もう一度、初めから
しばやん・久しぶりに@ホームです。
前回の書き込みから大幅に時間があいてしまいました。
まあ、いろいろなことが、それなりにあったのですが。
ちょうど1年前、プータロー宣言を思い切りウェブセも公言して浪人生活に入ったわけですが、ひょんなきっかけで公益財団法人アジア保健研修所というところにわらじを脱ぐことになりました。そんなかんなで、昨年末は、自分でも大幅に盛り上がっていたわけですが・・・。
今年の1月に業務で、事務局長とベテラン上司のお二人の女性の上司とスリランカに出張させていただく機会がありました。
私自身、5年ぶりの開発途上国へのアサインメントで、しかも初めての南アジア圏で、、それなりに楽しみにしてはいたのですが、正直、かなり落ち込みました。なにがと説明するのは難しいのですが、一言でいうと、今まで政府開発援助(ODA)の仕事で政府の関係者を中心に付き合ってきたので、いわゆる人権派のNGOの人なんて99%接する可能性はなかったわけですが、実際に会ってみて話してみると、今まで自分は何をみてきたのだろう。それなりに開発援助業界でやってきた(16年間)としても、私が見聞きしてきたことは、かなり限られたほんの一部でしかも一面的なものでしかなかったことに改めて気づかされ、正直ショックでした。
わずか15日ほどの旅でしたが、かなりインテンシブにいろいろな団体を訪問させていただき、私が今までのんきに考えてきた、政官民の壁をなくして協働の時代などとほざいていたのが本当に恥ずかしい。
NGOの世界をなめていた(つもりはないはずでしたが)、これでは、先に進めないということで、2月の大学院入試(書類審査)で願書は出して、一応、昨年の秋からかよっていた日本福祉大学の聴講の成績もつけていただいたわけですが、結局、2月末の結果通知で「合格」させていただいたわけですが、2月3月ともんもん?と悩んだ挙句、結局、大学院への進学は辞退しました。
結局、自分は、一体、誰の側に立とうとしているのかと振り返ったときに、少なくとももう一面の世界(NGO)があり、そこに足を置く機会が与えたのにも関わらず、それまでの限られた経験(ODA)だけを元に研究を進めることはできない。
あと新しい仕事内容が全然わからない中で、しかも秋に行なわれる国際研修という一番の仕事の山場が全然みえていない中で、新しい研究生活を始めるのも、いかにも無謀です。
しかもボランティアさんや元研修生の協力団体(海外のNGO)との接し方や仕事の進め方が、全然みえていない中で、自分のことだけに時間を割くのは、能力的にも物理的にも無理でした。
根本的にNGOの世界でやっていけるかと思っている中で、9月上旬から国際研修に突入しました。
現在、AHIには、6カ国から12名の研修生が宿泊して参加型の研修を行なっています。研修のファシリテーターの一員として、2週間、休みなしで朝から晩まで、時には研修生の部屋の空いたベッドに泊めてもらいながら、グループワークやワークショップをやってきました。
2コマほどですが、私もセッションの一部を受け持ちました。
まさか1年前には、自分が開発途上国の開発ワーカー(NGOや政府関係者)の若手リーダーたちに、英語で講義をしているとは夢にも思いませんでした。
なんどかセッションをもって彼女彼ら(12名中9名が女性)と日常的に接してきて、まだ5週間中、2週間しかたっていませんが、今まで自分がODAの現場でやってきたことが、それなりに通用するというか、基本的にやっていることは違わないんだということがわかって、かなりほっとしました。
なんとかこちらの業界でもやっていけるんじゃないの?、いや、やってみようというやってやろうじゃないか、という心持になれました。
これは、本当に、この数日のことです。
やるからには、私がいままで考えてやってきたことを、あらためて研修生たちと一緒に考えてみたい。今年は初めてなので、あくまで私が関われる範囲は限られていますが、AHIの先輩が34年の歴史の中で培ってきた国際研修というもののエッセンスを研修生と一緒に学ばせていただこうという感じで、明日からの研修に立ち向かえそうです。
ということで、迷走しているようですが、前には進んでいるみたいです。
もう少し元気がでてきたら、開発民俗学への途も再開します。って、まあ仕事の中でアドレスできているのが本当にありがたいです。
ではでは^^?