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カテゴリー「アラブ・イスラーム関係」の7件の記事

2011年6月27日 (月)

<コラム(その1)> あとがきにかえて(旅行の勧め) 2011年6月26日

初出: HP版歩く仲間 2000年5月5日 再掲載。

アラブ・イスラーム学習ガイド(資料検索の初歩)@1991年11月11日

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g000.htm

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あ と が き に か え て(旅行の勧め)

近年、マスメディアの、特にテレビの発達によって、瞬時に、世界中の情報が、それも茶の間で知ることが出来るようになった。しかし、テレビに徹底的に欠けているもの、それは匂いであり温度であり、曖昧な言い方だが、要するに雰囲気(アトマスフィアー)とでも言うものであろう。いくら、テレビ技術が発達しても、結局、音と映像だけの世界でしかない。俗に、五感というが、私達が物を認識しようとする場合、さらには体感しようとした場合、果たして聴覚、視覚だけ分かったと言えるのであろうか。

「コピー文化」という言葉がささやかれるようになって、すでに久しいが、日本のこの状態はどうもおかしいし、まずいと思う。疑似体験(体験とは言えないと思うが)だけで、分かったような気になっている。最悪の例が先の、テレビのシュミレーションゲームそのものと言われた湾岸戦争の報道であろう。私達は、連日のように湾岸地帯の映像を、イラクへの爆撃さえをも見ていた。 しかし、一体誰が映像の向こうにいる人々の痛みや悲しみ、怒りを感じることが出来たのであろうか。イラク兵も、多国籍軍兵も、さらには一般市民も、断じて、決してゲームの基盤のうえの駒なんかではない。

実は、正直に告白すると、私は、まだアラブの地を踏んでいない。湾岸戦争のことなど、言い訳はいくらでもあるのだが、それはともかく、今までずっと述べてきたこと、すなわち体感するためには絶対に現地体験が必要不可欠である。もし、留学というものが必要であるとしたら、その本旨は、書物や、外側からだけでは解らない生活そのものに触れる事ではなかろうか。チェアー・ディテクティブではだめだと笑われるかもしれないが、この目録ぐらいのことは出来るということは、特記してもおいてもよいであろう。

さて、イスラームの大旅行家であるイブン・バッツゥータが、29年間にもわたった大旅行に、故郷のタンジャから旅立ったのは、彼の22歳の時であったことを、ふと思い出した。私も、近々その年齢を向かえる。旅立ちへの期待を胸に秘めつつ筆を置くことにする。

1991年11月11日

執筆者しるす

2011年5月21日 (土)

恩師 竹田新先生の業績のページ @イスラーム地理書・旅行記勉強会

どうも、忙しいとき?に限って、よけいなことをやってしまうみたいで、開発民俗学への途(第2部)を書きつつも、休止状態のmixiの「イスラーム地理書・旅行記勉強会」のコミュについつい書き込んでしまいました。

初出: イスラーム地理書・旅行記勉強会

恩師 竹田新先生の業績のページ

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=62485855&comm_id=4600043

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私は、1988年から1992年まで大阪外国語大学外国語学部アラビア・アフリカ語学科アラビア語専攻に学びました。

その時の主任教授の池田修先生は、だれもが知る古典アラビア語の大家のひとりですが、その時の助教授で3名の先生がいらっしゃいました。

竹田新先生、高階先生、福井先生といずれも個性豊かなアラビア語の達人の先生でありましたが、後者2名がどちらかといえば古典語など言語学に造詣が深いのに較べて、竹田新先生は、もう少し文化一般というか平たい授業をされていたような気がします。

ともあれ、アラビア語がやりたいとたたいた外大の門ではありましたが、やっぱりアラビア語は難しかったです^^?

田舎の学校では、それなりに英語ができたつもりでいましたが、外大生のレベルは凄かった。大学に入る前に、2,3ヶ国語マスターしていた人がごろごろいたし、アラビア語は特に難しい言葉の一つだったので、いろいろな意味でチャレンジングな学生が多かったような気がします。

ちょっと話がずれましたが、実は、竹田新先生が、私が以前から興味のあったイスラームの古典的な知の体系、特に地理書研究の分野では、当時より一人者でありました。

正直、外大の院をけって飛び出そうとした若気のいたりというか、たぶん素直には入れてくれなかったかもしれませんが、竹田先生のもとを離れてしまったことは、少しだけ今でも後悔しています。

