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2008年4月28日 (月)

Music from Motion Pictures 『アクロス・ザ・ユニバース(ACROSS THE UNIVERSE)』 あるいはザ・ビートルズの時代について

ようやくというか映画(もとはミュージカル)のサウンドトラックが手に入りましたので、以下、紹介します^^?

08042802 サウンドトラック 『アクロス・ザ・ユニバース(ACROSS THE UNIVERSE)』

2007年

お薦め度: ★★★☆☆

泣ける度: ★★★☆☆

アルバムとしての完成度: ★★★☆☆

一口コメント:

この映画のタイトルは、もうわかる人はわかるというかザ・ビートルズの最後のアルバム『レット・イット・ビー』のA面3曲目。もう名曲中の名曲で、この映画自体、ザ・ビートルズの楽曲をモティーフに構成されています。

収録曲:

1.All My Loving、2.I Want to Hold Your Hand(抱きしめたい)、3.It Won't Be Long、4.I've Just Seen A Face、5.Let It Be、6.Come Together、7.I am the Walrus、8.Something、9.Oh! Darling、10.Strawberry Fields Forever、11.Across the Universe、12.Helter Skelter、13.Happiness is a Harm Gun、14.Black Bird、15.Hey Jude、16.Lucy in the Sky with Diamonds

ほぼ、映画で使われたのと同じ曲順なのがうれしい^^?

さて、この映画に関して、2008年3月10日の「歩く仲間通信」(メンバーにのみ発信・ブログ未収録)で以下の記事を書いています。よろしくご高覧ください^^?

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☆☆☆ 映画 「アクロス・ザ・ユニバース(Across the Universe)」を観て

世界が大きく揺れていた時代 ‘ビートルズの時代’を考える ☆☆☆

ところで、昨日(3月9日)、マニラで、「アクロス・ザ・ユニバース」というビートルズの楽曲をモティーフにした映画をみてきました。もともとはミュージカルみたいですね。

たぶん、日本よりマニラのほうが公開が早いので、ネタばれになるといけないので多くは語れませんが、非常に考えさせられる映画でありました。

1960年代のアメリカとイギリス(ご丁寧にもリバプール出身の男の子)の大学生の3名の男女が主人公なのですが、ベトナム戦争とかコロンビア大学の学生紛争など、まさに時代に翻弄された若者たちの群像劇を描いた作品で、全編にビートルズの曲がモティーフのように通奏低音のように流れます。

かなり大胆なビートルズの歌曲の独自?な解釈やコンピュータグラフィックスの特殊映像も混じりますが、まあ今の時代なのでそれもありかなと^^?

でもこの戯曲化には賛否がわかれるでしょうね。基本的にはパロディなのですが、ふざけているようで実は本気!といったような非常に凝ったつくりで、思わずうーんと考え込んでしまうシーンがいくつかありました。

特に自分にとって衝撃だったのは、ビートルズの過激さというかラジカルさについて、まったく知らなかったことに気づかされたことです。単なるアイドルロックグループを脱皮して、カリスマとして神格化し、かつ社会現象となってしまった彼らは1970年時点で、‘ビートルズでありつづけること’をやめざるを得なくなったことに、ようやく気がつきました。

『サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』から『マジカル・ミステリーツアー』、『ホワイトアルバム』のわかりにくさの一端が少しだけども理解できた気がしました。やはりビートルズも時代の子だったんだと・・・。

また、「愛こそは全て(All You Need is Love)」と「ゲットバックセッション」の苦悩というか苦痛の一部も。

あとテイストとしては、1994年にアカデミー賞を総なめにした(6部門受賞)トム・ハンクス主演の『フォレスト・ガンプ(Forrest Gump)』に似ているかもしれない^^?ただ、『フォレスト・ガンプ』には、やはりアメリカ映画的な楽観的な明るさがありますが、(背景もアメリカンポップスだった気がする)、この『アクロス・ザ・ユニバース』は‘イギリス’のビートルズみたく、もう少し重くて暗いですね。

さて、この映画をみて改めて思ったのは、私もビートルズは好きで何度も記事として取り上げているのですが、実は時代背景というか、本当のライブな(生きた)ビートルズを、まったく知らなかったのではないかということです。たとえば、過去記事として以下があります。

1.しばやん、ビートルズを語る。 2006年2月15日

2.'GET BACK Session' by "The Beatles" 2007年4月3日

3.イギリスよ、おまえもか? 1991年2月7日

唄は歌だけで存在しているのではなく、その歌われた場所やその時代背景についても想いをいたさないといけない。当然、言葉とメロディーはそれだけで十分価値があるのですが、たとえばビートルズの楽曲だけを取り上げて分析するのではなく、その時代背景や社会も含めた全体の中での価値や位置づけを考える必要がある。

上記の全てが、‘当時の現実’を踏まえていないということで、正直、今としては完全にボツにしたい気分です^^?

