前回の続きですが、ちょっとおさらいを。今から2項に入ります。
<開発民俗学のアプローチの特徴>
1. 科学的な‘カッコつきの人(間)’から‘平の人’の開放
2. ‘我彼’の二分論から‘我々’への橋渡し
3. ‘人として’ ‘人間’もっと卑近的に‘自分’の可能性を広げるための‘他者’の必要性と重要性の解き明かし。
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ちょっと間があいてしまいました。
私自身も、東京に行ったり、ちょっと脱線していたので、いざ、元に話を戻そうとすると自分も書きたいことを忘れてしまっていてつらいところがあります。
さて、我彼の二分論というか二元論については、さんざん「文化人類学への問い」の中で述べてきたことなので、簡単にスルーさせていただきます。このあたりの私の考え方については、開発民俗学のコミュの中でもトビを立てていますので、こちらをご参照ください。以下、引用。
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「文化人類学」への問い <理論各論>
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=29255205&comm_id=2498370
決して近親憎悪というわけではありませんが、私は「文化人類学(まあ民俗学も含まれるかもしれませんが)」に関しては、かなり過激な発言(苦言)をしております。あえて皆様のご教示を仰ぎたいところです。
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r0001.htm
>われわれの物語を紡ぐために: 文化人類学への問い。(2005年7月3日)
>文化人類学の1990年代を振り返る (2005年7月3日)
>ブームの宮本常一? (2006年4月1日)
>「貧困(削減)」という名の「差別のラベル=人種差別」?2007年2月10日
>人類学者の皆様に ~援助の‘効率化’って何?~ 2007年2月10日
>人類学者の皆様に(補足1)
>~援助‘する’側、援助‘される’側の認識について~ 2007年2月18日
>実務者不在の議論(その1) 2007年4月14日
>実務者不在の議論(その2) 2007年4月14日
>実務者不在の議論(補足) 2007年4月15日
これらの論考は実務者でありながら研究者を目指している自省の記でもあり、たんなる批判ではなく、建設的な提言と考えていただけますと幸いです。
忌憚のないご意見を聞かせていただければと思います。また、批判ではなく建設的なご提言がいただければとも思います。
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ただ、今の社会科学系の学界の動向としても、すでに我彼の二元論は‘古い’との話もいろいろなところで聞いていますので、まあ克服されつつある‘古くて新しい’問題であるとのみいっておきましょう。
まあ一つだけ古めの記事を引用しておきましょう。
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われわれの物語を紡ぐために:文化人類学への問い。 2005年7月3日
(彼岸と此岸を繋ぐもの。しかし、そもそも川はあるのか?)
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00028.htm
われわれの物語を紡ぐために:文化人類学への問い。
(彼岸と此岸を繋ぐもの。しかし、そもそも川はあるのか?)