ともあれ、ここでは竹田先生の業績や研究についてまとめて紹介していきたいと思います。

竹田先生の業績リストです。

○竹田新 「イブン=ホルダーズベの『諸道と諸国の書』」 『大阪外国語大学学報 43』 1979

○竹田新 「Juhaの笑話について」 『学報 第72-3号』

○竹田新 「Ialim考-Yaqutと基に-」 『オリエント 26-2』 1983

○竹田新 「アラビア語の地理文献について(I:西暦8世紀)」 『大阪外国語大学大学院修士会 外国語・外国文学研究 7』 1983

○竹田新 「アラビア語の地理文献について(II:西暦10世紀-1)」 『大阪外国語大学大学院修士会 外国語・外国文学研究 8』 1984

○竹田新 「アラビア語の地理文献について(III:西暦10世紀-2)」 『大阪外国語大学大学院修士会 外国語・外国文学研究 9』 1985

○竹田新 「ムカッダスィーの『諸州の知識に関する最良の区分の書』について」 『大阪外国語大学学報 第六十四号』 1984

○竹田新 「Juhaの笑話について」 『大阪外国語大学学報 第72-3号』 ?

○竹田新 「『ビラウハルとブーザーサフ物語』の補遺 -三つの仏教説話-」 『大阪外国語大学論集』第2号 1989

○竹田新 「マスウーディー著『黄金の牧場と宝石の鉱山』の第三~第六章をめぐって(1)」 『大阪外国語大学論集』第4号 1990

○竹田新 「マスウーディー著『黄金の牧場と宝石の鉱山』の第三~第六章をめぐって(2)」 『大阪外国語大学論集』第5号 1991

○竹田新 「アラビア語文献に見られるスィーラー」 ?

○竹田新 「アラビア語地理書の世界 ムカッダスィーの世界観・地域観」 辛島昇、高山博編 『地域のイメージ』 (地域の世界史2) 山川出版社 1997

以上

実は、それ以後の研究についてうかがっていないので、また伺ってアップデートする予定です。

 

ではでは^^?

2010年1月11日 (月)

イスラームの知の体系について<各論>

実はミクシイで、「イスラーム地理書・旅行記勉強会」というコミュを主宰しているのですが、その中に、標記のトピックを立てました。ご参考までに下記に転載しておきます。

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イスラームの知の体系について<各論> @ イスラーム地理書・旅行記勉強会

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=49550970&comment_count=1&comm_id=4600043

湯川武 『イスラーム社会の知の伝達』 & ダニエル・ジャカール 『アラビア科学の歴史』   日記 2010年01月10日 より

昨年末(2009年)、12月3日のことですが、久しぶりにアラブ・イスラーム関係の本を買いました。

たまたま眼に入ったのが、下記の2冊。

10011000_5

○湯川武 『イスラーム社会の知の伝達』 世界史ブックレット102 山川出版社 2009年6月

10011001

○ダニエル・ジャカール/吉村作治監修 遠藤ゆかり訳 『アラビア科学の歴史』 [知の再発見]双書131 創元社 2006年12月

特に、前者は、「そうそう、これが(俺の)専門、こういうことがやりたかった」のだと、若き日?のことを思い出させてくれました。

湯川先生は、アラビア学の名門の一つ、慶応義塾大学の教授を長く勤められて私が学生時代(もう20年前)にお会いしたときからエネルギッシュな方で、たしか私が3年生かのときに集中講義にもきていただいた記憶があります。(たぶん授業は取れなかったと思いますが)

まあ日本中東学会では、関東でずっと活発に活動されていたので、いろいろなところでお会いすることも多かったのですが、このテーマはまさに、イスラームという宗教の性格(かならずメッカに巡礼しなければならない)から必然的に引き起こされた巡礼の旅、すなわり巡礼文学=旅行記(厳密にはニアリー・イコールなのですが)ということを考える根源の問題で、私が20年前に追究したかったテーマの一つでした。

あと、同じ本屋で見つけた後者の本も、フランスの研究者の本の翻訳ですが非常にコンパクトに図版も多くまとまっており、イスラーム科学というよりイスラーム文化の隠された一側面を学ぶのに手ごろな一冊かと思います。

久しぶりに自分の好きだったことの本にめぐり合えて、アラブ・イスラーム旅行記・地理書研究への関心を呼び覚まされました。

今年は、開発民俗学関係での学会発表を考えていますが、やはり元々の自分の原点であるイスラーム研究も、少しずつでも進めていきたいと思います。

ではでは^^?

2009年10月17日 (土)

「イスラーム地理書・旅行記勉強会」を再開します!