特に、上記3は、実は、当時、朝日新聞に投稿して、若干の校閲というか修正を受けて掲載されました。そのときの私は大学生であったわけですが、学部の某助教授が非常に苦虫をつぶした顔で、この記事についてコメントされたことを思い出します。つまり、団塊の世代でもあるその先生は、まさに1970年の学生紛争の当事者でもあったわけです。浅はかにも当時、そのような生き証人たちの現実を知らずに青臭いことをほざいていたのでした。(今思うと、本当に恥ずかしいです。)

☆☆☆☆ 共感と想像力について ☆☆☆☆

しかしながら、自分が生まれてもいない時代や、まったく見たことも聞いたこともない未知の世界や、その時代や地域に生きている人たちに対して、われわれはどこまで共感や実感をもてるものでしょうか。

えてして経験の多いものは、少ないものに対して、‘想像力の欠如’や‘心の貧しさ’をいいますが、それだけでことは済むのでしょうか。大概、シニアの優越感の充足や、自己満足に終わっていませんか?←自分も含めて^^?

また逆に、2001年のセプテンバー11(9月11日)のときに、一番、青春の感性の豊かなときに、高校生や大学生であった若者たちの心に刻み込まれた楔の重さと大きさは、ちょっと上の世代である私たちには、本当の意味でわからないかもしれない。

シニアの人と話すのと同時に若い学生さんと話していても、肝心のところが(自分として)理解できていないのではないかと思うことが、たまにあります。

同じ日本人でもわからないのに、他の国や他の地域の人たちとは当然、さらにギャップがありえます。

そうはいっても、古今東西、時代背景や地域や宗教文化が違っても、おやと思った疑問や課題の根っこみたいなものは世代や地域や人種や言葉を超えて、‘人として’なにかしら共有できるのではないか。そんな希望は持ち続けていきたいと思っています。

☆☆☆☆☆ 答えはなくても問い続けるということ ☆☆☆☆☆

ところで私の記事について、問題提起だけで回答がないとおっしゃった方がいました。でも、問題を立てない限り、解決や考えるという行為はありえないし、アウトプットにはいろいろな形態があるでしょうが、‘コト’は始まりません。

解決や回答のある問題のほうが少ないこともまた真実でしょうが、それはいったん、置いておきます。

私は、最近、自分で「考える人」であるよりも、むしろ、みんなに考えてもらうことを「問いかける人」でありたいと考えています。当然、自分‘が’考えることを放棄するつもりはありませんが、‘一人では’辿りつけない世界が‘きっと’あるはずですし、答えはすでに‘われわれの中’にあると思うからです。

(転載終わり)

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せっかくなので、以下、今の時点で加筆します。

ところで、上記では「ベトナム戦争」と「ザ・ビートルズ」を過去の歴史上の事実?として書いていますが、自分達を翻って、今は全く‘戦争’のない時代か、‘芸術’が全く世界と闘うことをやめてしまった時代なのかというと、決してそうではないことに気がつきます。

つまり、たった今の瞬間にも、イラク戦争は続いているし、内戦や紛争は世界中で、切れ間なく続いているのです。

なにかの(スポーツの?)ニュースか本で、「今は、タイガー・ウッズやイチローなど、あと50年や100年後となったら完全に伝説となっている‘歴史’のただなかにわれわれは生きている。われわれは、その歴史ができているその瞬間に、同時代に生きていること(幸せ)に感謝しなければならない」といった主旨の発言を、最近、聞いたことがあることを思い出しました。

所詮、われわれは時代の子でしかない。われわれが直接関与できるのは、たった今のこのとき、現在でしかない。つまり‘過去’は変えられないけど、‘今’と今につながる‘未来’は「われわれの手の中」(*1)にあるのです。

たとえば、この映画も過去を懐かしむのではなく、‘現在’の世界そのものに対する問いかけであり、プロパガンダなのです。

あの1960年代と1970年は、なんだったのだ。その反省?は今に生きているのか。本の数十年前のことを、お前達(人間)は忘れてしまったのか、というメッセージだと思うのです。

今、日本では太平洋戦争(大東亜戦争・第二次世界大戦)は、生存者の高齢化により風化しつつあることが、繰り返し有識者(といわれるひと)やメディアで語られています。

しかし、ベトナム戦争って、まさにわれわれの父母の時代に起ったことで、2007年問題といわれていますが今、定年を迎えているという‘団塊の世代’にとっては、まさに‘原体験’なのです。

