ちょっとメモ書き^^?
Some note on Dr. Tsuneichi Miyamoto, an Japanese fieldworker / anthropologist of Japanese folklore as development consultant.
Contents.
1. Brief history on the origin of Japanese folklore studies focusing on Mr. Kunio Yanagita and others.
2. How and by whom Dr. Miyamoto had learned and train himself as an fieldworker/ anthropologist.
3. Dr. Miyamoto's commitment to his era as an essayist, a lobbyist and a consultant.
4. His methods on fieldwork and facilitation skills in the communities on the grounds.
5. How should we success and learn from his actions as one development consultant.
まあ、簡単にいうと宮本常一さんを開発コンサルタントとして読み解いてみようという試みです。
実は修士論文では、柳田國男以来の民俗学者たちが如何に開発という問題に向き合ってきたかを野の学問であった黎明期の日本各地の好事家たちにさかのぼって、どのような志をもって民俗学が始まったのかを、その起源(オリジン)に立ち返って考察しようと考えています。
その大きな流れの中で、宮本常一さんの考えたこと、やったことを位置づけたい。宮本学だなどと、隔離するのではなく、やはり大きくは日本の民俗学が、当初、考えていたことを具現化したひとつが宮本常一さんと澁澤敬三さんの、社会に対してのコミットメントであったと思うのです。
キーワードは、ネットワーキングと巻き込み力、それぞれの足元を掘り下げるということでしょうか。
当初、日本語で修士論文を書こうと思っていましたが、やっぱり英語で書くことにしました。
上記の目次は、大学院の入試に提出する論文の中身です。 まず(入院前に)方向性と落としどころを考えておいて、修士課程では、常一さんが如何に柳田國男さんや澁澤敬三さん、そして同期や先輩の民俗学者そして、日本各地の民衆から学んだかを明らかにしていきたいと思います。
これを、英語でも日本語でも発表すると、日本人だけではなく、外国の特に開発途上国の仲間も学問と実社会のかかわりのあり方のひとつのヒントになるのではないかと思います。
かなり野心的ではありますが、日本発の開発学の一例になるのではないかとひそかに期待しております。
いろいろみなさんのご意見やひらめき、感想をお聞かせください。 ではでは^^?
もとより平坦な道などそもそもないのであるが^^?
初出: mixi日記 2011年9月7日
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1772025479&owner_id=11744733
先日、9月4日(日)に地元の人間環境大学でオープンキャンパスがあったので覗いてみました。基本的に大学の説明会なので、直接は関係ないのですが、なにより地元(車で10分)という近さと、平成12年に開校という新しい大学なのですが、京都大学の先生が中心に創った大学なので学習内容と先生の構成がおもしろそうだと思ったのが理由です。
◆ 人間環境大学
実は、朝から説明会があったのですが、台風が来ていたので、前日のHPで天候によってはないかもという掲示があったので、中止だろうと思っていたところ、念のために昼にウェブで調べたら朝からやっていたとのこと、午後3時終了のところとりあえず駆けつけたときには、すでに2時半!でした^^?
すでに説明や実習はほとんど終わっていたのですが、せっかくなので入試・広報課の人に大学と大学院(修士まであります)資料だけもらって帰ろうとしたときに、個別相談の教室で話していたのですが、他の机に面談が終わって座っていらっしゃった藪谷先生に声をかけていただきました。
実は、博士までとりたいという話を先生が聞きつけて、関心をもっていただいたようです。最初は雑談でしたが、結局、3時で閉場のところを場所を移して、5時過ぎまでみっちり大学院についての話を聞くことができました。先生は、京大の経済学をでて、学部卒で吹田市の職員で行政に関わっていたそうですが、恩師に声をかけてもらってワーキングスチューデントとして博士をとられたそうで、30年にわたる行政経験と、財政学というか経済学の基礎をしっかり持ったスゴイ先生であることが初対面ではありましたらひしひしと伝わってきました。
現在は地域経済論を専門にされているそうですが、公共政策(NPM)もやっているそうで、さすがに現場をもっていた人は違うと思いました。
先生の経歴とか、自分の研究したいところと非常に近いところにあるのですが、博士をとりたいといったら、いろいろ具体的なアドバイスをいただきました。
結論的には、博士をとるのなら、やはり研究する環境(場)が整っている歴史のある学校にいったほうがよいとのことでした。
理由として、人文系の学問は基本的に、対話なので、先生と話をしなければならない。まわりに議論できる友達が必要だ。博士課程は職場と一緒。素人とシステマチックに教育を受けるのでは全然違う。など。
また、藪谷先生の博士論文は、琵琶湖の水を利用する農業の水利組合の研究だそうです。吹田市の総合開発計画に携わった関係で、他の課の職員と水利組合などいろいろ調査をしたそうで、コモンズ論というか、今までの慣行法のおもしろさにはまったそうです。その絡みで水がらみの水利権とかの研究もされたそうなので、いろいろ話がおもしろそうです。まさに、農業開発では、その水利慣行とか、既存の人間関係、社会の重層性、非常に課題も問題も多いんですよね。
あと興味深かったのが、日本の土地改良区の場合、自作農だけがメンバーなので小作は入っていないこと、それが、また問題ともおっしゃっていました。これって、さすがだと思いましたね。開発の現場で私も何度もワークショップをしていますが、‘みえない’住民が、どこそかに居る気がするというか、実際に居ても出てこれないわけです。フィリピンの水利組合の調査でも、実際に同じことがありました。
きっちりと現場を押さえることは本当に重要ですよね、しかも自分は、海民とか職人とか移動する人たちにも関心があるので、さらに難しそうです。
あと研究者の人って、本当に広く勉強されています。学問のディスプリンはあるのでしょうが、実際の研究は、それを元に2つ三つ別の方法論も使っているのではないのでしょうか。学問に終わりなしというか改めてへんな?ところに首を突っ込んでしまったとも思いました。
ともあれ、大変そうだ。でもチャレンジのし甲斐がありそうだというところで、さらに調べてみます。
ではでは^^?