アラビア語関係の研究は一旦、封印していたのですが、まあ転職して1年も経つことだし、ライフワークの3つの柱の一つとして、「アラブ・イスラーム地理書・旅行記勉強会」を再開することにしました。

手始めに、ミクシイで、「mixi イスラーム地理書・旅行記勉強会」というコミュニティを立ち上げました。

http://mixi.jp/view_community.pl?id=4600043

なぜ、今なのかと問われれば、まずこのニュースをお伝えしたい。

09101702 イブン・ジュバイル 藤本勝次・池田修監訳 『イブン・ジュバイルの旅行記』 講談社学術文庫 2009年7月13日 第1刷発行

文庫本 1,450円(税別)

何が言いたいかというと大阪外国語大学のアラビア語学科の恩師、池田先生と関西のアラビストグループの翻訳となるこの本、実は私が20年前に大学のときに、まさに先生や院生の方々が取り組んでいたプロジェクトで、原本は、1992年3月に『イブン・ジュバイル 旅行記』として、関西大学東西学術研究所 訳注シリーズ 6 として発表されました。

以下が原本の表紙です。

09101704著者・監訳者は上記に同じ  『イブン・ジュバイル 旅行記』、関西大学東西学術研究所 訳注シリーズ 6

関西大学出版部 6,500円(税込)

A5版 ハードカバー

非常に立派な装丁なのですが、学術書でいかんせん定価がめちゃくちゃ高い。

もう、はしたないとかみっともないとか大人げないとか、なんといわれようとかまいません。

本当に、今の大学生が本当にうらやましい。そして悔しい。

開発コンサルタントというそれなりにチャレンジングな職業について世界を股に、自分もまた旅してきましたが、1992年の当時、自分がどうしてもやりたかったことが、アラビア語の地理書・旅行記の研究だったのです。

いろいろ理由があって紆余曲折があって、結局就職してアラビア語の世界からは一旦離れざるを得ませんでした。

でも社会人になっても日本中東学会なんぞに顔を出し続けたのも、まだ自分の中で不完全燃焼であったからに他なりません。その不満?が爆発したのが2003年から東京で有志を募って始めた「アラブ・イスラーム地理書・旅行記勉強会」なのですが、10回ほど続けることができましたが、初学者も多く、とても研究とまではいきませんでした。

どんなときでも常に視野というか頭の片隅にあったのが、アラブの大旅行家「イブン・バッツゥータの大旅行記」を写本の収集から現地踏査まで20年以上の月日をかけて完成させた家島彦一先生でした。もう20年前にたしか第5回か6回の関西大学でおこなわれた日本中東学会の総会で初めてお会いした家島彦一先生でした。そのご活躍を近くまた遠く背中をみながら、胸に暖めてきた情熱。

やっぱり、これはやってやろう。思えば池田修先生、日本人でアラブ・イスラームの地理書研究の一人者である竹田新先生の門下生として、やはり私がやらないといけないでしょう。(家島先生は、竹田先生のご紹介だったと思います。)

ということで、とりあえずミクシイで‘仲間’を募りつつ独学を続けていきたいと思います。

09101703

さて、これはエジプトで仕事をしたときにエジプト人の秘書にカイロの大本屋で購入してもらったイブン・バッツゥータの『旅行記』の原書です。

1999年2月28日 カイロで購入とメモがあります。

ともあれ、家島先生の平凡社 東洋文庫版の全8巻の完訳もあるし、まあぼちぼちとやっていきます。

そうそう、開発援助の現場で足で歩いた世界の感触・体験から説き起こす「開発民俗学」、ヨット部経験から現職につながる「海洋民俗学」への途は、この「アラブ・イスラーム地理書・旅行記研究」と全く矛盾しないどころか互いに補完しあうものであることを申し添えておきましょう。

この3つのテーマをひとりで縦横に語れるのは、日本広しといえども‘私’しかいないと思います。

たぶん^^?

そのうちに学界にカムバックするからな!と勝手に東の空をみて思う今日この頃です^^?

ではでは^^?

(おまけ)

家島先生の力作。

09101705_2 イブン・バットゥータ イブン・ジュザイイ編

家島彦一訳注 『大旅行記』 (全8巻)

平凡社 東洋文庫 1996年6月10日 初版~2002年9月25日 初版

また、サイドストーリーとしてこんな本もだされています。

09101706 家島彦一 『イブン・バットゥータの世界大旅行 14世紀イスラームの時空を生きる』 平凡社 平凡社新書 2003年10月20日

ところで、いろいろ偉そうに書いていますが、まだ和訳すら読んでいません^^?

