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2019年5月の1件の記事

2019年5月 2日 (木)

【歩く仲間通信 20190501】令和をむかえて

みなさん、こんにちは。

 

ご無沙汰しております。

しばやんこと柴田英知です。不定期発行の「歩く仲間通信」です。初めて、ご覧になる方もいらっしゃるかと思います。

このメルマガは、わたくしの近況報告と、みなさんの研究や実践活動などに、ほんの少しでもお役にたてたらと考えて発信をしております。

今回のお題は、二つです。

 

■平成から令和にかけておもうこと

⇒ 昭和天皇の崩御と令和天皇の婚礼の儀

さて、ご案内のとおり、昨日から今日にかけて天皇陛下の代替わりがおこなわれました。平成天皇の退位と皇太子さまの令和天皇への即位、みなさまいろいろな感慨をもって過ごされていることと思います。

わたしの平成の始まり、つまり昭和の終わりは、大阪外国語大学の2年生の冬のことでした。なぜか1月のあの時、京都大学に進学していた幼馴染のところに遊びに行っていて、たまたまだか、二条城に記帳にいったというかすかな思い出があります。

令和天皇、昨日までの皇太子さまのご成婚は、わたしが1992年に開発コンサルタント会社に就職して3年目のことでした。事務所が赤坂溜池にあったため、前日に溜池で飲んでいて、深夜にタクシーで皇居の玉砂利の間を通って亀戸のマンションに帰った記憶があります。ご成婚の日は、朝から雨だったのですが、べろんべろんの頭でテレビをみたことを思い出します。

海外の仕事をしていたので、書類などでは元号をあまり使わなかったため、いまでも西暦と平成の変換が苦手でした。この令和と西暦の変換も難しそうので、わたしとしては、おそらく今後、元号で出来事を覚えたり語ることは少ないでしょう。

わたしが知覚できる元号は昭和までで、それ以降は、西暦のみで考えている。元号をなくせというつもりはまったくありませんが、ローカルな暦を保持している日本という国も、まあユニークでいいものだ、という程度のものかなというのが実感です。

⇒ 平成とわたしの歩み

わたしは、平成4年に大学を卒業して、開発コンサルタント会社で東京をベースに海外の政府開発援助の仕事にかかわって16年間。退職して、地元のマリングッズの専門商社の通販部門の企画営業を5年間、国際協力NGOで一年間、そして小休止をはさみながらも、大学院に進学して今年の秋に前期課程を修了予定。

上記のそれぞれのイベントを西暦でいうことは簡単ですが、平成何年のことだったかを即答することができません。

あと、平成の間に、2000年をまたぐというビッグイベントがあったのですが、はて平成何年が2000年だったのかすら覚えていないわたしがいます。

大学生から社会人へ、いろいろ転職を重ねながら、いまだ大学院生(博士前期=修士)として平成を終わる。平成の30年間は、奇しくも、社会人の実務経験を大学と大学院でサンドイッチする形となりました。学生で始まり学生で終わる。平成とは、本当にあっという間の30年間でした。

結局、平成年間に大学院を修了できなかったことが、残念かといわれば、別にそんなこともなくて(今、考えました)、「令和元年」の大学院の修了証書(絶対にとる)は、それなりにレアではないかなどと、ほくそ笑んでいます。

なぜなら、来年3月の卒業者や修了者は、令和2年卒業や修了となりますから。

 

■足元を深く掘ること (過去ブログの整理とコンテンツ化)


さて、今年の9月の大学院修了後は、まずは、収益を上げることに専念したいと思っています。

⇒ 新しい仲間との協働 ビアグループワークを通して

「歩く仲間」として、事務所を名古屋に構えたところまでは、昨年末の前号でお伝えしましたが、そのセミナーの開催の過程で、高校生から社会人まで熱い想いをもつ新しい仲間たちとの出会いがありました。

何人かの気の合う仲間とグループとして、お付き合いをさせていただいております。それぞれのメンバーが自分自身の課題とプロジェクトをもっており、定期的にズーム会議をしたりしています。

