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カテゴリー「近況報告いろいろ」の90件の記事

2017年6月 3日 (土)

【歩く仲間通信 20170603】

みなさん、ご無沙汰しております。
いかがお過ごしでしょうか。

新年のご挨拶以来、ほぼ半年がたち、もう6月となってしまいました。本当に、あっという間のことです。

私はといえば、1月はレポートの作成など大学院の後期の授業の後始末でそれなりにがんばっていたのですが、2月3月と授業がなくなったのを機に、一気に気が抜けてしまいアルバイトには行きつつも、修士論文に関しては完全にスランプに陥っておりました。

4月に大学の前期の授業が始まり、修士2年目の研究計画書を4月末に出すという段階になってあわてて自分の怠けぶりをのろってみたり、いや今更、後悔しても仕方がない、できる限りをやるまでと、とにかく緩んだ頭をたたき起こして、なんとか先生や学友らのアドバイスもあり、5月24日の地域づくりユニット内での進捗報告を乗り切りました。

たくさんのコメントをいただきつつも、今年に修論を出せる状態ではないとは判定されなかったようなので、とにかく11月初めのユニット内での修論の初稿の提出を目指してがんばろうという状況にまでメンタル面でも回復しました。

2、3月はプチ引き篭もりをしておりましたが、改めていろいろ相談したり雑談のできる友人というか人との接触の必要さを痛感した次第です。

そんな感じでずいぶん落ち込んではいましたが、そのときに救いというか唯一の気晴らしは、2月18日からロードショートとなった、こちらの映画の鑑賞でした。


実は、昨日(6月2日)、たぶん、見納めだと思って名古屋まで車で、この映画とX Japanのドキュメンタリー映画をはしごでみてきました。


【「残された人びと」の物語とは】

いみじくも、というか二つの映画を、Xからソードアートと続けざまにみて、深夜に1時間ほど車を家まで走らせながら、しみじみと考えていたことは、そうだ、偶然かもしれないが、これらの私の心を揺さぶる物語は、二つとも、「残された人びと」の物語なんだと独りガッテンしていました。

みなさん、今、アラフィフからアラフォーの方々は、まさに直球のドストライクなリアルタイム世代かと思いますが、あの天下?のNHK(日本放送協会)が始めて作ったテレビアニメーションシリーズが宮崎駿監督のルーツの一つといわれる『未来少年コナン』でした。


1978年4月放送開始だそうなので、私が8歳のとき、その後の銀河鉄道999やガンダムの少し前になるのでしょうか。

ともかく何度も再放送されているので名前くらいは聞いたことがあると思います。このアニメの原作が、アレグサンダー=ケイの『残された人びと』なのです。確か私は、小学校か中学生のときに、ジュブナイルとして翻訳されたもの(1974年だそう)を読みました。再刊もの(2001)や新装版(2012)が今でも手に入るそうです。


amazon 新装版 残された人びと


アマゾンのコメントや、たぶん関連のブログとかにも書かれているでしょうが、アニメの原作とはいえ、まったくアニメの内容とは異なるようなハードな内容でして子供心にもかなり重たく、そして記憶に残る内容とタイトルでした。

たぶん、私はこのジュブナイルを読んでから、ずっと40年近く「残された人びと」のことを考えてきたのだと思います。

ちょっと毛色が違うようですが、この記事で取り上げた演劇もまた「残された人びと」の物語です。


【今、「残された人びと」のことを考えるとは、どういうことなのか。】

結局、誰もが生まれたときから、死へのカウントダウンを始めます。誰もが自分がなぜ生まれ、そしていつ死ぬのか、なぜ死ぬのかも知らない。そんな中で不慮の事故や病気、思いもかけない理不尽な非業の死を遂げる人がたくさんいる。

その一人ひとりの想いは、いったいどこへ消えてしまうのだろうと思ったことはないでしょうか。

身近な、あるいは一期一会の人との別れから、われわれは何を感じて考えて、その屍を乗り越えていくのか。

X JapanのYoshikiも、また無数の「痛み」を持ったひとりの人間でありました。実は、2016年にNHKのミュージック番組のSONGSでも、この映画のことが取り上げられ数曲が披露されたわけですが、この映画はすごいです。

