありませんが、積極的に応援はしないということです。自分が楽しいとかおもしろいと思うところを突き詰めてなぜおもしろいのか楽しいかを言語化していくということでしょうか。そこから逆に何が楽しくなくおもしろくないかがみえてくるとも思うのです。まずは自分の心の奥の声に耳をかたむけてみる。理屈や論理とは別のところで、直感が何を求めているのか、なにに心地よさを感じているのかを突き詰めてみる。人の意見や話は一旦、外に置いておいて、そんな時間や余裕が必要なのではないのでしょうか。
ではでは^^?
おまけ: