図書館・古書検索システム

しばやんが運営管理するブログなど

HP版・歩く仲間へのショートカット

無料ブログはココログ

« 2017年9月 | トップページ | 2018年5月 »

2018年4月の2件の記事

2018年4月30日 (月)

【今日の世界をより楽しく生きるために(その1)】


みなさん、こんにちは。

なんとなくこのグループの投稿がただ仲間(これは事実ですが)のイベントを紹介するだけのシェアオンリーみたいになってしまって、単なる情報グループになってしまっているのではないかという自己反省から、もう少し「闘う知識人」のグループとしてのアイデンティティを前面に出すことにしました。

テーマと構成は、このグループの主宰者のしばやんが、不定期に、ワンテーマで読切の記事を書きます。それを基にみなさんで議論を深めようという企画です。

まず、第一回目のお題目は、こちらです。

(第1回)「知は力なり、ただしそれは開かれたものでなければならない。 by 柴田英知 1991」

実は、この言葉は、もう大学生の頃からですから、もう20年近く唱え続けていることなので、人によってはもう聞き飽きたという方もいるかもしれません。
ですが、そもそも私が外部に向けて文章を書くのは、この言葉にこだわり、かつ、ここにしか自己の存在理由を見出すことができないからでもあります。

すでにお察しのとおり、「知」とは、単なる「情報」以上の、かなり広いものを指しています。例えば科学技術なども含まれるでしょうし、もっと身近には自分や知人の醜聞みたいな極めて個人的な「恥ずかしい」ことも含まれましょう。

わたしが思うのは、その「知」そのものが力であり、例えば、特定の権力者が他の誰もが持てない権利や力を持つ、卑俗的には、人の弱みを握ることにより、その知を(暴)力に変えてしまう、いわゆるハラスメントというのも個人や団体間での「知」と「力」をめぐるせめぎあいです。

ここでいきなり「正義」論に話を飛躍させることはしませんが、上の言葉には、「力である知」は、そもそも誰のものであり何のために存在するのかという問いが隠されています。

わたしは「知」や「力」に、そもそも正義や倫理を求めていません。なぜならそれらは、それが置かれた状況によって正義にも悪にもどちらにもなりうるからです。

せめての願いは、だれもがその「知」や「力」にアクセス可能なものであってほしい。

わたしは、ヒエラルキーの存在を否定はしませんが、いわゆるサミット主義には反対です。世界賢人会議とか特定のエリートや賢いとされる人々にわれわれの生をゆだねることに断固反対します。ギリシアの賢人は、衆愚政治を呪ったそうですが、わたしは「衆愚」の知恵の方が、一部の「賢者」の知恵にまさると信じています。

前書きで、「闘う知識人」と書きながら、自分の中でも失笑していました*。なんらかの力を持つものは、それに応じた社会的な責任を果たすことが求められています。

それは、その「知」や「力」を、「自分の考え」で使うのではなく、それをかみ砕いて自分以外の人びとや社会に開いたものにしていく、その中で、みなが考えるための材料として提供することにより、みずからの「自分の考え」をより世の中にとって意味のあるものにしていく、それが、「知識人」が「闘う」ということの意味だと思います。

ものの原義は知りませんが、私の立場からすれば「知識人」が時の権力なりと「闘う」という意味ではなく、「知識人」が自分のエゴやプライドと「闘う」ことにより、「知」や「力」をもった一部のエリートの中での主導権争いをするのではなく、独占されていた(いる)知を開いたものにすることにより、本当の意味における「人びとの闘い」につなげていく。

これは「知」や「力」を、だれの側にもっていくのか、いや、そもそも「知」や「力」は、だれのものかという命題につながっています。

そんな青臭いことをひたすらに考えて実践していく。そんなことを常に考えながら生きています。

ではでは^^?
*しばやんは、こんな偉そうなことをいいつつ、自分を「知識人」の側におくことに何のてらいもないのかといわれたら、身も蓋もありませんが、客観的にみれば、どうみたって私は「知識人」の側にいる、比較的自由に「知」にアクセスできる立場にいることは間違いがありません。このアクセス可能であるということは、いろいろな含意があります。言葉の問題やアクセスすること自体に何の制限も今のところは課せられていないことなど、今の時点に限っていえば、世の「知識人」といわれる人たちと何の遜色もない「めぐまれた立場」であることは事実であり、それを隠したり偽る意味はないと考えています。