誕生日ごとに楽器を買ってもらっていたというクラシックピアノをやっていた呉服屋のボンボンが、10歳のときに父親の自殺に直面し、母親がドラムを買い与えたというYoshiki、クラシックから完全にロックに転向し、ヴィジュアル系の走りといわれたX(のちにX Japan)を結成。確かに同時代人ではありましたが、ほとんど完全にスルーしていました。たまたま松田聖子に楽曲を提供したり、昨年は、紅白歌合戦で楽曲やパフォーマンス(ドラムとピアノ)をみて、なんかすごいくらいにしか思っていなかったのですが、この映画や、何枚かのCDを買って、あらためてそのYoshikiとX Japanの壮絶なストーリーを知った次第。まったくの不明を恥じ入るばかり。

また、ソードアートオンラインという、オンラインゲームの中に閉じ込められた10000人の人たちは、ゲームの中の死イコール現実の死というデスゲームに巻き込まれます。ゲームをクリアできなければ、ずっとゲームの中に閉じ込められたまま。2002年にウェブに書きこまれた小説は、2008年にライトノベルとして小説化、2度のテレビアニメ化の後、舞台の設定とした2024年に、あと7年となった今に、ようやく劇場映画化。

正直、ライトノベルもアニメもまったく知らず、そもそも今、テレビアニメはみていないし、ただただ神田沙也加がユナというARアイドルにゲスト声優として出演しているというだけで、見に行ったのですが、結局、12回くらい劇場に足を運んでしまいました。

子供向けのアニメかと、ちょっと舐めていたわけですが、やはり児童文学やマンガの世界と同じく、クリエーターの人たちは、子供向けではなく、ガチで世界と闘っていました。

今では、ネタバレサイトや素人の解説記事のブログなど、インターネットでいろいろ調べることができるので、ここでは詳しくいいませんが、この劇場版ソードアートオンラインもまた「残された人びと」の物語で、ARアイドルのユナが歌う劇中歌や、Lisaが歌う主題歌も梶浦由紀の曲もまた、見事にSAOの世界観と過去のアニメやライトノベルでのエピソードを踏まえた、ちょっと悲しいけど希望を持たせてくれる、いろいろなことを考えさせてくれる話でした。

結局、何がいいたいのといわれそうですが、この2ヶ月、修論の構想を練り直して、発表させていただいて、いろいろなコメントをいただいて、自分なりに思ったことは、結局、今、自分がやるべきことは「開発民俗学」を創るために一歩でも二歩でも歩みを続けることで、私がサブタイトルに挙げている「われわれの物語」とは、「残された人びと」つまり、今、生きている「われわれ」の物語を創ることに他ならないということです。


非情なようですが、現世に対して悔しい想いを、そして彼らが彼女らが「残していかざるをえなかった人たち=残されたわたしたち=残された人びと」に対して、何を残したかったのだろうか、また現実に何を残したのかを考えつつ、屍を乗り越えていかなくてはならないと決意を新たにしました。

今年は修士論文を控えているので、あまり通常のブログの記事の更新ができません。

でも、フェイスブックでは、いろいろ情報をシェアしたりつぶやいておりますので、また折節にからんできていただけますとさいわいです。

ではでは^^?

おまけ

いろいろ今の政治にも言いたいことがたくさんあるのですが、マインド・ユア・オウン・ビジネスということで、当面は研究に専念します。

2015年から全然更新していませんが、現状は、もっと悪くなっているかな。私が上に述べている「屍」とは何かが具体的に書いてあります。



いわゆるサブカル系の記事。映画や音楽の話題も、いろいろ書きたいことがあるのですが、なかなかアップデートできません。

ただ、「歩きながら考え」てはいます^^?

柴田 英知

2017年1月 2日 (月)

【歩く仲間通信 20170102】

みなさん、明けましておめでとうございます。

旧年は大変お世話になりました。特に新しくお知り合いになれた方々には、なんとか年度内に感謝だけでもお伝えしたいと思っていたのですが、今年に持ち越してしまいましてごめんなさい。

またなんと20年ぶりくらいに再会できた仲間もいました。改めてご縁に感謝いたします。

今年度も引き続き、よろしくお付き合いいただければと存じます。


もう!昨年のことになってしまうのですが、2016年4月から名古屋市立大学の大学院人間文化研究科に進学したこともあり、いろいろ自分自身の身の回りが大きく変わったこの数年間ではありました。

ようやく大学院生活にも慣れつつあるかと思えば、来年の1月には、すでに修士論文が99%完成していなければならないということで、改めて博士前期課程の2年間の短さを実感しつつある今日この頃でもあります。