でもいつか読もうと本棚を温めて?積読状態を維持しておりました。最近は、特に専門書はそもそも印刷部数が少ない上にあっという間に本屋の本棚から落ちてしまいますので、気がついたときに市中在庫だけと思って購入しないとすぐ手に入らなくなってしまいます。それはそれとして。

まあ開発コンサルタントの仕事が忙しかったのもありますし、老後の楽しみ?に取っておいたという側面もありますが、本棚にあるこれらの本の背をなんとはなしにみてはじりじりとしたプレッシャーを感じていたのも事実です。

はっきりいって仕事をしながら、全く仕事と関係のない専門書やアラビア語の本を読むのは不可能とはいえないまでも、現実として自分にはできませんでした。

現在もマリン業界に身をおいているため、当然、それほど趣味に時間をさくわけにはいきません。とはいえ、本職に力をいれるのは当然のことですが、目先の売上げや人間関係などだけに一喜一憂するのはどうしたものかと私は思います。

もう少し、ロマンを持って生きて行きたいなと、常々思っていますし、好きなことをする息抜きもないと人間、すぐに煮詰まってしまいます。

以前、進学をあきらめたとき、「勉強ならいつでもできるから」と母親には諭されました。それは事実ですが、もし職業としてそれを生業にするのなら、つまり研究者になるためには、その全く儲けにならないどころか勉強をさせていただくためにお金を払い続けなくてはならないつらい時期は、やはり当然‘その時’に経験しなければならない‘壁’というか‘道’であったと、今にして思います。

あの時やらなければ、職業「勉強家?」には成れなかった。続けていたとしても果たしてどうなったのか、今となっては全くわかりません。

でも現実として、私は就職して、全く違った分野で一から経験や勉強を実社会でさせていただきました。16年間も海外の仕事に携わることができ、毎年1年の何ヶ月かを開発途上国で働いてきました。最後は4年あまりの駐在員経験もできました。もともと政府開発援助の仕事なので、民間企業とはいえ、これは会社の経費というより「国民の税金」を元に世界を旅することができました。

思えば、1995年にアラブ首長国連邦のドバイを皮切りに、エリトリア、エジプト、ブルキナファソ、イラン、東ティモール、フィリピンなど短期や長期に住み込んで「歩きながら考える」機会を与えていただきました。多分、100回以上、国際線の飛行機に乗っていると思います。

ともあれ、たまたまというか日本の地元に戻りましたので、それらの経験をやはりなんらかのかたちで社会に還元していきたいと思っています。

そんなかんなで、常に「歩く仲間」を求めて自分の生きる途を追求していきたいと思いますので、関心や興味をいだく方がおられましたら、まずちょっとだけでも一緒に歩いてみましょう。

これは、まさに、10年前に「歩く仲間」プロジェクトを立ち上げたときの言葉のそのままなのですが^^?

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n0000.htm

ともあれ、これからもよろしくお願いいたします。

ではでは」^^?

2009年1月17日 (土)

アラブ・イスラーム学習ガイド(資料検索の初歩) (©1991) の目次です。

という記事の目次を紹介します。案内にあるように、私が大学生のときにつくったガイドですが、まだまだつかえるところもあるだろうということで^^?

最近結構いろいろなところでいっていることですが、どれほどまわり道であったとしても結局人間というか「生物は個体進化を繰り返す」しかないと思います。つまり‘自分本人’が学び続けなければ、何もわからないままで一生を終わってしまいます。

思えば、私も最近いい気になって、宮本常一氏の「あるくみるきく」を語っていますが、実はあまり言及されていないものの、彼の本当に尊敬できる点のひとつが「あるくみるきく」に加えて、というかその基盤として、膨大なモノ(文献資料など)を「読んでいる」ということです。

民俗学者「宮本常一」は、渋沢敬三との合作であって、渋沢翁が自宅のアチックミュージアムに宮本氏を居候させて彼の蔵書や人脈を自由に利用させなければ、宮本氏の「あるくみるきく」は非常に薄っぺらいものになっていたであろうと私は推測します。

私は、自分でやってきたという自負をもって、以下をご紹介します。当時手に入る限り、時間も自分の受容能力も省みず、書物を漁りノルマのように読みまくったという原体験は出来る限りの死力をつくしたということで、今でのひとつのよりどころとなっています。

当然、その後、17年の学問の進歩はすさまじいものです。でも、古典は古典であり、逆に基礎的なもののほうが一冊あたりの投資価値というか情報価値が多いです。どうしても後発組は先人の肩の上に乗って、その上に、少しを積み重ねる(それが難しい)わけですから、情報の密度は最初に言った人のほうが濃いです。

ともあれ、日本の中東研究者の言説はおもしろいです。巨人とでもいうべき学識が多くいるような気がしますね。身内びいきみたいですが^^?

