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2007年4月15日 (日)

キース・ジャレット『ザ・ケルン・コンサート』

purunさんのコメントに誘われて、もう一枚キース・ジャレットの『ザ・ケルン・コンサート』について書いてみました。

Koln_front キース・ジャレット 『ザ・ケルン・コンサート』、ピアノソロ

1975年1月24日 ケルンにてライブ録音 ECM ポリドールPOCJ2524

お薦め度: ★★★★☆、 泣ける度 : ★★★★☆、 アルバムとしての完成度: ★★★★☆

実は、アルバムとしてのお薦め度は、『マイ・ソング」と較べて、断然こちらのほうが高いです。キース・ジャレットを知ったのは、10年ほど前にジャズを聞き始めて区立図書館で借りたコンピレーションCDの中にあった、『MY BACK PAGES』のピアノ演奏を聴いたのがきっかけでした。(この曲は『SOMEWHERE BEFORE』(1968年)というアルバムに納めされています。Charlie Haden (b)、Paul Motian (ds) 1968年の10月30日と31日のシェリーズ・マン・ホールのライブ録音で、ATLANTICレーベル、East West Japan 発売。

もと曲はボブ・デュランのフォークソングだそうですが、この一曲でなんというかキースの唄心に打たれました。(アルバムというよりこの曲はお薦めです。)

このケルン・コンサートは、キースの即興のソロ・コンサートアルバムの中でも屈指の作品だと言われております。purunさんへのコメントでも書きましたが、キース・ジャレットさんは、クラシックピアノのアルバムもあり、ジャズでもトリオ、カルテット、そしてソロ・コンサートと非常に幅が広いのも魅力のひとつですね。

Koln_back 背表紙: 1枚目 A面 ①ケルン、1975年1月24日、パートI、B面 ②ケルン、1975年1月24日 パートIIa、2枚目 A面 ③ケルン、1975年1月24日 パートIIb、 B面 ④ケルン、1975年1月24日 パートIIc (レコードでは2枚組)

とにかく全編、即興ライブとは思えない完成度の高さで、どこがとはいえませんが、変な例えですが、‘噛めば噛むほど味がでるガム’みたいなアルバムです。

あとこのようなアーティストをみているとクラシックとかジャズとか‘ジャンル分け’自体の無意味さを感じます。人間は平等だとよく言われますが、タレント(天賦の才能)という意味では、やはり人それぞれ違いがあり、また‘天才’というものがありうることは否定できません。スポーツや芸能の世界では、そのような個性がダイレクトにでてくるので、それがまた人間の可能性の素晴らしさを我々に教えてくれるような気がしています。

でも、‘天は二物を与えず’というもの真実みたいで、そこらへんが我々凡人の救いになっているのかもしれません。(これはキースさんのことではないですよ。一般論として)

↑とはいえ、キースさんは、即興のライブアルバムにはムラがありすぎる。これが弱点といえば弱点かもしれませんし、そもそも音楽、特にジャズ・ライブの一過性=ちょっとかっこよくいうと‘一期一会’の本質的な問題かもしれません。問題というか、その日、その時を共有するというライブの楽しさなのでしょうね。

ではでは^^?

P.S.

そういえば、6年前にこんな記事を書いていました。ぜひ、ご覧あれ^^?

「2001年あるいは、21世紀の始まりに想うこと (あたりまえの時代もしくは本物(ライブ)の時代の到来) 2001年1月28日http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00016.htm

4月20日 修整 : レコードが2枚組みであったことをとあるブログで知りました。いくらブランクがあって時間が余ってしまうからといって、2枚組みのレコードが1枚のCDに納めてしまうのは、ちょっと乱暴な気がします。LP時代のアルバムは、やはりA面、B面の区別を、当然、CDを前提としたアルバムは、そのままで。それぞれのフォーマットを尊重することって、実は非常に重要なことだと思うのですが、いかがなものでしょうか。

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コメント

しばやん、有難う。
「キースさんは、即興のライブアルバムにはムラがありすぎる。これが弱点といえば弱点かもしれません」。これは自分も思います。キース・ジャレットのほかのアルバムもたくさん聴いたのですが、ついて行けないほどのメロディーが満載のものが多いと自分も思います。マイルス・デイビスの90年代も同様なものがありましたが。
しかし、ケルン・コンサートはほんとにすばらしいと思います。purun in Tokyo。

purunさん、早速の書き込みありがとうございます。

無事に日本に帰られたようですね。お帰りなさいというかお疲れ様でした。

ふと、貴コメントをみて思いつきました。

最近、主に仕事の面なのですが、援助の‘効率性’とか巷で騒がれていることに非常に違和感を感じています。
我々のやっている農村開発や地域開発の仕事は、自然や人間そのものが相手なので、とても‘科学’的に、効率を求めることはできないのです。
このキース・ジャレットみたいな天才でもある‘ムラ’こそが人間の動物たるゆえんだと思うのですが、果たして今までの20世紀のパラダイムが求めてきた‘近代的で合理的な人間’って一体何のことと、本気で怒っています。
まあそれが、複雑系やカオス理論がはやっているゆえんでもあるのですが、別に難しく考えないで、人間、調子のいいときも悪いときもあるよ。まあぼちぼち行きましょう(生きましょう)といいたいところなのですが…。
我々の援助の世界もすべからく‘成果’をだせだの、‘効率よく’など評価のためだけの管理がきつくなっているようで、よけいな仕事が増えているというか、もっとゆったりとした仕事ができないものかしらんと思います。
かなり脱線しました。
これからもコメントお願いします。

ではでは^^?