5年ほど前に岡崎のある市民グループの方から、「望年会」という言葉を教えていただきまして、「忘年会」ではなくこちらの望年会を積極的に活用して広めようとしているのですが、新しい年を望むにあたってやはり大切なのは(忘れることではなく)、きちんとその年を振り返ることだと思います。以下、勝手に、しばやんとしての昨年の総括と、今年の望みといいましょうか課題を挙げたいと思います。

【2016年の三大ニュース】

その1:大学院進学

傍からご覧になっていても迷走しているかにみえたであろうしばやんのこの数年の歩みですが、ようやく大学院に進学することができました。

名市大の人間文化研究科の中でも「地域づくりに関する研究」ユニットでは、4名の先生方から中国人留学生2名、社会人院生4名が修士一年生として指導を受けています。

2015年12月に起業して個人事業主となったわけですが、今は、コンサルティング業務やウェブショップの運営は実質的に休業状態で、2016年2月から郵便局の時間給契約社員として地方郵便局で夜の5時から9時まで、郵便物やゆうパックの仕分けなど内勤業務をしています。繁忙期は、夜勤のシフトでも午後4時半から午後11時過ぎくらいまでの作業量があります。ガテン系の力仕事ですが、これはこれでなかなか奥が深い。

民俗学者の宮本常一や赤松啓介が郵便局で働いていたことは有名?な話ですが慣れてくると働いている人たちとも仲良くなってきて、それなりに楽しく、大学院の授業がない週の4,5日を働いています。

肝心の研究のほうですが、前期では3科目を、後期は5科目をとっているので、論文指導以外のいわゆる講義科目の規定の9科目は、ほぼ1年目で取得できそうです。

それはよいとしても自分の研究については、なかなか研究方針がまとまらない。焦点がしぼりきれずに先生方からは発表ごとにダメだしを受けていますが、とにかく1月末で後期の講義が終わるので、今から本格的に論文に取り組みます。

その2 山崎延吉との邂逅

これは、たまたまなのですが、愛知用水の研究を進める上で1900年に愛知県立農林学校として設置された安城農林学校(現安城農林高校)の初代校長先生の石川県は金沢藩士の出で、明治に東京大学の駒場の農学校をでた農民教育者であり農本主義者としても知られる山崎延吉を知りえたことはとても大きな収穫でした。昨年の夏休みはほとんど山崎延吉関係のことを調べていたといっても過言ではありません。

彼が、安城農林学校の開設にあたり「農学校を地域に開く」施策をとったこと、篤農家、特に明治末から大正年代にかけてかつての地主階層であった老農ではなく自小作が個人の努力で成り上がった精農とよばれる篤農家や農村青年層を全国組織化したことは、まったく私が大学生時代に気づいた「知は力なり、ただし開かれたものでなくてはならない」ということを遥かに大きなスケールでもう100年も前に実現していたということでした。

しかも自分の家のすぐ隣の「追進農場(現愛知県農業大学校)」自体が山崎の指導下にあったことを知って、まったく自分の足元の不明を恥じ入るばかり。

さらに著作だけではなく請われて日本全国ばかりか帝国下の台湾、朝鮮、満州にまで40年以上にわたり10000回以上の興村行脚(こうそんあんぎゃ)とよばれる講演旅行をおこなったこと、地方にいながらにして(ここがポイント)、地元の愛知県や日本デンマークとよばれた碧海郡の地域振興のみならず、石黒忠篤や那須浩など中央の政治家や農政学者と連携をして、校長を辞した後、帝国農会の幹事や、政治家としても日本の農政に大きな影響を与えたことなど、まさに目からうろこの連続でした。

民俗学者の宮本常一さんも、よく日本を歩いていますが、それよりもすごい人ではないか、しかもどちらかといえば柳田國男と同世代で、当然、農政官僚であった彼とも同じ東大の法学部と農学部で、きわめて近しい関係ではなかったかと、民俗学研究についても想像が膨らみます。(実際、山崎延吉は、柳田國男を安城農林学校に講話の講師として招聘していると資料で見かけたような、要確認ですが。)

その3 開発民俗学の英語訳を考えました

結局、その2とも関連するのですが、日本の民俗学、特に、柳田國男と地域振興についての新しい知見を得ることができました。

柳田國男は農政に挫折して民俗学に転向したわけではなく、農政を突き詰める上で民俗学という戦略をとったのではないか。

そのようなことを感じることができました。当然、愛知用水とは、ちょっとズレル課題ですが、その延長の先にある大きなテーマであると私自身は思っています。

そのようなことを軽く記事にまとめてみました。


【2017年の三つの課題】

その1 修士論文の見通しをつけること

もういわずもがなで、5月のユニット発表の時点で、7、8割方できていないと間に合わないといわれています。11月にはほぼ完成させないといけない。なにはさておき、この1,2月の頑張りが今年ばかりか、今後のすべてに影響するでしょう。