ではでは^^?

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http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g000.htm

アラブ・イスラーム学習ガイド(資料検索の初歩) (©1991)



しばやんが、大阪外国語大学アラビア語学科の大学4回生の時にまとめた‘アラブ’や‘イスラーム’に関心がある人たちへの、究極?の学習ガイドです。(第一部、第三部)

また、リファレンスワーク(資料検索の初歩)について一章を設け、特に文系の資料検索にかかる‘コツ’みたいなものについてもふれています。(第二部) 

ただし、第四部、付録2については内容が古いので、利用にあたっては各自の責任で事前にご確認ください。

なお、1990年以降の文献につきましては、「しばやんの本だな」(http://homepage1.nifty.com/arukunakama/blistai.htm)および「アラブ・イスラーム地理書・旅行記勉強会」(http://homepage1.nifty.com/arukunakama/it000.htm)のコーナーもご参照ください。

『アラブ・イスラーム学習ガイド 資料検索の初歩』

 

電子ファイル版©2000.May.5

再録に際して 「あらたな地平線をめざして」 2000年5月5日

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g0001.htm

初版©1991 (以下の収録内容は初版のとおり。但し、挿絵、図版を除く。)

<目 次>

 まえがき http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g001.htm                      

 第一部 文献案内編 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g002.htm

    「アラビア語学習案内(辞書・文法書の紹介)」 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g002.htm

    「中東世界へのアプローチ(BOOK GUIDE)」

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g003.htm

     <HOP>(初級編)    <STEP>(中級編)  

     <チョット休憩>(番外編)   <JUMP>(上級編)  

 第二部 リファレンスワーク入門 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g004.htm

    1、はしがき                     

    2、資料の検索と整理術                

    3、第三部に関する文献案内とその補足         

 第三部 目録編 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g008.htm

    「イスラム、アラブ関係書(文献目録)」        

     <その他>

     <単行本>

    <文庫本>

    <新書本>

 第四部 住所録編 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g011.htm

    「イスラム、アラブ関係施設住所録」          

     <書店>       <専門図書館等> 

     <研究機関>     <レコード店>  

     <学会等>      <アラビア料理店>

 付録 1、雑誌類一覧  http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g010.htm                  

    2、アラビア語を教えてくれる所http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g013.htm          

 あとがきにかえて(旅行の勧め) http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g014.htm

2009年1月 8日 (木)

なぜ今、中世アラブ・イスラーム地理学・旅行記なのか? (2002年の記事の再掲です。)

すでに7年前の記事ですが、中東問題に対する私のスタンスがよくわかると思いますので、あえてここに再掲載させていただきます。ちなみに、「勉強会」は約10回の活動を経て、私のフィリピン駐在のため終了しております。

アラブ・イスラーム地理書・旅行記 勉強会 http://homepage1.nifty.com/arukunakama/it000.htm

ではでは^^?

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2002年9月1日

なぜ今、中世アラブ・イスラーム地理学・旅行記なのか?

(同時多発テロ一周年によせて)

2001年9月11日、アメリカのニューヨーク、ワシントンD.C.その他で突如勃発した同時多発テロは、たぶん同時代に生きる多くの人々にとって決して忘れることのできないものとなったであろう。イスラームの挑戦とか、多くの論者がさまざまな私案を発表しているが、その背景はそんなに簡単に一言で言い表せられるものではないのだろう。

約10年前、私は、大阪の片田舎で、ほぼ世間と隔離された環境でオレ本(オレンジブック=電話帳のイエローページみたいな厚くて馬鹿でかい本)などというミシガン大学で編まれたアラビア語の教科書と日々格闘していた。何かがあると信じて入ったアラビア語学部、当初の目論見では、モロッコからイラクまで、北アフリカからアラビア半島まで話されているというアラビア語を勉強すれば、たとえどんな職業に就こうともつぶしがきくし、などと浅はかにも考えていた。

大学入学当時に想定していた職業は、外交官になってもいいし、現代の問題をやってジャーナリストになってもいいし(当時、イラン・イラク戦争の問題やパレスチナ問題など話題に事欠かなかった)、中世史をやって研究者なってもいいし(当時、ようやく「イスラームからみた十字軍」などという本が話題になりつつあり、近代ヨーロッパ文明に対するイスラームの中世における優位性を「再」発見しようとする大きなムーブメントのなかにあった。)という気もあったし、まあ月並みで今思えば大甘ちゃんな「青年よ大志をいだけ」という言葉しか知らない若造であった。あと、イスラームという宗教に、近代西欧文明に対する精神的なアンチテーゼとなりうる「何か」があるのではとも考えていた。