お互いに相談し励ましあうピア・コンサルティングみたいなことをわたしが指揮している、というよりむしろ、わたし自身が、いちメンバーとして、みなさまから、いろいろ学ばせていただいております。

これらの方々のお力も貸していただきながら、チームとして、プロジェクトを組み立てて、収益のある事業に育てていければなと思います。


⇒ 一人でできること、10人でできること、そしてスケールの問題

まちづくりのコミュニティデザイナーの山崎亮さんもおっしゃっていますが、一人でできること、10人でできること、100人でできること、1,000人でできることは、当然違います。

わたしは、地域開発の仕事をずっとしてきましたが、地域の規模の問題(スケールの問題)を棚上げにした議論が、学界でも、多々みられたかと思います。

実は、もう12年も前の記事ですが、このような発言を現場から発信しておりました。


参加型開発理論の盲点、スケールの問題 2007年5月13日 (日)

http://www.arukunakama.net/blog/2007/05/post_97e6.html

(全文はこちらのHPでご覧ください)
http://arukunakama.life.coocan.jp/blog078.htm

以下、後段を、引用させていただきます。

(前略)

二つ目としては、ボトムアップで下から問題を把握しようとするとどうしても地理的な広がりを書いた近視眼的な見方になりがちであること。現実にも多種多様である地域に対してきめ細かいサービス(援助も含む)を提供しようと考えることは理にかなっているし、それは地元も望んでいることであろう。しかしながら、そのような見方(しか)できないNGOやNPOが国家政策に文句をつけるのはいかがなものか。

つまり国には国としてのグランドデザインをする権限があり、それは決して地域住民の利益を損ねることを目的としているのではなく、建前としても国全体の福祉を考えているはずなのである。

たとえ話をすると、10円のプロジェクトをしている者が、100万円のプロジェクトをしている者を正確に評価できるかということなのである。

現在、日本のODAのソフト化、草の根化が進行中であるが、わたしはちょっと待てといいたい。

例えば、①10円×1,000箇所=10,000円 と②1,000円×10箇所=10,000年、③10,000円×1箇所=10,000円 は同じモノなのかということを問いたいのである。

これをモノに変えてみると、①10円のアメ玉を、ただで1000人に配りました。一方、②1,000円のアメを作る機械を10台購入しました。③の例は、ちょっと思い浮かばないのでやめておくが、当然、予算規模によって、できることもやるべきことも違ってくるのであり、それ以前に考え方(アプローチ)の仕方そのものが違ってしかるべきなのである。

具体名は挙げられないが、実際の話として、こんな例がある。A国においてダム開発による先住民の生活地域が水没する再定住の問題があるとする。分かりやすくするために100家族、500人の先住民が開発の被害(影響)を蒙るとしよう。一方、この開発により、ダムの下流部の灌漑システムの50,000家族(250,000人)がダムの貯水力により乾期の灌漑農業の便益を得られるとする。

先に述べたように国民国家であるA国は、市町村のレベルから住民(具体的には市町村議会)から開発の承認を得ているものとしよう。確かに、先住民ということで、この政治的なプロセスにおいて代表を送っているわけでもないとして、まったく知らないところで開発話が決まってしまったとしよう。

しかし、もし仮に、このような場面に(国際)NGO・NPOが関わりあうとしたら、まず事実関係の調査、そして、国としての意思決定プロセスや事業主体に対してのアプローチをまずすべきであろう。しかしながら、そのNGO・NPOが先住民の500人のこと(利益)だけを考えて、他の250,000人にも及ぶ受益者がいるということと、民主的に手続きが完了していることを隠して、いきなり、国家主導の押し付け開発だとか民間の利益誘導だと、国際世論に訴えかけようとするとしたら、どういうことが起こるであろうか。