柴田 英知

2018年4月 9日 (月)

【歩く仲間通信 20180409】(PDFおまけ付)

みなさん、こんにちは。
ご無沙汰しております。新年のご挨拶もしないままに、4月の新年度を迎えてしまいました。特に新しくお知り合いになれた方々には、なんとか感謝だけでもお伝えしたいと思っていたのですが、ずるずると持ち越してしまってごめんなさい。
歩く仲間の名刺を持ち歩いている、一見?あやしげなお兄さん?の柴田です^^?
今年度も引き続き、よろしくお付き合いいただければと存じます。
■年男になりました!
実は、わたくし、4月1日が誕生日なんです!エイプリールフールなので、例えば、父親が休もうとしたら会社からいわれたといういわくつきで、はや何回目でしょうか?
別に若作りをしているわけではありませが、最近、知り合った人には、3回目くらいでしょといわれますが(正直うれしい)、実は4回目なので48歳になりました。
以前も「人生30000日」という話をしたかと思いますが、私がフィリピンのマニラ駐在時にこの言葉を聞いたのは、たしか33歳頃でした。
その言葉を、同業他社の同じマニラで駐在したしているちょうど43歳頃の先輩に話したら、「やべえ」とやたら焦り出したのを今でもありありと思いだします。
わたくし、その時は、まったくピンときませんでしたが、いざ自分が43歳になってみると、その実感がじんわりとわかってきました。30000日、つまり83歳くらいまで無事に生きれたとして、41歳って、ちょうど半分なんです。(ついさっきまで43歳が半分だと勘違いしていた!)
ともあれ、今年の年頭に48歳になるなあ、そんなもんかと思っていたのですが、ちょっと風向きが変わってきました。
今年の2月に、よく知った開発援助業界の先輩、具体的にはアジア経済研究所の佐藤寛先生の還暦(退職)祝いのパーティーが東京にあり、私自身も、もう20年近くお世話になっているので、参加させていただきました。
その時のフェイスブックなどのやり取りで、佐藤さんと同じく「開発援助と人類学」勉強会を仕切っていた国際開発センターの田中清文さんや、「国際開発メーリングリスト」や「国際協力マガジン」を主宰していた野田直人さんなど、日本の開発援助業界?の風雲児たち(ほぼ10歳年下のネクストジェネレーションの私たちは勝手に三羽烏と呼んでいました)、このレジェンドの人たちが、なんと三人とも還暦ということが次第に明らかになりました。
これは、わたしにとって、「人生30000日」以上にショックなことでした。
確かに、50歳の間近になれば、どの民間企業でも(出世の)先が見えるとはサラリーマン時代から聞いており、言葉としては知っていました。
ただ、自分は10年前に開発コンサルタント会社を辞めて、5年前まで勤め人をしていましたが、自分的にはフリーランスなので定年はないので、75歳くらいまでは現役で好きな研究とコンサルタントで金を稼ぎかつ働こうと思っていたのですが、次の一回り(12年)で還暦かよと思うと、がぜん焦りを感じ出しました。
これは、はやく論文を上げないと本当にまずいです。
実は、昨年度に修士論文を完成できなくて大学院3年目になってしまったのですが、さいわい今年の1,2月で、研究の方向性が定まって、次のステップがみえてきましたので、今年度は修論の完成と、来年度以降も研究を続けられるようにコンサルティング業務(こちらがわたしの本業^^?)にも力をいれたいと思います。
■「元」はなにかを考える(ゲットバックと忖度について)
閑話休題。昨年度末から自分のこととしても、社会のこととしても、ずっと考えていたことがあります。
今、わたしは愛知用水の歴史的な研究を、久野庄太郎さんという発起者のひとりの篤農家の『躬行者』というB4両面刷りのB5右開きの4ページの個人雑誌の全100号の解析を通しておこなっているのですが、久野さんが、ある号で「自分の元はなんだ」ということを、お師匠さんの山崎延吉さんの言葉として自問しています。