そんな学生時代のある日、イラクとクウェートとの間で湾岸戦争が勃発した。(1990年~1991年)当時から、イスラーム世界は、10年ごとに問題?を起こすといわれていた。近年だけを振り返っても、下記のような数字に見ることができるだろう。

1967 年 六月戦争(第3次中東戦争)、

1973年 アフガンで王政打倒のクーデター、共和制へ、十月戦争(第4次中東戦争)、

1979年 イラン革命、

1980年       イラン・イラク戦争始まる。1988年 イラン・イラク戦争終結、

1990-1991年 湾岸戦争、

2001年9月11日 8:45 アメリカ同時多発テロ(ニューヨーク、ワシントンD.C.)

2001-2002年 テロに対する戦争(2002年 アフガン陥落)

 ちょうど1989年には中国で天安門事件があり、ドイツではベルリンの壁崩壊があり、冷戦終結のムードの中で、なぜ、湾岸戦争なのか?という思いを感じた人たちの数は数億を下らないであろう。その後、残念ながら、冷戦終結後にも引き続き地域紛争は続き、1945年の第二次世界大戦自体が、まだ終わっていないなどという識者がいるほどである。

 そんな学生時代、イラクへの空爆をテレビでリアルタイムに見なければならなかったことは、はっきりいって精神的苦痛の何者でもなかった。(物理的にはテレビ受信装置があって、キャメラで捕らえた映像をリアルタイムで衛星放送することなど技術的には当時でも難しいことではなかった。)なぜ、人は平気で、まるでテレビゲームをみるように戦争を「眺める」ことができるのだろうか?あの爆撃の下で、何万人の人の命が失われようと、「正義」を語るあなたの前に全ての人間はひれ伏せなくてはならないのであろうか?

 この現実感覚のなさとでもいうのだろうか、ブラウン管の向こうに見えるものと今生きている自分と何の接点もなく、まるで映画でもみているような浮遊感に陥れてしまうメディアのあり方は、倫理上、決して許されるものではないと思う。(これは、その後、数年後に「マトリックス」という映画でみごとに逆説的に描き出された。放映当時は知らず、数年前に始めてみたが、はっきりいって、私はこの映画のコンセプトというかリアリティのあり方に戦慄を覚える。まさに現実と仮想との狭間を突くようなテーマであったから。)

 2001年9月11日の午後11時過ぎに、明日提出の仕事の最終取りまとめをしていた私たちは、約10年前と同じく、まるで、ハリウッド映画をみるように「航空機が、ワールドトレードセンタービルに突っ込んでいく」のを、なすすべもなく、ただただみつめるしかなかった。

 さて、1991年当時に戻ってみると、「湾岸戦争」などというものに、アラビア語やイスラームを学ぶものとして出会ってしまったがゆえに、青臭い正義感などを差し置いて、ふとこんなことを思ったのである。

 今、イスラームやアラブに関して、現代的な話題にばかり目がいってしまっている。あやしげな軍事評論家や、知ったかぶりのコメンテーターが偉そうに語るほど、アラブやイスラームは上っ面だけの簡単なものであろうか?果たして、われわれ日本人は、彼らの何をどれだけ知っているのだろうか。中世ヨーロッパのルネサンス以前の最先端地域であったアラブ・イスラームのコスモポリタンな都市文化(文明)について、まだ十分に日本では研究されていない。そうだ、こんなに移り変わりの激しい現代史を追うよりも、もっと歴史的に掘り起こして、われかれの違いを知ることは十分意味があることなのではなかろうか?

 そんな私が卒業論文のテーマとして取り組んだのが、中世12世紀におけるイタリアのシチリアであった。当時、ノルマン朝で12世紀ルネッサンスの一つの拠点となったイタリアのパレルモの宮廷は、イスラーム教徒、キリスト教徒やユダヤ教徒、ギリシャ語、ラテン語とアラビア語の入れ混じる高度に成熟した文化を誇っていた。その側面を見るのに使ったのが、イブン・ジュバイルというアンダルシア(スペイン)のイスラーム教徒の旅行記であった。そのシチリアは、「寛容と共生」の精神を具現したものと後世、言い習わされてきたが、果たしてどのような世界であったのだろうか?残念ながら、アラブ側からの資料では、とてもシチリアの中世世界を解き明かすことはできない。たまたま、高山博という15歳年上の研究者が、すでにラテン語、ギリシャ語、加えてアラビア語の原著から12世紀のシチリアの研究を、当時(1991年)で、もう10年来研究していることを知って、あっさりとシチリア自体の研究は諦めた。