“開発民俗学への途”の中で、日本における「民族学(文化人類学)」と「民俗学」についてまとめようとして、この数年いろいろ教科書とかを読み漁っているのだが、あまりの民族学(文化人類学)のお粗末さにあきれるというか、かなりがっくりきている。
いつから日本人はこんなに傲慢になったのだろう。そもそも中高生の頃から、文化人類学は気に食わなかったが(詳しくは言及しないが本多勝一の影響がかなり大きい)、いま改めて見直してみても、その基本的な弱点が克服されていないように見受けられる。(注1)
しかし、なぜ同じ‘人間’を‘他者’としてしか認識できないのであろうか。欧米がオリエンタリズムで自分と違うものを、‘未開’なりとラベリングするのはいい。というのは、彼らは自分達とは違う世界を、彼ら‘のみ’が知らなかったのだから。しかしながら、中国やインド文明を知っていたはずの‘日本’人が、欧米人のマネをする必要はあるまい。そもそも日本という‘国家’は、明治以後できたという言説もあるが、実際16世紀に宣教師が来るまでは、隣国の中国や朝鮮が日本人のお手本であった。「未開人」を扱うのが、「文化人類学」で、「文明社会」を扱うのが「社会学」だと。馬鹿を言ってはいけない。人から学ぶのに、人間を学ぶのに、そもそも私とあなたの人間の間に上下などあるわけがない。これは福沢諭吉の一節(「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり」『学問のすすめ』1872~76年)でもあるが、この感覚が、日本に紹介されてたかだか130年ほどしか経っていないというのもまた驚くべき真実であるが。
さて、明治時代を通じて日本は今までの経験と同じく西欧文明のいわば一番よいとおもわれる部分のみを摂取しようとしてきた。彼らの中の野蛮性や未開性には気づかないふりをしながら。私は、実際の欧米への留学生達は、かの国の醜いところに酷いところに気づいていたと思う。ただ、日本の人たちの‘幻想’をこわさないためにあえて言わなかっただけだと思う。もしくは、自分の眼が間違っていると思ってしまったのかもしれない。
ともあれ、今改めて文化人類学を学んでみて、その‘まなざし’に対して、どうしても納得がいかない。なぜ、他人を知ることによって自分を見つめなおすことだけが自己目的となっているのか。いつまでも‘他者’でしかありつづけない‘他人’に対して何をなしうるのか、また何をなしてきたのか。文化人類学の専売特許とされたフィールドワークによって、彼らの世界にあなたは何をもたらしたのか。あなたの知識や経験は、そのエスノグラフィー(民俗誌)は、誰のために何のために使われたのだろうか。
今、日本の開発に関心をもつ文化人類学者の間では、「開発人類学」とか「開発の人類学」とかが話題になっているらしいが、いずれも自分の立場だけを問題にしている。相手の立場はどうなっているのか。単なる客体でしかないのか。文明国民のわれわれの彼岸にしかいない人たちなのか。
ここで、特に若い人たちのためにはっきり言っておく。21世紀のこの世の中、どこを探しても未開人や原住民、ついでに先住民といい変えてもよいが、そのような現代社会(資本主義世界と言ってもいい)から隔離された人たちは存在しない。(100%と言い切るだけの勇気はないが。)
開発学を学んでいる若い人にも言っておく。いろいろ開発途上国、低開発国いろいろなラベルはあるが、そんな‘ドル’という経済単位でしか測れない国家や民族は存在しない。私は、なぜ、中国やインド、アラブ・イスラームの国々、どこでもよいが、これらのそれぞれ長い歴史や文化をもった国々を、‘開発途上国’とよぶのか私には全く理解できない。
マクロ的な観点から世界を見るときに、便宜上、話を簡単にするために、地域分けやランク分けやグループ分けという手段がとられることが非常に多い。(注2)
しかしながら、このランクやグループに何の必然性もないことも強調しておく。逆に、かなり悪意の恣意が働いていることのほうが多い。
たとえば、アフリカにエティオピアという国がある。今では‘アフリカ’で全くの途上国のように思われているが、以前はプレスタージョンの国といってヨーロッパがカトリックを受け入れる遥かに以前からのキリスト教国なのだ。まだまだラテン(ローマ)もゲルマンもキリスト教を受け入れる前からの筋金入りのキリスト教国を、いざその事実がわかると正統派(オーソドックス)を自称する人たちは自分達のセクトの都合だけで異教や邪教だと退けてきた。
