図書館・古書検索システム

しばやんが運営管理するブログなど

HP版・歩く仲間へのショートカット

無料ブログはココログ

« 2015年10月 | トップページ | 2015年12月 »

2015年11月の1件の記事

2015年11月15日 (日)

【2015年11月14日 フランス・パリの同時多発テロに思う】

初出:フェイスブック書き込み クロスロードオブハッピネス 2015年11月15日 9:25AM
※2015年11月16日 修正 安倍晋三さんの記事が間違っていたことと、文意にそぐわないため、一旦、削除します。

【パリの同時多発テロに思う】

みなさん、おはようございます。

昨日、またまたわれわれの未来を考える上で、非常に悲しい事件がおきました。そうパリにおける無差別テロです。まだ全容も背景もよくわかりません。

イスラム国が犯行声明を出しているとはいえ、つい先日もテロがあり、厳重警戒下であったはずの、5大国フランスの国力をもってしても防げなかったという事実は、その他すべての世界の限りなく100%に近い国々ではテロを防ぐことができないという厳正な事実を示しています。

別に落ち着いた他人事論をするつもりは、まったくありませんが、憤りや怒り以前に、この真実を目の当たりにしたときの、無力感のようなものを感じています。

さて、安保法案も通った、われわれ日本人は、これをみて何を思いどう行動するのか。非常に興味深い問題で、それはまさに自分自身の問題でもあるのですが、今、私が少なくともグループのメンバーの方にメッセージとして伝えられること、伝えたいことは、つまり

テロとの闘いに勝つことはできない。

「テロ(リスト)」という言葉の向こうにいる「人」が誰であるのかをまずは見極めること。

われわれが闘うべき、いやわれわれを敵とみなしている(さざるをえなく)人たちとはどこの誰で、なぜ、われわれを憎むまでになってしまったのか、その根本原因を知らない、少なくとも知ろうとしなない限り、彼らは絶対に私たちの目の前に現れないことでしょう。

いや、実は「テロリスト」というのは、われわれが見えない(みようとしない)だけで、われわれの内部にいるのではないかと思います。

だから今回のフランスであり、どこであれ「われわれ」しかいないと思い込んでいる中で、いともたやすく「テロリスト」がテロを実行できてしまう。

詭弁とか、自分を絶対安全圏においた無責任の放言とおおもいになるかもしれませんが、私としては、このような戦争と平和にまつわるさまざまな社会事象(問題)については、中学1年生(15歳)のときから30年間、継続的にずっと世界を歩きながら考え続けています。

ともあれ、今、われわれができることは、

即時に「テロとの闘い」を辞めること。

そして、「テロ(リスト)」とは何かを改めて冷静に考え直すこと。自分でいくら考えてもわからない(いわゆる先進国のインテリの)人たちは、まず自分がテロとみなした人に頭を下げて教えてもらうしかないでしょうね。

「われわれ(先進国の人)が、あなたがテロを起こさざるを得なくなるまでに追い詰めてしまった理由を教えてください」

今回のフランスの件でも、実行犯で逃げ切れなかった人はすべて「死んで」います。

さらに広くとらえると、たとえばアメリカがこれまでのテロリスト容疑者に対してしたことは、なんだったのでしょうか。結局、秘密の軍事施設に閉じ込めて拷問して(闇で殺してしまった)だけなのではないのでしょうか。テロリストへの尋問(拷問)から、何を、アメリカは学ぶことができたのでしょうか。その学んだこと(拷問で聞き出したこと)は、今までの世界の民衆の、いや太陽の面前にさらされたことは、たったの一度でもあったのでしょうか。

わたしは、今の世界システム自体にノーをいいたい。

自分の気に入らないもの、敵対するものを「テロリスト」とレッテル付けして武力で威嚇し、さらには虫けらのように自分たちの殺人兵器の在庫処分のために、無用の紛争や戦争をひきおこし、この血にまみれた「お金」だけを神とあがめたてる。

極論ですが、そんな馬鹿なことに価値を置き、それを「成功」としている世界的には本当に少数な人たちと、悲しいかな、そんな「成功」を、うらやましく思い、そうなりたい、それを人生の究極の目的としている人も現実にたくさんいるのです。

わたしもいわゆる”世俗的な”「成功」に関心がないわけでもありません。

でもね。その「成功」が何かを踏みつけにして誰かの犠牲にしか成り立たないものであるのであれば、「成功」の定義そのものを見直そうと考えるのは当たり前のことだと私は思います。

今、われわれがなすべきことは、

そもそも、「テロリスト」って何なの。勝手に頭が‘よさそうな’人が、自分の都合のよいように、適当にでっち上げた「敵」なんじゃないの。

本当の「テロリスト」とされた人って、どんな人などと個人のレベルで知ろうとすることが、今、求められています。

とにかく今、各国の当局者にいいたいのは「テロリスト」であろうというだけで「射殺」しないでもらいたい。「死人に口なし」といいますが、これは先進国による巧妙な「証拠隠滅」です。

イラクの「サダム・フセイン」にせよ、アフガニスタンの「ビン・ラディン」という「悪の枢軸」の大親分、「テロリスト」の元締めを、一言も世界に向けて釈明させることなく「処刑」してしまった先進国のスーパーパワーの人たち。これは、少なくとも彼らが代弁すべき「テロリスト」の発言を未来永劫に封印してしまったという、彼らの支持層だけではなく、世界市民のすべてに対する罪であると、私は断罪します。

自分の都合のよいルールしか作らない、自分の都合で勝手にルールを曲解する。敵とされる人の言論を封じ込め、口を開かせることなく「処刑する」、「世界の警察」は、私は必要としないし正直要りません。

ここで、うちの安倍晋三くんが、「テロとの闘いにもっともっとがんばる。自衛隊を世界の警察としてもっと活躍してもらう」などと言ったら、もう笑うしかないですね。正直、泣き笑いです。

わからないときほど、立ち止まって考える。

今までやってきたことが間違っていたのかもしれないと気がついたら、逆に、反対のことを考える。

つまり、われわれが勝手に「テロリスト」といっている人って誰なの。この定義(ラベリング)が間違っているのではないの?と思うのが、普通の大人の考えることです。

自分の足元を、自分の思い込みや固定観念を疑うことなしに、「テロリストはいけないんだ。もっともっと懲らしめてやる」というのは小学生以下の幼児の発想です。

安倍晋三さん。私は、あなたがそれほどの幼児ではないと思っていますよ。吉田茂の孫が、それほどおろかではありますまいと、私は信じたいです。 (2015年11月16日削除。ちなみに、安倍晋三さんは、岸信介の孫、佐藤榮作の曾孫にあたります。吉田茂の孫は麻生太郎でした。訂正の上、削除します。)

ではでは。

この文章に関するすべての質問や議論は受けて立ちます。
ただし、公開の場での討論を希望します。

影でコソコソやられても、私は、まったく対応いたしませんので、あらかじめご了承ください。

2015年11月15日 AM9:25 フェイスブック書き込み 初出。

« 2015年10月 | トップページ | 2015年12月 »

フィリピン・ファン