その2 文化環境研究所(Cultural Environment Consulting Institute)(仮称)の設置準備

もちろん修論ありきですが、その後の研究につなげるためにも職業につなげるためにも、稼ぐ母体が必要です。修論にめどがついた時点でコンサルティング業にも力が注げるように、仲間を募ってコンサルティング会社を立ち上げるべく準備を進めます。

その3 まずは健康に日々を心安らかに過ごすこと

最近、普通に心を乱されることなく、つまり落ち着いて自分の能力をだせれば、恐れることはないことに気がつきました。

特に、他人や外部からの動揺させられて怒ったりして自分のペースを崩されると、てきめんにパフォーマンスが落ちるし、さらには通常ではありえない失敗をしてしまうことがあります。

結局、他人がどうであれセルフ・コントロールできれば、すべての結果は自分のせいにすることができます。つまり、人のせいにする必要がないのです。自分が今、出来ることを粛々としていく。他人が何を言おうとです。

また逆に自分で考えてがんばろうとしている人に対しては、全面的にその人の能力を信頼して応援できる自分でありたいと思います。

ひがんだりうらやんだりする必要はないし、人の足をひっぱるようなしらけた人間とつきあう時間も暇もありません。

ただ、そのような社会環境を整えるのにあたって、前提となるのが武力によらない平和な世界の実現です。このことは、常に頭の片隅においておかないといけないと思っています。

最後に、昨年の出会いの大きなハイライトでもあったセミナー企画のご紹介を今年のご挨拶とさせていただきます。修論の進捗次第ではありますが、今年も仲間たちと「地域」に対して仕掛けていきたいです^^?

https://www.facebook.com/events/1188668471192492/


今年もよろしくお願いいたします。

ではでは^^?

2017年1月2日

柴田 英知

2017年1月 1日 (日)

【2017年のご挨拶】

みなさん、明けましておめでとうございます。

昨年末から今年にかけて、こちら愛知県では穏やかな日々を過ごしております。
取り急ぎ、今年の年賀状をこちらにも披露させていただきますので、よろしくご笑覧ください。
では、今年もよろしくお願いいたします。
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2016年4月 7日 (木)

【2016年度に思うこと】


みなさん、こんにちは。

先日は、4月1日の誕生日にたくさんのお祝いメッセージをフェイスブック上で寄せていただきありがとうございます。

そもそも、自分の誕生日って誰彼に話すものでもないので今まではこんなことはなかったのですが、FBという仕組みの良しあしといったところでしょうか。いちおう説明しておきますと、昭和45年4月1日は、早生まれの一番最後なので戌年の学年の最初ではなく鳥の学年の一番最後になります。

ともあれ、日本の年度始まりの日で、しかも1970年生まれですから年を数えるのはとても便利です。ってなにが^^?

さて、平成28年度(2016年度)は、大学院生として改めてのスタートを切ります。この一年、アジア保健研修所を離れていろいろ試行錯誤してきましたが、結局、今まで自分がやってきたことを改めて振り返り今後につなげていこうと思っています。

まずは、明日が、入学式。自分の甥や姪と同学年の学部生と一緒に入学式というのもまた一興です。

ちなみに、大学院は、人間文化研究科(Graduate Programs in Humanities and Social Sciences)の地域づくりグループで4名の教員と6名の院生(日本人の社会人4名+2名の中国人留学生、しかも全員M1)のこじんまりとしたところですが、他の研究科の先生と地の利を生かして研究に励もうと思います。
ではでは^^?

おまけ:

2016年の年賀状。ご住所を知っている方には郵送させていただきましたが、ウェブでは初公開になります。
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名市大の滝子キャンパス。こちらには、人文社会学部と経済学部が、別の場所に、医学部/看護学部、薬学部、経済学部、芸術工学部があります。つまり4つのキャンパスがあり、それぞれ学祭があるそうです。ちなみに、人文社会/経済学部のキャンパスは、八校の跡地に当たるそうです。
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2016年1月20日 (水)

【研究者であるということ】


【研究者であるということ】

久しぶりにモノローグを書きます。

昨年10月に独立開業したわけですが、ひとつの事業のウェブでの小売について、ウェブサイトが完成しておりません。時間の問題や、他にもやることがとか、余計な言い訳はしますまい。基本自分の時間配分で何事にでも取り組めるわけないので、ようは、やる気と自分の中での優先順位の問題です。