これは、今でも日常的にみられる現象ではなかろうか。歴史や経緯を全く無視して、現時点での自分の尺度だけで割り切ろうとする人たちのいかに多いことか。
今はたまたま、エコノミクスという尺度だけで世界をランクづけしているが、ただそれだけのことである。
たとえば世界で一番歌のうまい人たちとか踊りのうまい人たちとか、料理のうまい人たちの国とか、芸術性の豊かな人たち、ちょっと評価が難しいが、道徳心の高いとか敬虔な人たち、親切な人たちの住む国(地域)とかいう全く違った観点(物差し)でみると、ずいぶん、この世界も違って見えるだろうと思う。これが、自然情況と宗教を中心としたそれぞれ何百年にも何千年にもわたる価値体系の集大成としての地域を形作っていることはいうまでもない。
文化人類学の目的の一つである「自分(達)自身を知る」ということは、個人にとっても社会にとっても非常に大切なことだと思う。しかし、何かを較べて、自分の優位さだけを確認するような行為はやめてほしいし、するべきではないと思う。それぞれ、よいところもあれば悪いところもあるし、そもそも、その尺度自体が非常にあやしい。それぞれ持っている物差しが違うということは、当然まず一番最初に押さえておくべきことであろう。
「文字をもっている」「もっていない」とか、「あれを知らない」「これを知っている」とか、量や質の違いを問題にすることはもうやめよう。それぞれが、すでに何百年も何千年も生き続けてきたこと自体が、それぞれ尊いことなのだ。
世の文化人類学者たちよ、研究対象と自分を分けたり、調査する側とかされる側という彼岸や此岸という見方を捨てて、それぞれ単なる人間のひとりひとりであると地面に立ってみませんか。そもそもあなたと彼らとの間には、川もなければ溝も谷もありません。みんな、泣いたり笑ったり歌ったり踊ったりする、あたりまえの人間です。たまたまあなたは先進国で教育を受けた‘権威’ある人かも知れませんが、権威と、人間の‘尊厳’とは全くなんの関係もありません。
自分達の物語を書くでもなく、彼らの物語を書くのでもなく、われわれの物語を書いてみませんか。調査する側でもなくされる側でもなく、同じ地球を共有する人間として物語を。
蛇足ながら:
ここまで書いてしまうと、どうしても‘開発’という行為や‘開発コンサルタント’という立場に身を置く自分自身に言及をせざるを得なくなってくる。
しかしながら、この問題は、今後ずっと考えつづけていく宿題として残しておきたい。自分は何をやっているのか、誰のために、何のために生きているのか。言葉にしたら‘ウソ’になりそうで、たぶん、その時々で‘ブレ’そうで正直言って重く辛い宿題だ。
ただ私自身は、‘偉そう’に言っているぐらいのことは実践しようとしている、少なくと実践しようと思っていると自分に言い聞かせたい。
とかなんとか言っているけど、でも本当は、結構、この環境というか、こういう立場を楽しんでいるというのが本音である。自分は、幸い人が好きだし、難しい問題にぶち当たったときほど燃えてくるほうだし、お人よしの馬鹿というかそもそも楽天的な人間だし。そのとき、そのときの情況や人とのやり取りを楽しんでいる。
深刻ぶって考えても、結局、評価は他人がするものであり、所詮、人間は自分の顔すらリアルタイムで自分の目でみることができないのだ。自分だけのための自分もいないし、誰かさんのためだけの自分でもない。
まあ適度に自分の周りの世界をかき回して、そういえば、あんなやつがいたなあとか、楽しい‘仲間’がいたなあと、なにかの折に人に想い出してもらえれば、それだけでも生まれてきた価値があったのではなかろうか。
あえていえば、それが‘私にとって’の「われわれの物語」ということにしておこう。
(この項 了)
注1,2は、次ページに移動しました。
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n000281.htm
注1: 文化人類学の1990年代を振り返る
そもそも門外漢の素人であるしばやんごときに、このような問題提起を受けること自体、専門の文化人類学者の方々にとっては片腹痛いことかもしれない。以上の論点は、「文化人類学」に対する非常に極端なステレオタイプな見方の一つであることも承知している。もしかしたら、すでに終ってしまっている(克服された)問題なのかもしれない。
