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2007年4月28日 (土)

オフコース 『SELECTION 1978-81』

ついでといってはなんですが、オフコースの中期のベストアルバムを引き続き紹介しましょう。

Cci00002 オフコース 『SELECTION 1978-81』

お薦め度: ★★★★☆、 泣ける度: ★★★★☆

アルバムとしての完成度: ★★★☆☆

東芝EMI CD紙ジャケット復刻版 TOCT-25643 1981年発売

たぶん、この時期のオフコースは既にメジャーでよく知られた曲が多いと思いますので、2つの曲にまつわるエピソードを紹介しましょう。

A面、最後の曲「さよなら」(もう言うまでもないオフコースの代表曲)の一曲前に置かれた「生まれ来る子供たちのために」(小田和正作詞・作曲)という曲は、発売当時、非常に物議をかもしだしたそうです。(1980年3月5日 シングルアルバム発売)

いきなりの歌いだしが、こうです。

「多くの過ちを僕もしたように / 愛するこの国も戻れない もう戻れない / あのひとがそのたびに許してきたように / 僕もこの国の明日をまた想う ・・・

ひろい空よ僕らは今どこにいる / -生まれ来る子供たちのために何を語ろう- /何を語ろう」

この曲が発売された当時、わたしはまだ小学生で、この曲を初めて知ったのは、たしか高校1年生のときでした。ご存知のとおり、小田和正氏は、団塊の世代なのですが、これは、彼なりの太平洋戦争への総括だったと思います。戦後世代の彼が、戦後35年後に、いざ自分が子供を持つ歳になったときに、歌手としてというより人間として、何ができるのか、何を語れるのかをコミットせざるを得なかった。そんな背景があったのではないかと想像します。また、ずいぶん世間からのバッシングもあったようです。当然、当時は戦前、戦中派の世代の方も多く、‘歌うたい風情’が何をいうかというようなものだったのでしょう。

「・・・ 君よ愛するひとを守りたまえ / 大きく手を広げて / 子供たちを抱きたまえ / ひとりまたひとり 友は集まるだろう / 

・・・ 真白な帆を上げて / 旅立つ船に乗り / 力の続く限り / ふたりでも漕いでいく / その力を与え給え / 勇気を与え給え」

まるで小田版のレクイエム(鎮魂歌)というか、祈りの唄といえましょう。

もう一つの曲は、「I LOVE YOU」(小田和正作詞・作曲)。1981年6月21日シングルアルバム発売。この曲の間奏で、ラジオの音が聞こえます。これもよく知られた話ですが、1980年12月8日にビートルズのジョンレノンがニューヨークのダコタマンションをでたところで狂信的なファンによって暗殺されました。(歩く仲間の過去記事を参照。 2005年12月8日は、暗殺25周年ということで、世界中でニュースになりました。)

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00029.htm

つまり、ニュースの後で、「・・・ 誰もあなたの代わりになれはしないから」という歌がかぶさってきます。まあ、どうでもよいことのようですが、知っていても損はないというか、トリビアのひとつですね。またここから言えるのは、所詮、我々は、‘時代の子供’であるということなのでしょう。

I_love_you_1 オリジナル歌詞カードの復刻(CDに添付)この歌詞カードによりますと、1981年6月のレコード販売の駅貼り用のポスター(左の図の下)が、まさにそのとき(ジョンレノン暗殺の時の報道写真です。図をクイックしてみてください。拡大されます。

収録曲:SIDE A : ①風に吹かれて(小田和正作詞・作曲) ②夏の終り(小田) ③愛を止めないで(小田) ④せつなくて(大関仁世・松尾一彦) ⑤生まれ来る子供たちのために(小田) ⑥さよなら(小田)

SIDE B : ⑦Yes-No(小田) ⑧愛の終わる時(鈴木康博) ⑨一億の夜を越えて(安倍光俊作詞、鈴木作曲) ⑩いくつもの星の下で(鈴木) ⑪ I LOVE YOU(小田)