極論すれば、これは子供のけんかに文部大臣を呼びつけて批難するのに等しい暴挙なのである。

私は、数のことを問題にしているのではない。しかしながら、全体像をみた上での評価があってしかるべきで、500人の先住民の権利(の方)が重要だから、その他の国民の権利はどうでもよいという考え方は、まったく納得できない。人権という視点では、先住民も、そうでない国民も等しく同等の配慮があってしかるべきなのである。

このケースにおいても、いろいろな解決方法があってしかるべきであろう。ここで、読者諸賢にお願いしたいのは、必ず利害関係の検証には、双方の言い分とその裏をとること。これは、メディアリテラシーそのものの問題でもあるが、今のような高度情報化社会では、表にでるまでの情報操作の問題に、もっと注意を払わないといけませんよということでもある。

結論として、10円で購入できるものと、10,000円で購入すべきものとはおのずからその性格と性質が違う。その選定にあたっても、全く別の方法(アプローチ)をとっていることは自らの経験を振り返っても明らかであろう。

逆にいえば、予算によって購入できるものが変わってくるということでもある。予算に合わせて買いたいモノを変えているとでもいおうか。

参加型開発の弱点のひとつは、自分の財布の大きさでしかモノの価値判断ができないということである。つまり、10円や100円のモノしかみたことがない人は、1億円の構造物(平たく言えば施設)の価値がわからない、なんとなく無駄だとか裏金でどっかにその部分が消えてしまったのではないかという程度の認識しかできない場合もあるということがいいたいのである。

ボトムアップも、トップダウンも、両方とも必要であるし、その投入に応じた取捨選択の手段、調査や計画手法の方法論から倫理・価値観、ひらたくいうとモノサシを何本かもっていないと開発‘専門家’としては、ダメですよということをここでは強調したい。

つまり、‘スケール’を考えよ、‘スケール’にあわせた自分のモノサシを持てということである。

(引用終わり)

この言葉は、現場での気づきから発せられたもので、当時の、わたしの切実な思いがあふれていると思います。

確かにエッセイといわれれば、それまでです。しかし、「事件は会議室で起きているのではなく現場で起きている(踊る大捜査線)」とは、よくいったもので、これらの、現場の悲鳴を、研究者コミュニティが求めるように、先行研究をすべて調べてから引用をしながら言えというのは、あまりに理不尽なのではないでしょうか。

「開発民俗学」の目指すところは、「われわれの物語を創るために」というところにあり、まずは、現場における最適解を模索するところに重点を置かなければなりません。

最近のわたしの課題は、「現場のリアルを言語化する」です。

大学卒でしかも文系の「たたき上げ」の開発フィールドワーカーとしては、どこかのオートリティーがどうのこうのという先行研究以前に、現場で困っていることに対して、思い付きや直観かもしれないけど、少なくとも自分で「実際」に見聞きした現象から問題を立てて提言なりを示さなければならない。

自分の強みは、こちらにあるのではと、改めて思っています。

すでに、500以上のこれらのホームページやブログに書き散らした記事を見直して、コンテンツ化する。さらには、これらの知見としばやんコネクション*を、目にみえる資産としていく。

*これは、すなわちこのメーリングリストを受け取っている、あなたのことです。

当面、そのような作業をしながら生計を立てることに専念していきます。

みなさま方のご指導とご鞭撻を、引き続き、よろしくお願いいたします。

2019年5月1日 令和元年の最初の日に 柴田英知

P.S.


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セミナーは、基本的に、歩く仲間が主宰と
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記事をこちらに保存しています。

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歩く仲間 代表 柴田 英知
E-mail: bxf00517@nifty.com

名古屋・栄サテライトオフィス
〒450-0002 愛知県名古屋市中区丸の内3-17-24
NAYUTA BLD 6F
https://nayuta-bld.com/

専門:地域開発と参加・愛知用水の研究

■開発民俗学への途…共有編
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/kaihatsu_study/

名古屋市立大学大学院人間文化研究科 
地域文化と共生 博士前期課程(M2)

■名古屋市立大学大学院人間文化研究科
地域づくりユニットのHP
http://www.region-ncuhum.com/

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