特に1990年代以降の文化人類学会や、日本のマスコミをつぶさにみてみると上記に述べたような課題を克服すべく多大な努力が行われてきたことは敬意に値する。
たとえば、文化人類学の現在については、以下のキーワード集が参考になった。
○ 山下晋司・船曳建夫編 『文化人類学キーワード』 有斐閣 有斐閣双書Keyword Series 1997
○ 綾部恒雄編 『文化人類学最新術語100』 弘文堂 2002
これらのキーワード集をぱらぱらめくってみると、いかに文化人類学が自己脱皮を果たそうと苦戦している様子が垣間みられる。
テレビ・マスコミは、そもそもあまり見たいのでよく知らないが、『世界不思議発見』や『世界うるるん旅行記』などの啓蒙番組、『猿岩石』に始まる同時並行ドキュメンタリーなとは、私の幼少時代に見た川口浩の怪しげな探検隊(タイトルを失念)のドキュメンタリー(といえるのか)とは隔世の感がある。
また最近、新しいシリーズの始まったNHKの『シルクロード』1984を始めとする良質な映像番組は日本人の啓蒙に非常に大きな役割りを果たしてきた。また近年ブームの、『ユネスコの世界遺産』にかかる映像番組は、あらゆる世界の叡智や不思議を茶の間に身近なものにしてくれたと思う。
ところで、本文で文化人類学批判をしてはいるのの、その文化人類学に対して個人的には非常に思い入れというか期待感があるのも事実である。実際、人文地理学に関心のあった私は、大学受験に当たって南山大学の文化人類学科とかスペイン語、愛知大学の地理学科も併願していた。第一希望は、東京外国語大学のアラビア語、第二希望が大阪外国語大学のアラビア語であったが・・・結局、大阪外大のアラビア語に進んだ。
そもそもこの文化人類学に対する近親憎悪?については、中学生や高校時代に読んだ本多勝一の一連のルポルタージュによるところが大きい。本多勝一の本領は、『アラビア遊牧民』や『カナダ=エスキモー』、『ニューギニア高地人』などの文化人類学の成果に数えられるルポルタージュよりもむしろ、その後の『戦場の村』、『アメリカ合州国』『中国の旅』などの中期の作品から明確な哲学として現れてきたと思う。
私はリアルタイムの読者ではないが『殺される側の論理』『殺す側の論理』などの視点は、少なくとも日本人で人文科学を志すものにとって、すでに古典というか常識になっていると思うのだが、果たして今の高校までの学校教育ではどのように扱われているのだろうか。
この数年、開発学や途上国のことに関心をもつ大学生や大学院生と話すことも多い。そんなときに結構、本多勝一を知らない人も多くて愕然とすることもある。
特に、開発学については、まだまだ日本語で読める本も少なく(この10年、ねずみ算的に急激に増えていることは知っているが)特に理論面や実践面では外国語の翻訳本を読むのもよい。
しかし、もっと日本人自身の葛藤というか問題意識といったものも押さえておいたほうがよいのではないか。いろいろなところで強調しているが、私は日本人のセンスというのは、世界的にみてもそれほど悪くないのではないかと思っている。だからこそ、この「歩く仲間」の‘日本語版’では、日本人の業績にこだわりたいと思っている。
‘英語’版では、日本人以外の英語を読める読者のために別の観点から切り込みたい。できれば、5年以内に本格的にスタートできればと思っている。
注2: 地政学と地域研究について
文化人類学の兄弟みたいなもので地政学というものもある。その地政学的な観点からの地域分けは意味があるというおっしゃる方がいると思うが、これは「地域研究」自体の危険性に踏み込むことになるので、「地域研究」と「開発学」との絡みで別途論ずることとしたい。
以 上
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今回、久しぶりに自分の文章を読み返したわけですが、‘5年以内に英語版’を書くと2005年7月3日に自分が書いたのをみて、ちょっと赤面。やはり修論は英語で書かなくてはならないのか?ということなのでしょうか^^?
今日は、もうちょっと先までと思いましたが、引用だけで終わってしまいました。大体、私が書いているようなことはすでに了解済みのことだと思いますので、次回は、‘リアリティ’というキーワードで切り込みます。
ではでは^^?