初期は小田と鈴木のバランスがそれなりに取れていたのですが、この頃から、楽曲においても小田和正色が強くなってきています。

オフコースのもう一人の立役者、鈴木康博のたぶん最高傑作の一つ、「いくつもの星の下で」から少し引用してみましょう。

「今夜はありがとう ここまでついてきてくれて / 話したいことがあるから もう少しいてよ / あなたの前だけは 僕は素直でいたい / 信じてほしいから せつない思い 打ちあける 」

それに続く、さびの部分は、やはり圧巻でしょう。

「いつもひとり くやし涙 流してきた男のことを / あなたに 聞かせたい 僕のすべて 教えたい / そばに来て 」

この「くやし涙 流してきた男」を、小田に対しての鈴木本人ととってしまうことは、下衆の勘ぐりといったところでしょうか。

P.S.

前回と続くオフコースのアルバムは、昔からレコードで持っていたわけではありません。以前、レコードか何かで聞いたことがあって、2年前にたまたま日本に一時帰国で帰ったときに東京駅の中のCD店で、紙ジャケットシリーズがあったものを買ったのがきっかけです。

ちなみに、そのとき、『LOVE』と『NEXT SOUND TRACK』の2枚も同時に買い求めました。後者の「NEXTのテーマ-僕らがいた-」が、これまた泣ける唄なんですわ。『NEXT』の中古ビデオを大学生の時に買って、ビデオ(もともとTVの特別番組)しては知っていたのですが…。最近、古いJ-POPがCDの特別仕様で再発売されていますが、さすがにそこまでして再発売されるアーティストは、半端でないということです。やはり、いい唄は、いろいろな形で残っていくものなのだと感じました。

ちょっとおやじくさいですが、今は切り貼り・パッチワークの世界で、特に古いアーティストは手ごろな編集版が出回っていますが、オリジナルアルバムの魅力は、そういう中にあってこそ輝きを増してくるのではないのでしょうか。蛇足になりますが^^?

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コメント

「生まれ来る~」 ちょっと気になったのでグーグッてみたら、日本では2005年にリバイバルヒットしていたのですね。ミスター・チルドレンの桜井さんとか、佐藤竹善さん(しばやんは残念ながら知りませんが)のカバー、国連難民高等弁務官事務所のCMソング、「蛍の墓」とかいうドラマで使われたとか。
音楽を聴くというのは、それなりに導き手が必要です。高校時代この曲を教えてくれた友達は、今、ミュージシャンをやっています。(左のリンクの‘つれづれなるままにアートワーク’のオーナーさん。彼には、いろいろな音楽世界を教えていただきました。いまさらながら思うのは、やはりつれづれさんはセンスがありました。彼の音楽に対するクリティークは結構シビアであったと思います。つまり権威に頼らず、自分の感性を信じきっていたところがすごいと思います。例えば、いくら有名人でも駄作は駄作と言い切ってしまうとか、私のいう佳曲(シングルカットされるようなメジャーではないが、隠れた名曲とでもいわれる目立たない曲)を、よく紹介してくれました。
でも隠れた名曲だと一人でほくそえんでいたのが、これほどメジャーになっていたとは^^?
ちょっとみないうちに、「お前、えろうなったな」という気分ですね。
グーグルの記事をみて思ったのは、みなさん、現在の時点での評価なんですよね。わたしは、25年前は、それほど世間にウェルカムな曲ではなかったという印象が残っているのですが、わたしの思い違いでしょうか。
イメージの再利用による、再定義とでもいいましょうか。同じモノでも時代によって評価が変わるということの見本みたいなものでしょうかね。きっと^^?

しばやん、
1978-1981年とは、まさに自分の高校時代の全てです。
数年前に高校時代の友人が2-3人でマニラに遊びに来てくれたときに、家での夕食会。BGMはまさにオフコースでした。一曲、一曲に違った思い出が埋まっています。「なつかしさ」を皆で食事しながら語り合いました。高校卒業18歳。それからまた18年以上の月日が流れてしまいましたが、オフコースの歌はいつまでも我々の心に残り続ける名曲集です。
しばやん、オフコース・ブログ、有難う。

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