【歩く仲間通信 20170907】
みなさん、こんにちは。
あっという間に、夏も終わり9月となってしまいました。ご無沙汰しております。
自分自身、4月(1日、まじホントです)生まれということもあり、冬季はどうも気分がふさぎがちで冬眠?状態なのですが、暖かくなるにつれて、馬力が出てまいりました。ほぼ毎年、所詮は人間も動物だなあと思わされています。
さて、前回の報告以降、また新しい出会い、そして昔からの友達や、尊敬、敬愛する恩師や先達に、もう十年ぶりとか何十年ぶりかにお会いする機会もあり、そのような場にめぐり合えたこと、そしてなによりも自分が参加することができたことに感謝しております。
【後ろ向きに抗う(その1)まずは空からの爆撃をやめよう!】
最近、北朝鮮の問題や、もりかけ問題など、忖度やら記憶にございませんなど、もう国内外、あれやこれやの問題が山盛りではありますが、どうも世間(といってもフェイスブックなどいわゆるSNSの‘ネット民’の動きが目につくのですが)の論調が、なんともなあといった感じで、正直うんざりしています。
社会正義のため?の政権や時局批判はいいけど、なにか的外れというか、自己満足の「批判のための批判」になっていないかどうか、「言ってはみたけれど自分に何ができるのか」を棚上げにした、文句をいうことだけにカタルシスを感じているのではないかという言説が多いです。
というか、そもそもネットの世界では特に、声の大きな人、これは右も左も、賛成も反対にも関わらず、声を上げるのは両極端のそれぞれ一割の少数の人で、中間の八割の普通のひとは静観しているだけという世間の縮図でもあるのですが、本当にここのところ、政府のマスコミへの統制もひどいし、マスメディアもくだらないゴシップしか取り上げないし、いったい全体どうなっちゃってるのと思うことばかりです。
と、私も自分の不満をここで愚痴っても仕方がないので、前向き?な提言をしていきたいと思います。まずは、この課題から。
1.まず空からの攻撃を禁じ手にしよう。
今年の8月に1週間ほど、ほぼ2年ぶりに海外旅行に行ってきました。目的は、インドネシアのジャカルタの友人に会いにいくのがメインで、ついで?に、ジョグジャカルタに移動してボロブドゥールとプランバナンの世界遺跡をみてきたと同時に、格安チケットという都合で、ベトナムのホーチミンを訪れました。
実は仕事や会社の社員旅行以外の完全にプライベートの海外行きは、1993年以来ですから、24年ぶりです。
訪問先では、それぞれ充実した観光なりができたのですが、久しぶりに飛行機にのって思ったのは、空から地上を視ることによって、果たしてどのように人間の意識(世界認識)が変わったのかということでした。
今でこそ、宇宙から地球をみる(といっても肉眼ではなくカメラ経由ですが)のも当たり前で、コンピューターグラフィックスでは、自由自在に宇宙を映像化することができるわけですが、実際に肉眼で地上をみた飛行機乗りたちは何を考えたのだろうか。商業航空がはじまって一般人が飛行機や飛行船に乗って、何を考えるようになったのでしょうか。
そんなことを思いながら、名古屋からジャカルタへの朝の便で雲の上を飛んで、ちらちら地上をみながら行ったわけですが、ベトナム航空の乗り継ぎで一泊することになったホーチミンで、立ち寄った「戦争証跡博物館」でみた、いわゆるアメリカ合州国のベトナムへの侵略戦争の写真や、アメリカ軍のヘリコプターや戦車、爆弾などの展示の数々をみた日には・・・。
ベトナムへ国家(アメリカ)により狩り出された(ここが重要)アメリカの兵士の人たちに同情はするものの、空から爆弾は落とすは、枯葉剤(という化学兵器)をばらまくは、いかにめちゃくちゃなことをやったのか、もう怒りをこえて、あきれるというか、白黒写真に残されたアメリカの兵士たちに、「いったい、あなたたちは、なんのために何をしに、ここ(ベトナム)に来たんだ!」と尋ねざるをえませんでした。
近代資本主義国家が、戦争という破壊するだけにしか役立たない兵器や爆弾などの消耗品を、法外なぶっかけ価格で、国家予算(これは税金)でお買い上げいただいた(もちろん皮肉です)死の商人たち(今の多国籍企業の過半数でしょう)が、どれだけ戦争でもうけたことかと思うともう気が狂いそうになりました。
しかも枯葉剤を浴びせられた人たちは今でも何世代にもわたって後遺症で苦しんでいるのに。
戦争自体は、何も生み出していません。アメリカの指導者も冷静に考えてほしい。あなた方がやった破壊行為は、犯された側の憎みと恨みしか生み出していないだろうと思います。
でも日本の軍需工場でもそうですが、その中で働かされた(勤労奉仕)人たちや兵隊さんたちは、まじめにお国のためにやっていたわけですから、戦争をする側もされる側も、結局、泣きをみるのは政権や利権と関係のない普通の人たちという構図は今も昔も変わりません。
でも、そのような政府をみとめてしまったことは‘どの国民’にも責任がありますから、日本だけでなく世界中の先進国は、資本主義が踏みつけにしてきた人びとや地域に対して、総懺悔をしなくてはなりませんね。植民地時代にさかのぼって。
何十年、何百年前であれ、自分の親や先祖がしてきたことについても、一旦、自分の問題として内面化することにより、次に何をすべきかがみえてくるというものです。
結局、所詮、今の近代資本主義国家体制が矛盾だらけの不完全なものでしかないという現実を認めた上で、漸進していくしかない。
昔なら、短絡的に気に食わないからぶっ潰すとか言ったり思ったりしていましたが、さすがにアラフィフになってくると、単に否定して(外から)破壊することにはなんの意味も無く、内側から徐々に変えていくことのほうがはるかに難しく、でもやりがいがあるということに気がつくようになりました。
また、自分の専門である国際協力の分野にひきつけて言うと、貧困撲滅とか海外援助をどうこう言っている場合ではなくて、まず先進国が武器を捨て、軍需産業が儲からないような世界にしなければならないと本気で思います。
でもまあ、日本の政府のお偉さん方の世界認識って、一体なんだろうって思います。広島や福島、どこでもいいですが、現場に立って一体、何を感じとっているのでしょうか。
かなりぐたぐた書いてしまいましたが、今、自分が考えていることは、やはり歴史に学べということです。なぜ、そのとき、なにがどうして起こってしまったのか。いいことも悪いこともなんらかの理由があるはずです。あと注意すべきは、今の視点と当時とでは当然、パラダイムそのものが違うであろうこと。
過去に書いた記事ですが、今の記事に関係しそうなものをちょこっとだけ紹介しておきます。
初出: mixi日記 2011年9月10日
一部を抜粋します。これを読んでいただければ、今の政府の北朝鮮のミサイルに対する退避訓練(命令)が、いかにばかげたものであるかがわかるはずです。これが実際に世界で働いている人たちのグローバルスタンダード(偉そうにいってすみません)です。
「そうそう、重要なことを言い忘れるところでした。田中さんの報告によれば、スイスとイスラエルは、100%だそうです。何がか?
