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2007年4月28日 (土)

唄を聴いたら現地にいこう!私の現場主義

オフコースの紹介を書いてきて、ひとつ思い出しました。

高校時代、「秋の気配」という哀愁にみちた曲が好きで、高校3年生か、大学生(大阪の山奥に下宿していました)の時に、東京に行った際に、わざわざ、横浜の「海の見える丘公園」にまで足を延ばしたことがあります。(『SELECTION 1973-78』のB面、最後の曲です。)

歌詞を引用すると、

「あれはあなたの好きな場所 港が見下ろせるこだかい公園・・・」

確か、1990年代の始めだったと思いますが、その公園からは横浜港の巨大なドックのクレーンが見えるばかりでした。かなりがっかり^^?

あと、長崎に大学4年生の夏休みに一人旅で行ったことがあります。「長崎はいつも雨だった」内山田博とクールファイブのご当地ソング。実際に、そのような旅情に誘われて旅したこともなんどもありました。

「岬めぐり」のカラオケビデオにでてくる三浦半島の先端の城ヶ島に、これまた一人旅でいってみたり(作者の意図する本当の岬は、城ヶ島ではないらしい?)、森高千里の唄に誘われて、「渡良瀬橋」を見にいったり。古い記事ですが、ご笑覧を。

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/d03002.htm

この旅は、結構楽しかったです。歌にでてくる「八雲神社」にいったり、「床屋の角にポツンとある 公衆電話」ってどこなのって探したり、「渡良瀬川の河原におりて ずっと流れ見て」みたり、ちょっとおたっきーですね、これは。

で、私の最高傑作の、ご当地探索は、ずばりサンプラザ中野(爆風スランプ)の「大きな玉ねぎの下で」 (たしか1980年代後半の曲) ご存知の人はご存知でしょうけど、これは、男の子がペンフレンドで仲良くなった女の子をデートに誘おうと、東京武道館のコンサートのチケットを郵送したのだけども、結局、彼女がこなかったという歌です。(これまた泣ける唄ですね)さびの部分ですが、以下のフレーズがあります。

「九段下の駅を下りて / 坂道を人の流れ押してゆけば / 千鳥が淵 月の水面 振り向けば / 屋根の上に光る玉ねぎ」

なぜか暗記してしまっている^^?

ここで、わたしは‘坂道’を勝手に下がり道だと思い込んでいたのです。ところで大学時代に東京に行った際に、どうしても気になって、実地見聞をしてみました。

確か営団地下鉄東西線の九段下の駅を下りて(実際には地下鉄の駅から上がって)さらに、坂道をあがっていくと、左手に確かに、武道館の屋根の上に金色に光る‘玉ねぎ’がありました。

あそこら辺は、千鳥が淵公園の、‘無名戦没者墓地’とか、ここ数年、話題となっている「靖国神社」のまん前なんですよね。しばやん的には、当然、そこらへんもチェックしています。

でも、まあ歌のイメージと現地の違いというか、下り坂と思っていたのが、現実には上り坂だったという経験は、非常に印象に残っていて、折節に思い出します。

かなり‘ちゃちい’けど、しばやん的な、「現地主義」の原点のひとつです。

別に、国際協力機構の緒方貞子総裁(もと国連難民高等弁務官)の向こうを張るつもりはありません。彼女がとなえるそれと較べたら‘ちっちゃなこと’ですが、私のバックボーンのひとつとなった重要な事件でした。

「旅に学ぶ」 非常に重要なことなので、別途、歩く仲間でも実例を取り上げて説明します。

ではでは^^?

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コメント

しばやん、こんばんわ。

今日は府中市郷土の森博物館に行って、宮本常一生誕100年の展示を観て来ました。 7月にかけていろいろな行事があるようなので、何度か行ってみたいと思っています。

だからと言う訳ではありませんが、宮本常一著作集、買うことにしました。 手に入る本はかなり買ったのですが、やはり著作集でなければ読めないものも多いので…。 実は鶴見良行著作集も持っていなかったので、古本屋に注文しました。 岩波の網野善彦著作集は今月「13巻中世の都市」から出版されます。 当然、予約しました。

博物館で、紀伊国屋が作った「学問と情熱 第15巻 宮本常一」のDVDをやっていたのですが、まだお元気な網野善彦さんのインタビューもよかったです。 このDVD、絶版なんですが、当時の定価で25,000円ではとても手が出ません。 やはり紀伊国屋から出たヴィム・ヴェンダース監督の「リスボン物語」も絶版で、オークションでは4万円というような値段がついていましたが、amazon.com経由ブラジルから買ったら40ドルしませんでした。 しかもちょっと古風な日本語字幕付き。 日系人の方のマーケットが大きいからでしょうか。

こちらから質問するのではなく、話し手が自らしゃべり出すようなインタビュー、これからもそれを目指して行こうと思っています。

訂正です。 最初に出る網野善彦著作集13は中世都市論でした。

axbxcxさん、こんにちは。
いつも書き込みありがとうございます。わたしも、数日前の朝日新聞の片隅(3面記事・文化欄)に、本当にちぃっちゃく、宮本常一生誕100年の展示について記事があったので、個人的には非常に気になっていました。よかったですね。わたしも帰国時にぜひ足を延ばしたいと思っています。

宮本常一著作集、わたしも一冊ずつ買い求めています^^?今のところ、1、12、19、20、31、34とちょびちょびとですが、まあじっくり楽しもうと思っています。多分、お持ちかと思いますが、講談社学術文庫の『民俗学の旅』と著作集1『民俗学への道』は、なんど読んでも発見があります。著作集12『村の崩壊』の佳作「僻地の話」は非常に好きな掌編です。また、31『旅にまなぶ』は、直接的にフィールドワークについて語っているので、わたしも開発を志す仲間にはぜひ読んでもらいたい作品だと思っています。
また、たまたまこのコメントをみた人のために、私のフィールドワークに対する想い?を込めた記事を紹介しておきます^^?