ただ、自分の頭の中の整理のためになぜ、素直?にウェブ整備に取り組んでいないかを列挙してみますね。

ーウェブ全体としての展開方針に迷いがある。
ー作業として単純に面倒くさい。
ー↑フォーマットが固まっていないので流し作業にできない。

要は、コンテンツの位置づけに迷っているのが一番の根っこにあります。もっとさかのぼると、そもそも小売りだけで糊口をしのげるであろうか?本屋やCDステレオ屋のおっさんでいいのというところに行きつきます。

今は、大学院入試(2月5日に筆記試験と口述試験)の準備があり、そちらが決まらないことには落ち着かない。それもさりなん、そもそも博士前期課程(修士)をとった時点で、どれほど自立した研究者としてみなされるのか。果たして後期課程(博士課程)に進めるのかとか、いくらでも不安は尽きないわけです。未来のこれからのことで、運も実力のうちという言葉もあるように、努力がそのまま実績や結果につながるわけではありません。

そんななかで、果たして自分の生業として何が本来業務であろうと、まあ20歳の大学生ではないわけですが、答えのない問題に迷い込むわけです^^?

という葛藤を経ての、今での結論。

やはり自分は、「国際開発コンサルタント」、「地域活き生きコーディネーター」という名刺の業務案内の一番上に書いてあるところで勝負したいと思います。

「研究」は何のためにするのか。これは、「開発民俗学」の理論と実践を深めるためのものであり、博士号は「開発民俗学」的思考と方法論の‘ひとつのとりまとめ’の一過程であり、それが夢でも目標でもありません。要は、実践のための理論であり、研究そのものが目的(の研究)ではありません。

以上に鑑み、来月からアルバイトと、2017年の取得を目指して、「中小企業診断士」の国家資格の取得のための専門学校に通います。

自分としては、参加型開発にかかるワークショップやファシリテーションなど、スキルとしてすぐに売れるものがないわけでもないと思います。でも、結局、部分の技術ではなく、そのスキルを通じて、顧客に商品(=お金を払ってでも買いたい)として売りたいものは、そもそも、その先にある問題や課題についてのソリューション(解決)であり、そこまで踏み込んだ提言をするには、今の自分ではあまりに力不足です。

私は、確かに若者への教育という仕事に興味がないわけではありません。しかし、研究者になるための修行をこれから5年、10年と続けるためにもは、修士という学位だけでは不十分で(そのままストレートに続けるにしても)お金という自分の生活や人生を下支えする食い扶持の確保が絶対に必要で、それは本やCDの小売も一つの手段ではありますが、それだけでは不十分であると思います。

ということで、自分を納得させつつ、日々に立ち向かっていきたいと思います。

ではでは^^?

2015年12月29日 (火)

【2015年と2016年を一文字であらわすと!】

初出:フェイスブックグループへの投稿: クロスロードオブハッピネス 2015年12月29日

みなさん、こんばんは。

いよいよ来年まであと2日となりました。今年は、いったいどのような年でありましたでしょうか?そしてまた来年はどんな年にしたいと思いますか?

実は、12月27日にワンデードリームマップという夢の実現ツールのワークショップに参加してドリームマップなるものを作成したのですが、その後、そのスペースに集う仲間の間で、1年の振り返りの機会がありました。

私の2015年の言葉として「遊」を選びました。その心は、1月末にアジア保健研修所を退所して、人生3度目の浪人の時期を過ごしたのですが、福祉分野やインテリア分野にチャレンジしたり、いろいろ試行錯誤の末、結果として独立を決意したり、遊んでいたわけではないのですが、いろいろ自分を見つめなおす時間を持つことができた感謝の意味をこめて、「遊」。

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そして、2016年の言葉として「撃」を持ってきました。別に、野球のショートの意味での「遊撃(手))」を意図したわけではありませんよ。ただ、「遊び」の時間を持たせていただいて、将来の夢を確認することができたので、その途を邁進すべく、「撃」ってでるのが、来年かなというストーリーです。

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今年は、わたしとしても同居している両親にとっても激動の1年でした。ともあれ、年末のこの時期にいたって行く末がまったくみえないという最悪の事態をさけることができて心底、すべてのみなさま、事象に感謝しております。

この年末にドリームマップを作って本当に自分がやりたいこと実現したい夢を確認することができたことは私にとって最高の締めくくりでした。

よろしければ、みなさんのこの1年と来年の一言をこの場でシェアさせていただけますとさいわいです。

ではでは^^^?