mixiの「開発民俗学-地域共生の技法-」のコミュニティで、大学院進学についてのトピックを立てました。
研究(者)への途~進学相談室~ <各論>
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=63702552&comm_id=2498370
そこに、こんな記事を書き込みました。
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最近、いろいろ自分を振り返ってみると、約20年前に大学4年のときに就職活動もせずに思い立って大学院進学を考えたという話をなんどか書いていますが、もう一度、なぜその時に‘失敗をした’のかを考えてみたいと思います。
端的に言うと…。
結局、なんのビジョンもなかったということに尽きるのでは!といってしまうと話が終わってしまうので、なぜ進学を断念したのかを、冷静に考えてみます。
私は小学校の5年生のときからボーイスカウトをシニアだから高校生まで続けていたのですが、ずっとお世話になっていた隊長さんに、実は大学院浪人時代に悩み相談というか進路相談というか、急に思い立って地元に会いに行きました。(当時、京都に下宿していた。)
その時にいわれたのが、「(京都大学の)院なんかに入ろうとしている人は、最初から大学に入学するときから、そこまで見据えて狙ってきているのに、にわかに勉強しても勝てっこない」といったような趣旨の話でした。
自分としては、確かに1992年の湾岸戦争でエジプト留学が流れていわばやけ?で進学しようと急に思い立ったわけで、大学時代の成績も全然よくなかったし、そもそも、大学進学時に、浪人してでもなんとしてでも(京大に)入学して大学院に進学するなんてビジョンも根性もなかったので、それもそうだと思って、就職活動に力を入れたのでした。
今思うと、この展開、おや?という気がしないわけでもありませんが、ただ、その当時、30歳代半ばか40歳くらいの‘大人’だったボーイスカウトの団長さんの言葉に、現実に心を動かされたし、実際にそのアドバイスにしたがってよかったと今では思います。
なぜか。
やっぱり結局、単なる思い付きだったんですよね。京大の文学部の西南アジア史って、結局はイランとかトルコは強かったけどアラビア語そのものを扱うわけではなかったし、もう少し正確にいうと、歴史研究は必ずしも原点資料が読めなくてよいというか、英語やフランス語などの欧米の研究成果をふまえた上で、歴史学のディスプリン’にしたがって論文を書けばよいのであって、アラビア語の原典で読めるに越したことはないけれど、‘別に英語やフランス語の翻訳で読んで‘歴史’を書けばよいということなのです。(かなり乱暴な話ですが)
また確かに歴史学の‘ディスプリン’そのものを学びなおすのであれば、大学生3年生くらいから編入学したほうが、まわり道に見えて実は近道であったし、そんな歴史の‘れ’の時も学んでいないものが、歴史で論文を書こうとすること自体が無謀なことなのでした^^?(確か、このことも、ボーイスカウトの隊長さんも言っていました。)
それと実際に、西南アジア史の研究室に聴講生として通ったわけですが、現実にスゴイ人たちばかりで、学部の3,4年生の人たちも進学を考えている人の何人かと友達になりましたが、確かに男の子で進学希望の人は、どうしてもめざす先生がいて浪人してまでも京大の門をくぐり、実際に入学前からやりたい‘なにか’を持っているようでした。
確かに、こんなに高い‘目的意識’を持った人に、私みたいなポット出な気まぐれな挑戦者が勝てるわけがない(入試&定員がある)とは、さすがに向こう見ずの私も、5月か6月になったら気がつきましたね。
あと自己弁護ですが、実は、その当時、アラビア語の地理書とか旅行記をやろうと漠然と考えていたのですが、これをまともに教えることができる私の関心にある分野の研究者は、実は大阪外国語大学(母校)の竹田新先生と、東京外国語大学のアジア・アフリカ言語文化研究所の家島彦一先生しか!いなかったわけです。
また、どの大学でどんな先生がいて、どんな学風で研究・教育が行われているのか、全くその当時の私は知りませんでした。全然、自分が行こうとしている世界がどんな構造で、どんな人(達)がいるところなのか、どんな研究(学習)環境なのか、全く調べていなかった。こんな準備もなしで、行き当たりばったりでうまくいくはずがありません。冷静に考えるまでもなく!