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00030.htm
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/rc003.htm
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r004.htm
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/r0032.htm

鶴見さんも、網野さんも何か心が暖かくなりますよね。
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n0008.htm
http://www.amazon.co.jp/gp/cdp/member-reviews/A3H7QFD50WW4Z3/ref=cm_pdp_reviews_see_all/250-7991904-5558608?ie=UTF8&sort%5Fby=MostRecentReview

なにか手前味噌になってしまってすみません^^?

しばやん、ご紹介ありがとうございます。 私が宮本常一を読み始めたのは実は最近です。 というのも元々本で勉強したり最初から演繹的に物事を考えるのがキライで、自分で経験しないと気が済まない性質ですから…。

網野善彦の「日本社会の歴史」から入って網野善彦を手当たり次第読み、そこから宮本常一に入りました。 そうしたら、自分が学校で学んだこと(生活構造論)とつながってきて、さらに一番面白かった授業(江戸時代の人口論:速水融)が日本常民文化研究所に端を発しているとわかった、自分が関心を持っていること、やりたいことが一つの姿になった、そんな気がしています。

フィールドワークとかインタビューを意識したのも実はここ数年のことです。 1994年にマレイシアの工場を毎日回って聞き取りメモを作った、そうしたらそれが報告書より評判よかった、それが原点です。 その後、量的評価の限界を感じながら質的評価を目指して行くプロセスで本格的な聞き取りに目覚めました。 後から考えれば、自分が拒絶反応を起こしていたのは宮本常一のいう尋問科学だったのです。

社会調査という形で相手を対象化することへの違和感、外部者としての自分自身のあり方への疑問、短期的・直接的な成果ばかり求めて(例え持続性はあったとしても)自立発展性などないことが自明なプロジェクト・アプローチの限界…、そういう中からワークショップでも構造化インタビューでもない聞き取りにのめり込みました。

そして、Michael Quinn Pattonのような質的評価、佐藤郁哉のようなシカゴ学派のエスノグラフィーあるいは桜井厚のライスストーリーによって、自分がやって来たことに確信を持ち、さらに変化させて行こうとしているというのが現状です。

学問も学校歴も大キライですし、エライさんや先生にも縁がない人間ですから、これからも自らの道を進んでいくのみですが…。

以下、入院中に佐野眞一の本を何冊か読んで、印象に残った部分です。 結局、自分が目指して来たものはこれだったんだという感じがしました。

「宮本は自分のことをよく”伝書鳩”にたとえた。新しく訪ねた土地で珍しい農業技術や林業技術、漁業技術を見かけると、宮本はそれについて根掘り葉掘り尋ね、それが普及に値する技術だと判断すれば、それを次に訪ねた土地で惜しみなく教えて歩いた。」

「自分が成立に深くかかわった離島振興法にふれ、宮本が言った有名な言葉がある。『離島振興法ができたから島がよくなるのではない。島がよくなろうとする時、離島振興法が生きるのである』」

「山古志村の村長が角サンの悪口だけは言わんでくださいと言ったのに対して『あの男が補助金行政をやればやるほど村は過疎になり、人びとの活力が失われるんじゃ。そのことがまだわからんのか』」

「調査中、たまたま集中豪雨による崖崩れがあった。その現場を宮本が見に行くと、崩壊した家から誰ひとり家財道具を運びだそうとしていない。聞くと、家財道具を持ち出せば、補助金が出なくなるという。宮本は山古志村でサイガイをサイワイにしてはいかん、と説いて回ったが、目の前にあるのは、まさにサイガイをサイワイにする角栄の補助金行政の現実ばかりだった。」

「宮本は離島振興に情熱を傾けるオルガナイザーであり、すぐれた農業技術指導者でもあり、地域芸能の発掘、育成を通して地域活性化をはかるプロデューサーでもあり、既成概念にとらわれない手づくりの組織で若者たちに生きがいを与えたユニークな社会教育者でもあった。」

「『大切なのは、宮本先生がいったように、柿が港をつくり、道路をつくり、地域をつくり、そして地域に住む人びとの自信をつくったことなんです。』」

「人がいったん一つのことに前向きになると、すべてのものが前向きになっていく。」

この最後の文章が我々の「開発」のすべてかも知れないと思っています。 瀬島龍三が「組織全体に一つの勢いをつけることが大事なんです」と言っているのと同じです。

ところで、宮本常一の写真の一部は、下記のデータベースで見られます。

http://www.towatown.jp/database/


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