2015年10月30日 (金)

歩く仲間通信 2015年10月14日

私のメルマガの「歩く仲間通信」の記事を下記に、アーカイブしておきます。

2015年10月14日 メルマガ配信

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みなさん、こんにちは。

もう2015年も11月を迎えようとしておりますがいかがお過ごしですか。5月末にご連絡して以来、はや6ヶ月。初夏かと思っていたら、季節はすでに秋です^^?

今年の1月にアジア保健研修所を辞して以来、はや9ヶ月、福祉・介護の分野の仕事にチャレンジしようとして7ヶ月。結局、この半年間は浪人を過ごしたわけですが、おかげさまでいろいろな資格を手にすることができました。(予定を含む)

① 4月: 福祉用具専門相談員

② 8月: 福祉住環境コーディネーター

③ 12月(2次試験を受験予定): インテリアコーディネーター

④ 12月(受験予定): 色彩検定3級

4月末にデイサービスセンターで福祉用具相談員の見習いを辞めたのですが、その仕事の中で福祉用具についての講習(①)を受けたのをきっかけに、それを膨らませてリフォームやバリアフリーの住環境整備のための資格(②)を独学で取得しました。

その後、それらの知識も役立てられ、また以前から関心のあったインテリアの分野も勉強しようと、また就職対策のために雇用保険を受けて、7月半ばから3ヶ月間、インテリアコーディネーター(IC)の専門学校に通っていました。10月11日にICの一次試験を受けて、10月15日に専門学校を修了。

その間、具体的に自分ができること、したいこと、これからの一生をどう生きるのかについて、専門学校の学友や講師の先生など週日毎日、名古屋まで電車で通いながら、いろいろ考えてみました。

結論として、やっぱりどうしても研究職をめざしたく10月15日付けをもって開業届けを税務署に提出してきました。つまり個人事業主として食い扶持を確保しながら、来年4月からの大学院(まずは修士から)への進学を目指します。まずできることとして、9月末から院試のための予備校に名古屋まで通っています。

もうここまできたら、腹をくくるしかありません。

具体的な事業内容は近日中にご案内できるかと思いますが、みなさま、引き続きご指導ご鞭撻をお願いいたします。

さて、(長い)前置きはここまでで、本題は、自主企画のセミナーの特別企画としまして、特別なゲストをお招きします。以下、ご案内です。


※2015年10月14日にフェイスブックにて作成。その後、10月24日にブログ版歩く仲間に掲載すみです。

なお、日常的には、主にフェイスブックグループで発信しておりますので、よろしかったらこちらもご覧ください。


※公開グループで、FBをやっていない方でもどなたでも記事を読むことができます。ただし、グループ参加には私と友達になる必要があります。

フリーになったので、以前に増して、セミナーやイベントに出席するなど大阪や京都、東京にいく際など、いろいろな機会で、みなさまにお会いできることを楽しみにしております。

ではでは^^?

柴田 英知

歩く仲間主任研究員/地域活き生きコーディネーター

E-mail: bxf00517@nifty.com



2015年6月 2日 (火)

歩く仲間通信 2015年5月30日 柴田 英知

※2015年5月30日に配信したメルマガの再録です。
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みなさん、こんにちは。

もう2015年も6月を迎えようとしております。お元気ですか。
人生迷走中?のしばやんこと柴田英知です。

話すと長くなるのですが、かくかくしかじか?いろいろありまして結局、年内7月中を目処に独立することにしました。5月1日から完全にフリーで、起業準備と、身辺整理とたな卸しと部屋の片付けなどをやっています。

一応、金曜日を休みにしようと決めたのですが、1ヶ月やってみて、結局一人で仕事をするということは休みがないということに気がつきました。例えば車を運転していても、ついつい、今、自分がやっていることがどれほど今の(将来の)稼ぎに結びついているのかということを考えてしまいます。常に気が抜けないというか公私ってないなあと思います。落ち着いて休みがとれるのはいつになるやら^^?