正直、私自身、父や母からその時の時代(つまり自分が生まれたころのこと)について、直接、話を聞いていません。

今の世の中、日本では、平和を語ることが流行です。セプテンバー・イレブン(2001年9月11日)の事件以来、その当時、小学生や子供であったものさえ(失礼な言い方ですが)、非常に大きな心の傷を残し、今の若者は概して、本気で‘平和’を希求してやみません。

しかし、それは日本だからこそできる‘のんき’な話で、世界中の大半が、以前、‘戦争’状態にあることを忘れてはなりません。

つまり、今、考えるべきは‘戦争’そのものなのです。

日本の平和教育の一番の致命的な欠点は、今かろうじて保たれている日本の‘平和’に胡坐をかき、平和のコインの裏側である‘戦争’についてはっきりと語らない、子供に教えないことです。

古代から今日に至るまで、世界で戦渦のないときは、一瞬ともありません。‘平和’を語れる‘特権’を、果たして日本人や先進国の一部の人はもっているのでしょうか。

自分自身、1993年にエティオピアとの30数年に及ぶ独立戦争を戦い抜いたエリトリアや、つい2002年5月20日に独立を果たした東ティモールで仕事をしたから言うわけではありませんが、とにかく日本人の平和ボケというか無神経さにかなりの苛立ちを感じています。

あなた(わたしも含まれるわけですが)の‘平和’な生活のかげで、いかにつらい状況(貧困より戦争のほうがたちが悪いです)におかれた人がそれこそゴマンといることを、あなた(わたし)は、わかっているのか。 と。

ともあれ、私は、‘わたし’の平和学を、自分が今、生きている世界(地球)の戦争と平和を語り続けていきたいと思います。

注:*1 今、40歳前後の方は、ほぼ間違いなく覚えていると思いますが、「未来は僕等の手の中」と歌ったのが、1985年の「ブルーハーツ」でした。この曲は堂々、1987年発表の『THE BLUE HEARTS』というメジャー初アルバムのA面第1曲目に収録されています。

☆ ザ・ブルー・ハーツ 『ザ・ブルー・ハーツ』 2008年3月31日 の記事も参照ください。

ではでは^^?

(この項、了)

P.S.

このような記事はどちらかというと「ブログ版 歩く仲間」で取り上げるべき内容でしたが、アルバムの紹介ということであえてこちらにしました。

このような内容に関心のある方は、こちらのページもご高覧いただくと幸いです。

「わたし’の平和学~冬が来る前に!」 @ 「ブログ版 歩く仲間」

ではでは^^?

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コメント

ブログとても興味深く読ませて頂きました。
私は歴史に批判的な人間です。もっといえば、歴史上の人物には敬意を払いますが、それらの人たちの業績を背鰭尾びれをつけ、歪んだ内容で後世に伝えようとする人に懐疑的です。
だから「今」、ずっとやり続けているジョジョ、BUCK-TICKが大好きです。
BUCK-TICKは前科一犯、ジョジョは未だに賛否両論の漫画。そんな飾りもしない、生っぽさをリアルに感じることができるので、とても大好きです。それにイチローと松井の比較、コクドの堤さんにダイエーの中内さんの人生、辻本清美議員や鈴木宗男議員への陰の圧力にも興味があります。
また書き込みさせて頂きます。

BUCK-TICKさん こんにちは^^?

書き込みありがとうございます。
ぜひ、BUCK-TICKとジョジョを拝見してみたいと思います。もしお手元にありましたら、ぜひぜひ貸してください。

さて、コメントいただきました件、私も同意です。

>私は歴史に批判的な人間です。もっといえば、歴史上の人>物には敬意を払いますが、それらの人たちの業績を背鰭尾>びれをつけ、歪んだ内容で後世に伝えようとする人に懐疑>的です。

ただ、「歪んだ内容で後世に伝えようとする人」については、もっと大目にみてやってくださいよ^^?

というのは、同時代に生きていたとしても、本人にしかわからないことや知りえないことはいくらでもありますし、そのように担ぐ人間の意図を読み解くこともまたおもしろいではありませんか^^?

また本人が語ったとしても、なにかしら嘘が混じっていることもありますよね。社会にでてから覚えた言葉で、「人の話は、話半分に聞け」というのがありますが、私は、結構、そんなイージーな現状認識です。

ともあれ、これからもどんどん書き込んでくださいね。

ではでは^^?

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