確かに、文系で大学院に進んだら食べていけないといわれていた時代ですから、いつまでも親のすねをかじるわけにもいかないし、京大の大学院生の先輩が結構、まじめにバイトをしているのをみて、好きなことをするために自分の時間をつかってバイトする(たとえば中高生の家庭教師といっても全然、自分の研究には関係がない)のは、なにかいやだな。やはりやりたいことに一番時間を使いたいというのもあって、やっぱりやめておこうということになりました。
さいわい紆余曲折はあったものの、開発コンサルタント会社に就職できたのは、やっぱり奇跡というか運がよかったとしかいいようがありません。すてる神があれば拾う神があるというか、今思うと、本当に自分の意思というより他人に拾われた人生でした。
まあ、どう言いつくろってみても、所詮、負け犬の遠吠えでしょうが、結局、就職に舵をきった決め手は、母親の「勉強なんてどこでもいつでもできるで」という言葉でした。
職業研究者だけが研究者ではないというか、好きな人はどんな環境にあっても勉強や研究を続けて、それなりの成果を出しています。
そうそう、その時に私は「自分は野に下るけど、決して学問のための学問はしまい」と幼心に誓ったのでした。
まあ、結果として、「開発援助」という全く違ったフィールドで経験も積めて、今はドロップアウトしたおかげで、それほどノルマもなく、自分の人生へのリベンジの作戦が練れる。これは、千載一遇のチャンスです。
もう、この今の時点でやるしかない、ここでチャンスを逃したら私の20年間のまわり道が無駄になってしまう。ここで博士をとりにいくしかないなというのが、今の偽らざる心境です。
そこそこ仕事も忙しいのに、なぜそこまで思いつめるのか?
自分にもわかりませんが、結局、(自分の)本職をまっとうしたいというか、仮に(自分の)能力とでもいえるものがあるとすれば、(自分が)一番好きで自信の持てる分野でその力を発揮すべきだというのが今の私の信念です。
とりあえず他者の評価はおいておいてね!(← 脇というか詰めがあまい^^?)
ということで、研究者への道を模索していきたいと思います。
ではでは^^?
P.S.
最近、‘大人’ぶる人が、物知り顔に、「できることとやりたいことは違う」といろいろなところでのたまわっていますが、私は、そんな言葉は、本人が気付けばよいことで、わざわざ若者に‘助言’する必要はないと思います。
みんなそれぞれ(の立場や年齢で)悩んで転んで心に血を出して自分の限界を知った上で、生きていくのだし生きてきたのだから。
そんな言葉より、若者の不安を取り除き、自分で勝手に思い込んでいる天井や障害を取り除く方向で励ましてやるのが‘大人’の務めだと私は思います。
ではでは^^?
最近、大学院へはいるための学習法(研究法)について、いろいろ本を漁っています。主に図書館で^^?結局、研究計画書~将来ビジョンがないとだめなことがわかりました。
人生、実験・トライアル&エラーの繰り返しだとは思いますが、今までほど適当にやっていてもだめということで、この10年、20年の目標を決めてがんばろうと思います。
<40歳代>
生活基盤を固める → ①独立・自立する。(自営業・できれば研究とは関係ないもの)
研究生活にシフトする。 → ②大学院・修士できれば博士まで取る。
ジャパンツアー → ③開発民俗学の講演・セミナーを国内50箇所で行う。
<50~60歳代>
①事業に道筋をつける。年商1000万円
②専門家として、大学教員もしくは国際公務員としてもう一花咲かせる。
③ワールドツアー → 開発民俗学を世界中(先進国の教育機関、市民団体、途上国においては実践を通じて)に広める。
④開発民俗学叢書 = しばやんの著作全集をウェブ公開し、誰でも簡単にアクセスできるようにする。
<70歳代>
一応、隠居かな^^?あとは公職から離れ、気まま着のままに世界に呼ばれて出かける。
悠々自適ってところですか^?
まあ、勝手な目標ですが、きっとできるはず。
ではでは^^?