さて、最近の気づきとして、マツコ・デラックスさんのインタヴュー記事を週刊誌で読んで、ほうと思いました。病院の待合いの本を流し読みしただけなので、手元にないのですが、このようなことを言っていました。

(彼女?が自分を語るインタヴューに応じないことを週刊誌記者に質問されて)「結局、理由は(常に)後付けになるのでいやなのよね」というようなことを答えていました。

テレビでは見ない日がないという、この数年、メディアで超売れっ子の彼女ですが、このインタビュー記事によると、高校生のころから自分の性向を自覚するようになり、ついには正面から現実社会に向き合いゲイ雑誌の編集者になったりと、意外?と活動家の側面を持っていたりして正直びっくりしました。

全然、見かけによらないなと思うのですが、改めてそういう眼で見ると確かに話している内容にインテリなところもあるし、自分の中では、マツコ恐るべしと、かなりポイントが上っています。

そんな彼女が、中村うさぎさんやミッツ・マングローブさんからのお誘いもあって芸能界に入っていくわけですが、彼女自身は、「わたしみたいなものがメディアにでている現状自体がおかしいのよね。流行がなくなるかもしれないし、胸を張っていえる仕事でもないし」とかいうような話をしていたのも意外でした。よい悪いは別として、ゲイの芸能人がはびこる?のも、まあ今の日本としては必然のことだという気はしていたのですが、当事者としては、思うところが違うのかもしれません。
 
上記、私の雑誌の流し読みの記憶を元に構成していますので、間違っているのかもしれません。先に、お詫びしておきます。

あまり参考になりませんが、ウィキペディアの記事です。
この話を友人数名にしたわけですが、そこで、自分を振り返るに、結局、ここまで達観できないよなあと思いました。私は彼女とは逆に自分自身のことを何でも書いてしまうほうで、しかもそこでは言い訳だらけで自分の都合のよいように事実をかなり脚色しているなあと反省しきりです。

でも私は自分の頭にあることを外部に書きだす事で、自分自身を励ましている(誤魔化している?)ところもあるので、それはまあスタイルの違いだということにしておきましょう^^?(と開き直ってどうする!)

たぶんマツコさんなら絶対に書かないであろう私のこの2年間の振り返りです。

ちょっとだけ、気を取り直して^^?


この学習編のブログは、私以外の方でも使えるように分類を工夫しました。
 

1.作業メモ (リンクをご確認ください。以下、同様)
論文以前のアイデアメモ。アトランダムに気がついたときに書いています。

文化人類学を中心としたキーワードのピックアップ。大学院の入試対策用で、ひとつづつ(徐々にですが)小論文として私の理解をまとめていきます。


3~8は基本的なデータベース。逐次、アップデートしていきます。


私は結局「イノベーション普及論」を中心に研究していきたいと思っています。

その「イノベーション普及論」に特化したキーワード集。上記、2の基本用語集とはダブらないようにしていきます。

さて、ところで実は来年4月から大学院に進学したいということは親や兄弟には話していません。まずは、生活を安定させるということ。それができないと進学は難しいと考えています。そんな起業の準備については、こちらのブログで綴っています。ただし屋号は「歩く仲間」となる見込みです。


今後の、しばやんの動きについては「開発民俗学への途・・・学習編」と「弐代目 柴田文庫(ふみくら)」でアップしていきますので、応援をお願いいたします。
 
これまた、なにをやっているのだと突っ込まれそうですが、ボランティアな自主企画のセミナーを6月19日から月に一回のペースで、各回、ゲストをお招きして、地元の公民館でやっていきます。

詳しくは、フェイスブックでアップしていきますので、ご関心のある方はフォローください。

なお、日常的な案内は、主にフェイスブックグループで発信しておりますので、よろしかったらこちらもご覧ください。

※公開グループで、FBをやっていない方でもどなたでも記事を読むことができます。ただし、グループ参加には私と友達になる必要があります。

最後になりましたが、今年の年賀状をいただいた方へ。

まったくなしのつぶてであったことをお詫びいたします。1月末で退職が決まっていたので、2015年の年賀状を書く気力がありませんでした。

この半年間、いろいろありますが、なんとか新たな一歩を踏み出せそうです。

セミナーや東京にいく際など、いろいろな機会で、みなさまにお会いできることを楽しみにしております。

ではでは^^?

柴田 英知
歩く仲間主任研究員/地域活き生きコーディネーター

〒444-0802 愛知県岡崎市美合町三ノ久保33-5
携帯電話: 080-5151-6406
E-mail: bxf00517@nifty.com

2015年5月30日 (土)

『開発民俗学への途 学習編』のHPが熱い!

みなさん、こんばんわ!