 (イブン・ジュバイルの『旅行記』は、藤本勝次・池田修監修で1992年に関西大学出版部より和訳が公刊されている。また、高山博先生のシチリアに関する研究は、『中世地中海世界とシチリア王国』 東京大学出版会 1993年、『神秘の中世王国 ヨーロッパ、ビザンツ、イスラーム文化の十字路』 東京大学出版会 1995年として、公刊されている。)

 ともあれ、中世のイスラーム社会は、「知(識)を求めよ。中国からモロッコまで、ゆりかごから墓場まで」(アラブのことわざ)」と言われるほど、広域なネットワーク社会を誇り、実に多くのイスラーム教徒が、「平和の家・戦争の家」というイスラーム圏とそれ以外の異教徒の世界との区別意識は持ちつつも、メッカへの巡礼を契機というかきっかけにして、世界中へ商売もしくは学問追及の旅に乗り出していったのである。(この状況については、『アラビアンナイト』でも多くの説話として取り上げられている。例えば「シンドバードの冒険」は特に有名であろう。ただし、異本扱いだが。)

 1991年当時、イスラームの大旅行家といわれたイブン・バッツゥータの旅行記は、前嶋信次先生の抄訳しかなかったし、他のイスラームの文学者、文化人の著作についても、高校の教科書で名前とその主著書について大学受験のために暗記させられるものの、完全なアラビア語から日本語訳された翻訳書は、皆無の状況であった。これは、ちょっと考えればわかるが、彼ら(アラブ・イスラーム教徒)の誇るべき先達たちの業績を、日本人は全く知らないということなのである。つまり、誰もが国語や社会で常識として知っているアラブ文学史上の綺羅星の数々を、われわれ日本人は不幸にも全く知らないのだ。)

 その後、ほぼ10年経って、確かにイスラームに対する日本人の理解は進んできたといえ、当然、関係者の真摯な努力には敬服するが、まだまだ、このイスラームの知識人たちの残した膨大なアダブ文学や地理学・旅行記に関する地道な書誌学的な研究や、一般日本人への紹介の作業は、その課題の広大さに比して、遅々としてしか進んでいないようにみうけられる。

 現実問題として、アラビア語原典を読めるような高度なアラビア語古典の知識を身に付けることは、一朝一夕にできることではなく、アラビア語の会話ですら、けっして日本人にとってやさしいことではない。

昨年(1991年) 、イブン・バットゥータの『大旅行記』の原典(アラビア語)からの日本語全訳を完成させられた家島彦一先生にある研究会でお会いしたとき、この翻訳を思い立って完成するまで20年かかったとおっしゃっていたことを思い出すと、確かに、この手の作業は果てしのない事業だとも思ってしまうのである。(また、ある学生より、家島先生に「30年やってようやくアラビア語が少し分かるようになりました。」といわれて絶句したということも別の機会に聞いた。)

それでも、たとえそうはいっても、このまま手をこまねいていてよいものであろうか?決して採算ベースに乗らなくても、はやり(流行)でなくても、やはりアラブ・イスラームの古典を研究して、日本人の教養というのは大げさにせよ、知識の一部に、ちょうど中国やヨーロッパの古典と同じく、アラブ・イスラームの考え方の一端でも共有することができるのならば、今後の21世紀の世界市民の一翼を担ううえで、大きなアドバンテージを得ることができると考えられる。

このイスラーム地理学・旅行記研究は、大学を卒業後、就職して働きながらも、何となく頭の片隅を離れない10年来の宿題であった。必ずしも、十分にこのことだけに時間をさけるわけではないが、たとえ遅々として進まなくても、多分、「開発学研究」のあわせ鏡となるライフワークの一つになると思う。

 今後、2003年1月を目処に、上記にかかる読書会を計画している。また、この勉強会の成果も踏まえて、HP上に、『アラブ・イスラーム地理書・旅行記勉強会』というコーナーを展開していきたい。関心のある方の、ご参加やご指導をよろしくお願いいたします。

読書会の詳細はこちらへどうぞ。

(この項終わり)

2008年5月25日 (日)

ジョジョの奇妙な冒険DVDとコーラン問題

mixiの日記で、先日取り上げた記事ですが、どうも気になるのでこちらにも転載させていただきます。

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<関連の新聞記事>
「アニメ「ジョジョ」イスラム圏の批判で一部出荷停止」(共同) IZAβ版 2008年5月22日 22:38
「コーラン」登場の批判、昨年から数百のサイトに-アニメ「ジョジョ」」 時事ドットコム 2008年5月22日 20:31
「アニメ 「ジョジョの奇妙な冒険」 中東で高まる批判」 FujiSankei Business i 2008年5月23日