核シェルターの全人口に対する配備率だそうです。
ちなみに、ベスト5は、3位 ノルウェー 88%、4位 アメリカ 82%、5位 ロシア 79%、6位 イギリス 67%、 そして我が祖国の日本は、0.02%。」
■2年目の9.11(ナイン・イレブン)の前に考える(自分の頭で考えるということ) 2003年9月9日
もう14年も前の記事ですね。ちょっとだけ引用しておきます。
「私はあえて問いたい。本当の人々の闘いは、今この場所からそれぞれの立っている足元から始まるべきことを。確かに「山のあなたに 幸いを求め」たい気持ちはわかる。そんなに素晴らしい世界が、仮にあるのなら、誰もが行きたいであろう。むのたけじ氏は、『詞集たいまつ』の50に、このように言っている。
「遠い空も近くの空も、一つの尾根だ。山のかなたの空にあるものは、山のこなたの空にあるものである。山のこなたにないものは、山のかなたにもない。」」
「以下、非常に長くなるが、最近何度目かに読み返して、気がついた宮本常一氏の文章を引用したい。(『民俗学の旅』 講談社学術文庫 1993、146頁を参照)
終戦直後の昭和21年に渋沢敬三氏を東京に尋ねた折の時のこと。
「ちょうど役所(先生は当時大蔵大臣であった)から帰ってきた先生は「幣原さん(当時首相)は大変なことを考えておられる。これから戦争を一切しないために軍備を放棄することを提唱しようとしておられる」と昂奮気味に話された。
「軍備を持たないで国家は成り立つものでしょうか」とおたずねすると「成り立つか成り立たないかではなく、全く新しい試みであり行き方であり、軍備を持たないでどのように国家を成立させていくかをみんなで考え、工夫し、努力することで新しい道が拓けてくるのではないだろうか。一見児戯に等しい考え方のようだが、それを国民一人一人が課題として取り組んでみることだ。その中から新しい世界が生まれてくるのではなかろうか」と言われた。」」
この「一見児戯に等しい考え方」を「大人の現実」にすることが、今年70歳を迎えた「日本国憲法」をもった日本人自らがやることだと思うのですが、いかがなものでしょうか。
もちろん「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、」世界中のみなで取り組む問題ではありますが。
なぜに、しばやんがビートルズを語るかと思う人がいるかもしれませんが、私は中学生の2年生のときに市の英語スピーチコンテストに学校の代表で出場して、その会場でなぜか「レット・イット・ビー」を出席者全員で合唱させられた?のがきっかけで高校生時代(1986、87年頃か)、かなり集中してビートルズを研究?しました。全曲、聞き込んでいます。
ただ、この記事のキモは、映像(映画)の中にこめられた意図を考えるということの楽しさとでもいいましょうか。なににだって考えるヒントは隠されているということですね。私が言うまでもないことですが。
■ザ・ブルー・ハーツ 『ザ・ブルー・ハーツ』 2008年3月31日 (月)
最近、まちづくりのセミナーでお会いした講師の方(女性)が、たぶんわたしより一回りぐらい下だと思うのですが、長渕剛とかブルーハーツが好きだという話をきいて、懐かしくなりました。
こちらでは詳しく書いていないですが、「爆弾が落っこちる時」という曲は、いま聞いても秀逸です。画像はこちら。
「・・・ 爆弾が落っこちる時 何も言わないということは
爆弾が落っこちる時 全てを受け入れるということだ
・・・ 大人も子供も関係ないよ 左も右も関係ないだろう?」
そうだ。そういえば、この記事で、このことが言いたかったんだ。
まじめに「空から爆弾を落とすこと」は禁じ手にしてみませんか。
とある国々では、スターウォーズとかまじめにいっていますが、人間が空を飛べるようになったのは、爆弾を落とすためでは絶対にないと私は思います。
では、なぜ人間は空を飛び、世界を空中から見ることができるようになったのか。案外、そんなくだらない?ことを考えることから、何かがみえてくるのかもしれません。
P.S.
ブルーハーツのYouTubeのリンクをはったら、思わず自分が見入ってしまいました。歌詞つきでパフォーマンスをみると、えっ、こんな曲だったの?という驚きがあっておもしろいです。適度に、はまってください。
ではでは^^?
柴田 英知
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