その記事を読んで、わたしもふたつのことを考えました。
<ゲットバック>
結局、わたしも研究を進める過程で、「元」を忘れて迷走していたのではないかと。
↑これが、わたしが最初に「歩く仲間」というホームページをつくったときの巻頭言です。
↑こちらが、ちょうと5年前に、大学院で自分の経験をまとめようとホームページとブログで書きためてきた記事を68ページの冊子にまとめたことと、その巻頭言にふれた記事です。実は、その後、3月にも増刷をしまして、おかげさまで、累計560部が、歩く仲間の手にわたったことになります。郵送で送った人は50名位でしょうから、500人以上に、直接お逢いしてお話をした上で、「歩く仲間」として手渡ししている勘定になります。
この巻頭言に、こうあります。
――――――――――――――――――――――
ひととひとをつなぐことによりモノと情報が流れる
-まえがきにかえて-
知は力なり。そしてそれは開かれたものでなくてはならない。 (柴田英知 1991)
ただし、その裏書として、
「「他人の気持ちがよくわかる人」は誉め言葉だが、わかった気ちを弄ぶことができるのもそういう人。」
(現代会社の基礎知識 中川いさみ『大人袋③』小学館 1998 159頁)
 本著は、わたくし柴田英知の『アラブ・イスラーム学習ガイド 資料検索の初歩の初歩』 シーシャの会(1991)に続く2冊目の著作となる。
 1970年生まれ、新人類といわれた団塊ジュニアの世代である私が1992年3月に大阪外国語大学(現大阪大学)外国語学部アラビア・アフリカ語学科アラビア語専攻を卒業し、株式会社三祐コンサルタンツという農業・水資源・地域開発の専門民間開発コンサルタント会社で、東京をベースに12年間、2004年3月より2008年6月までフィリピンのマニラ駐在員として政府開発援助(ODA)の現場で、歩きながら考えた‘世界’と‘開発’についてのささやかな論考である。
 ようやく仕事に慣れ始めた30歳前後から自分(達)のやっていることについての疑問や迷いが生じるなか、ひょんなきっかけからホームページを開設し(2000年3月18日)、「歩きながら考える」というエッセイと並行して「開発学への途(のちに開発民俗学に変更)」という連載をホームページ上で展開することとした。
 また同時に、会社の名刺とは別に、「歩く仲間」の名刺をもって、武者修行のためNGOや学会のセミナーや勉強会に他流試合にのぞみ、若手会という同世代の開発援助関係者(開発コンサルタント、政府関係者、NGOスタッフ、大学(院)生)などのインフォーマルなネットワークの世話人などをさせていただいた。
(後略)
つまり、「知は力なり。そしてそれは開かれたものでなくてはならない(柴田英知1991)」
これが私の大学生時代に悟った?原点であり、「元」にあたる「信念」みたいなものです。
実は、愛知用水研究の中にでてくる山崎延吉は、明治の人でもう100年以上前に、同じようなことを言っていました。
彼が1901年に安城農林学校の校長先生として29歳でまぬかれた時に、初代校長(もと愛知県立農林学校なので、愛知県でこのような高等専門学校を始めてつくるときに)としていったことが、「教育を社会に開く」ということで、学問は学校内にあるのではない、よい生徒を育てるには、社会の教育化をしなければならないということでした。
例えば、東京から優れた学者や行政官を読んで講義をしてもらうと共に、農林学校の演習の圃場(田畑)と演習林を、近隣の農民に自由に見学できるように開放して、学校の先生が営農指導や講義や、実際に生徒と共に作業をさせたといいます。
「農民も、年に2、3回は農林学校にこないといけない」ということで、地域ぐるみの社会教育をすすめたんですね。それが、「日本(の)デンマーク」という大正時代から昭和初期にかけての愛知県が日本有数の農業先進地になった原因の一つだともいわれています。