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「あまりに安易な行動だったのではないかと思います。」  2008年5月24日

「ジョジョDVD コーランで批判 」の毎日新聞の記事について

ジョジョの原本を見ていないし(基本的に今マニラだし)限られた情報だけでコメントするのも難しいので一言だけコメントを。

ニュースに対するミクシイの書き込みでもずいぶん紛糾していますが、アラビスト(しかしムスリム(イスラム教徒)ではない)としてのしばやんとしては、また余計なことをやってしまったなあという感じです。

作者(漫画家)ではなくて、アニメの製作スタッフがなにげにコーランだと知らずに文字をそもそも何も書いていない本に転記してしまったという説明はたぶんそれなりに正しい(うそではないと思いたい)と思いますが、でも配慮がないよなあ。

たまに他のマンガでも見かけますが、とんでもないアラビア文字が何の脈略もなく書かれていることがあります。

なんで、こんな場面にこんな言葉が・・・?もう絶句という感じで。

イスラーム書道(カリグラフィー)が日本でも最近話題になっているようですが、神の言葉(コーラン)に対しては細心の注意が必要です。それは単なるわけのわからない文様でもなく‘一枚の紙切れ’では決してないのですから。

海外や日本でも、怪しげな漢字や日本語をプリントしたTシャツを着た人(特に外国人が多い)がいますが、その文字を読める日本人が、冗談だと笑うぐらいのギャグならいいのですが、間違ってもイスラーム教徒が自分の命より大切だとする神や神の言葉を軽々しく扱ったとしたら、いくら知らなかったとか、悪気はなかったといったとしても、かなりの制裁を受けることは、彼らの立場に立ってみれば常識というか当たり前のことです。

古い話題ですが、「悪魔の詩」を翻訳した五十嵐教授は、それだけ?で暗殺されましたからね。

私が大学で学んだ15年前に較べたらそれなりにイスラームやムスリム(イスラーム教徒)についての情報が日本でも増えてきたと思いますが、それにしても、依然として偏向した意見も多く、マスコミ自体も識者とされるコメンテーターも、‘全くわかっていない’のではと耳を疑うことが今でのあります。

もう少し、隣人としてのイスラーム(教徒)についての配慮が必要なのではないでしょうか。昔とった杵柄というかちょっと古い情報ですが、しばやんからの情報提供として。

アラブ・イスラーム学習ガイド(資料検索の初歩) (©1991)

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/g000.htm

しばやんって何者といわれそうですが、開発コンサルタントが仕事ですが、アラブ・イスラームは大学時代からしつこく?勉強し続けています。

歩きながら考えるがモットーです。

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この記事では、とりあえず「DVDの作成者の脇が甘い」ということと「軽々しくこんな?情報だけでイスラームやイスラーム教徒をジャッジするな」を主張したのですが、どうも気になって、今日(5月25日)、以下の記事をmixiの日記のコメントとして追加しました。
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いろいろ気になって情報を集めているのですが、どうも今回の事件?が誰かの‘意図’によってつくられたものではないかという気もしてきました。

陰謀説に組するものではありませんが、どうも裏がありそうですね。経緯も怪しいし、どうも誰かのメディアに対する、もしくは特定のメディアの情報操作があったような気がします。

でも実際には、マスメディアの報道によって、事実や真実とは違った派生的な情報までが行きかい、果てには元の情報とは違った情報が話題になってしまう。

どうもこちらのマスメディア社会の構造そのものが恐ろしい気がします。これでは市民参加の情報戦というか、別に今の世の中で専門家の優位性や特別性を持ち上げる気はしませんが、どうもみんな手探りで不確かな情報や憶測や思い込みだけで‘世論’というか、なんらかの‘雰囲気’や‘空気’が生み出されてしまう。

この後、この問題が変な展開をたどらないことを祈っています。

P.S.

どうもなんらかの悪意をもったものが情報を操作したという疑惑が抜け切れません。私も‘なにか’に洗脳されているのかなあ。
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こう書き込んだ直後に、こんなブログの記事を見つけましたので、ひとつの見方として紹介します。
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「ジョジョの奇妙な冒険のイスラム教冒涜問題」
このブログでは、ある通信社のマッチポンプではないかという説をあげております。
実際、これからもいろいろな意見や議論がでてくると思いますが、私としましては、どうも裏がありそうですよということのみ述べさせていただいて、一旦、この件につきましては筆をおかせていただきたいと思います。

フィリピン・ファン