最近、こちらのブログへの更新を頻繁に行なっています。ぜひ、お気軽におたちよりください。



論文以前のアイデアメモ。アトランダムに気がついたときに書いています。


文化人類学を中心としたキーワードのピックアップ。大学院の入試対策用で、徐々に、小論文として私の理解をまとめていきます。







3~8は基本的なデータベース。逐次、アップデートしていきます。


イノベーション普及論に特化したキーワード集。上記、2の基本用語集とはダブらないようにしていきます。


ではでは^^?

2014年12月 1日 (月)

近況報告~南インド出張と国際開発学会で感じたことなど

初出: facebookへの書き込みより 2014年12月1日


しばやん@愛知です。

2014年11月29日から30日にかけて千葉・東京にいってきました。千葉大学で行なわれた国際開発学会、あらためて新しい刺激と宿題を持ち帰った感じです。今日は、帰りがけに東京駅の前で、参加型開発を共に学んだ仲間と先生に1年ぶりに再会。またまた改めて元気をいただきました。

今回の出張で思ったのは、果たして「市民」とはなんぞやということと、当事者になりきれない自分は、何を共有できるのかということ。今年から来年にかけて自分にとって、またまた新しいチャレンジが控えています。いったい、誰のために何のために自分の営為があるのだろうと自問の日々が続きそうです。とはいえ、できることをやっていくしかないことも、また事実。自分の出来る範囲でもがいてみるしかなさそうです。とはいえ、ただ、空気を食べて生きているわけでもないのも事実。

ただ、この1年で学んだことは絶対にこれから(明日)のためのものであるはず。しっかりと受け止めていきたいです。

ではでは^^?


<インド出張と国際開発学会で感じたことなど>

今回のアジア保健研修所の出張でまわった南インドで感じたことと、帰国後すぐに行った国際開発学会で感じたことを自分の覚えとして。

今回、修道女のシスターと現場をまわったのですが、そこで一番、考えさせられたことは援助とか支援以前に奉仕(の心)があり、神やその活動自体に一生をささげている方がいる。それはたぶん、間違いなく援助というモード(形態)が出来る前から、たぶん、有史のかなたからあったのではないか。ただ、志だけではなくて、それを可能とさせる、下支えするものがあったであろうということ。

そしていまひとつは、東洋医学の奥深さ。中国の気孔やインドのヨガなど伝統の中に潜む叡智の数々。人間だけではなく、まさに生々すべてを包括するホーリスティックな教えには改めて恐れ入りました。

今回、国際開発学会でも、ヨガの思想や修道女の方の活動にふれた発表が、私が聞いただけでも2つはあって、正直、びっくりしました。ちょうど、自分がインドで学んで(感じた)ことじゃん!

今、開発学会のモードは、開発倫理の方向に大きくシフトしていることを感じました、当然のことながら、その倫理は、今の時点での倫理的妥当性の検証もあるでしょうが、たんなる言葉遊びではなくて、もとからその社会がもっている倫理や規範の見直し=(現場の)生活人の倫理の‘再’発見というべきものではないかと思います。

結局、現場の声を聴く、現地人?の言動の背景にあるものを、あらためてとらえなおすという、いわばあたりまえ?のことなのかもしれませんが、逆に言えば、ここまでくるのに、どれほどのまわり道をしたことか。いや、こんなことを私がいうのはおこがましいのは十二分にわかった上でのことですが、やっぱり言っておきたい^^?

もう一点、ちがった角度から感じたことを。

今回、国際開発学会の総会の前の共通論題「持続可能開発目標(SDGs)の下での開発:ドナー、企業、市民社会の関与」の中で、私がひっかかった言葉をひとつ。

財務省出身で世界銀行を経て現在、JICAの理事である小寺清氏が、その40年に及ぶ開発分野における実務者としての経験から、いわば日本の援助外交の裏側みたいな私的な話をしていただいたのですが、今年のODA供与60周年のJICAのシンポジウムで、複数の外国の参加者から、「日本はpoor communicator」であったという発表がありました。

このことに関して、ファシリテーターのアジア開発研究所の山形辰史氏より、「日本が発信をしないという意味だけではなく、相手のことをきちんと聞くというコミュニケーション自体ができてこなかったのではないか。コミュニケーションは発信だけでは成り立たない相互の関係のものだ」という主旨の要約がありました。

小寺氏の真意はともかく、山形氏のいうとおりだと思いました。自分は誰と向き合っているのか、誰から何を聞き、誰に向かって発信するのか、自分の立ち位置を少なくとも自覚しておくべきだということを、あらためて考えさせられました。

たぶん、そこから自分はやりなおす必要があると思います。以上、自分の覚書として。

ではでは^^?

2014年12月1日

柴田 英知

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