しばやん、こんばんわ。 ケルン・コンサートはLPでよく聴いていました。 多分、キース・ジャレットでは一番好きです。 あとはゲーリー・バートンとのDuo、それにSomewhere Before辺りはたまりません。 ただ最近あんまり聴いてませんねえ…。 いま一番聴いているのはMichel CamiloとTomatitoのSpainそれにSpain Againです。

効率性の一番の問題点はタイム・スケールが短すぎること、そしてリニアな関係にばかり目が行くことでしょうか。 量的研究が抱える問題そのものでもありますが…。 最近、網膜剥離で入院したのですが、その間に佐野眞一の宮本常一関係の本を3冊読み、改めて宮本常一の偉大さを痛感しました。 いま自立的(内発的)発展だとか聞き取りだとかで議論していることは、宮本常一が50年前に既に言っている、そんな感じがします。

私事ですが上の娘は商社に行くことにほぼ決まりました。 自分で道を切り拓いて行ってくれればと思っています。

しばやん、おはようございます。 先週末に書き込んだつもりだったのですが、消えてしまったようなのでもう一度書き込みます。

私が一番よく聴いていたのは「ケルン・コンサート」ではなくLP3枚組の"Keith Jarrett Solo-concerts Bremen Lausanne"でした。 失礼しました。 あの頃、ECMのレコードが好きで買い漁っていたのを思い出します。

初めてアメリカに行ったのは1977年でしたが、パット・メセニーがレコード・レビューしたばかりでした。 ソロ・アルバムとパット・メセニー・グループ、毎日聴いていました。

ピアニストとしては実はチック・コリアが好きでした。 いろいろ批判もありましたが、聴いて楽しいと思いました。 いまミチェル・カミロが好きなのもチック・コリアの名曲「スペイン」や「フィエスタ」を演奏しているからかも知れません。

Return to Foreverとして来日した1972年、当時まだ鶴舞公園にあった名古屋市公会堂に聴きに行きました。 少し早めに行ったらチック・コリアたちが一緒に歩いて来たので、サインをして貰いました。 家宝になっています。(笑) その後、1979年だったか、アメリカの田舎町で聴いたことがありますが、演奏が終わった後、希望者を舞台に上げて車座になって話をしているところ、本当にいい人なんだなあと思いました。

昨日はレンタルの「硫黄島からの手紙」を観た後、「東京物語」を観て寝ました。(笑)

axbxcxさん、こんにちは。いつも書き込みありがとうございます。
先週投稿いただいていたのですが、私がOKしなければ画面に現われないシステムになっていまして、実は、私がOKを出すのを忘れていたという次第です。ごめんなさい。
さて、「硫黄島からの手紙」、私も4月7日にマニラの映画館でみることができました。(たまたまアンコールショーで)
姉妹編の「父親たちの星条旗」と同じく、なかなかよい映画だったと思います。なお、出演者(ほとんど日本人)が日本語で話していたことにも共感を持ちました。字幕をみなくてもよいというより、それもありか!という意味で新鮮でした。つまりは、日本人が海外のどこかを舞台に、単なる背景として使うのではなくて、現地のドラマを現地人に現地語を使わせて描く映画があってもよいということで、日本の映画人には非常に朗報なのではないでしょうか。
日本のマンガってけっこう国籍を超えた作品があるので、例えば、「ベルサイユのバラ」をフランス人の俳優を使ってフランス語を使わせたままで映画化してしまう。もう誰かがやっているかもしれませんが、これって世界的に受けるのではないでしょうか。とくにSFアニメもおもしろそうですね。
ちょっと脱線しましたが…。
ところで、チェックコリア、気になっているアーティストなのですが、どのアルバムがお薦めですか?いろいろ教えてください。
ではでは^^?

しばやん、こんにちわ。 「硫黄島」と「星条旗」、映画としてどちらがより好きかと言われれば後者でしょうか。 それは第一に原作(ストーリー)がしっかりしているからだろうと思いました。

それと「硫黄島」は日本語なのに、聞き取れないところがたくさんありました。 日本語が難しいのか、滑舌が下手な役者さんが多かったのか、あるいは日本語だったためにサウンド・エンジニアなどがどうしてよいかわからなかったのか…。

「星条旗」の原作では、ジュネーブ協定に守られた欧州戦線では武器を携行しなかった米国の衛生兵が太平洋戦線では携行したこと、また主人公(作者のお父さん)の親友の衛生兵が拷問されて殺された死体を見てしまったことがかなり重要な意味を持つ感じがしましたが、「硫黄島」では日本兵が衛生兵を標的にしていたことが明示されていました。 それと米兵が日本兵の捕虜を撃ち殺す場面はかなり意図的に入れられたように感じました。

西竹一中佐のエピソードはとても印象に残りましたし、栗林中将の「不思議なものだな、家族のために死ぬまでここで戦い抜くと誓ったが、家族がいるから死ぬのをためらう自分を」というようなセリフは忘れられません。

チック・コリアですが、1枚と言われればFriends(1978, Chick Corea/Joe Farrell/Steve Gadd/Eddie Gomez)でしょうか。 あとNow He Sings, Now He Sobs (1969, Chick Corea/Roy Hayens/Miroslav Vitous)、それからもうCD化されることはないかも知れませんが、Stanley ClarkeのJourney to LoveというLP(1975)に入っていたSong to John (Part I, II)という曲がたまらなく好きだったりします。 Stanley Clarke/Chick Corea/John McLaughlinのトリオです。

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