わたしなんかと較べようもないグレートな(偉大)な先達のことを研究の過程で調べているわけですが、この山崎の考えの根底も、「進んだ近代技術(科学)を地域の皆が共有できるようにしないといけない(農民の幸福はない)」という近代知識人としての矜持といいましょうか、金沢の藩士の生まれで東京帝大の農科大学(駒場)に学んだエリートとしての責任感がとてもあったのだと思います。
(あと、これは蛇足というかおまけですが、ビートルズの「ゲットバック」について、こんな記事を書いています。後でご笑覧ください。
ちなみに、このl記事を書いた後で、『Get Back Session』のブート版(海賊盤)を手に入れています。)
<忖度について>
いわゆるモリカケ問題、基本的に私は政治的な発言はしたくないのですが、この数ヶ月の安倍政権の対応は、非常に見苦しいものがありました。
わたしは、「ノーパンしゃぶしゃぶも忖度もわかる、歌って踊れる(開発)コンサルタント」として売り出してもいいんじゃないかと自分を評価しているのですが、1992年から2008年まで、政府開発援助(ODA)の仕事で、霞ヶ関とも相手国政府とも、もちろん開発途上国の現地の人たちとも付き合ってきたので、この背景も構造的なものもある程度、理解できるし、「清濁併せ呑む」ことの重要性も少しはわかっているつもりですが、あまりにお粗末で、また一国民として非常に情けないものでした。
ただ、安倍さんや今の政府をどうこう言うよりも、わたしが一番、大切だと考えていることは、まさにポスト安倍で、どういう布陣で日本という国を立て直すかということです。
それは、間違いなく5年以内、早ければ今年にも政権が倒れるかもしれない。そのときに、わたしたちの世代が日本を担えるだけの、実力と備えをしているのか、その一点だけが心配です。
安倍さんをとりまくエクストラと、「わたし」との闘いは、もう一回りぐらい前から続いているので、今のていたらくは、まったく私にとっては想定内なのですが、自分たちに何ができるのか、仲間たちとの協議と調整にそろそろ乗り出さねばと、勝手に責任感?を感じています。
焦っても仕方がないので、とりあえず自分のできることをしていますが、本当に時間がないと思います。安倍さんたちのとのバトルについてはこちらを参照ください。
ちょっと更新が滞っていますが、他のタグのブログや、今までの「歩く仲間」通信でも、この問題はしつこく言及しています。
わたしが、今まで、いろいろな市民団体の人たちと話してきた経験からいえば、アンチ安倍や反政府、九条を守れとか、一つの価値観だけを全面に押し立てることは、逆にまずいのではないかと思っています。
あくまでフラットな議論の場を作らないと、賛成派と反対派と申しましょうか、それだけでない、普通の人たちを巻き込むことができません。
■行政と市民の協働について(おまけ)
またまた今回も文章が長くなりました。上の件とも関係しますが、3月に市民ネットワークの会議に、個人で参加したのですが、個人ジャーナルをしている人から投稿を依頼されました。
そのPDFファイルをメールで配布してもよいという許可をいただきましたので、おまけで「4_20183_.pdf」をダウンロード ジャーナルの一号分の全てを添付させていただきます。
今まで散々、自分でHPやブログで発信してきましたが、人から依頼原稿を頼まれるのは、初めてのことでした。そのような、機会を与えてくださったことについて深く感謝しています。
では、今年度も、またよろしくお願いいたします。
P.S.
よりしばやんを知りたい、特に初めてお会いした方へ。
こちらの記事に、「歩く仲間」に至る、わたしの学問や仕事での遍歴がまとめてあります。
ではでは^^?
2018年4月9日
柴田 英知

« 2017年9月 | トップページ | 2018年5月 »

フィリピン・ファン