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2009年1月25日 (日)

映画 『チェ 28歳の革命』 に行ってきました^^?

ということで、昨夜(1月24日)土曜日のレイトショーで、以前より気になっていた、キューバ革命の闘士、チェ・ゲバラの映画に仕事帰りによってきました。
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映画のHP
まだ、なんといってよいのかわかりませんが、久しぶりに感動するというか考えさせられる映画に出逢いました。

アルゼンチン人の青年医師、裕福な家庭に生まれ医師という超エリートの生活もできた男がなぜ革命に身を投じることになったのか、合計4時間30分の2部作の、1部では、チェの28歳でメキシコでフェデル・カストロと出会ってからキューバ革命のゲリラ戦で闘う2年間を本人が回顧するかたちで取り上げています。

自分自身、チェ・ゲバラの名前や顔写真?のシルエットの入ったTシャツやらステッカーを海外(なぜかフィリピンでもいた)のいろいろなところでみていたので、何かのイコンであることは知っていたのですが、今まで全く不勉強だったので、なんともコメントしようがありません。

ところで、2部作の後半部分、2部は、1月31日から公開です。彼は、キューバでカストロの右腕として革命を成功に導き(特に新兵の教育という意味で、また弁の立つ理論家としても有能でした。)、その後、革命政権の要職を1年足らずで退き失踪、そしてアフリカに中南米に、世界革命に身を投じます。

最後にはボリビアでゲリラ作戦中に当局につかまり、わずか39歳で処刑されます。

私は今年39歳になるのですが、今日、今のタイミングに彼に出逢えたというのも、何か天の采配が働いているのかもしれません。

そうそう、彼は医学生時代に中南米の各国を放浪し、貧しい人たちと出会い生き方に大きな方向転換をしました。

そもそも喘息もちで体もそれほど強くなかった彼が、なぜ革命、しかも武力闘争に投じたのか。

いろいろ謎が深まる一方ですが、2点ほど、気のついた言葉を。

「真の革命家は
偉大なる愛によって導かれる
人間への愛。正義への愛。真実への愛。
愛のない真の革命家を
想像することは不可能だ。」

革命とかクーデターとか社会主義革命、共産革命、そもそも政治用語自体がよくわからないのですが、フィデル・カストロとかチェ・ゲバラの映画での言動をみていると、どう考えても、‘革命家’というより‘レジスタンス’といったほうがいいと思う。

誰の側に立つのか、そこには、資本主義も社会主義も共産主義もないと思う。カストロ議長は独裁政権の悪の親玉みたいに資本主義社会からはみなされているようですが、そもそも彼らの目指したのはキューバ人によるキューバであったはず。

アメリカという資本主義・帝国主義と闘っただけ、誰のために。

そこに住んでいる搾取されている農民や労働者のために。

はっきりいって、今は、国民国家という概念自体が揺らいでいるが、キューバ人によるキューバ人のための政府、地元民のためを考える気持ちは十分、現在に通じるし共感できます。

わずか82名のカストロ率いるゲリラがグランマ号という漁船でキューバに密航し、時の政権を倒すゲリラ戦を繰り広げる。首都ハバナ陥落時には当初の同志は12名しか生き残っていなかったとされます。

そこまで激しい武力闘争に‘彼ら’を駆り立てたものは、一体なんであったのか。カストロやチェ・ゲバラは、革命に何を夢見たのか。

今年は、キューバ革命50周年、昨年2008年はチェ・ゲバラの生誕80周年、「20世紀最大のカリスマ」といわれる(映画のキャッチフレーズ)、私も今年はじっくり考えてみたいと思います。

ではでは^^?
P.S.
この前編(1部)では、1964年12月11日のアメリカはニューヨークでの国連総会でのチェ・ゲバラの演説とそのときのアメリカのジャーナリストとのインタヴュー風景が、革命当時の映像の間に挟まっている(インタヴューに答えながら革命当時を回想している)というスタイルをとっていますが、このインタヴューや国連総会での演説が、間違いなくカッコいい^^?
理屈や理念ではなく、ゲリラ戦の現場で鍛えられた彼の‘言葉’は、本当に哲学的です。間違っても形而上学的なものでもないし、詭弁でもありません。
彼の体験や行動が正しいのか私には判断できませんが、信念というか、‘志’があります。日本でいったら坂本龍馬とか幕末の若き青春群像と同列以上と考えられるではあるまいか。
両方とも、若くして途半ば(志半ば)にして亡くなったというところも似ているし^^?
実際、歴史には「たられば」の話は禁物ですし、それはできないことです。(それを想像すること自体は非常に意味があるとは思いますが)
まあ、その後の彼らが生き続けたという仮定はなしとして、現実だけを考えるとすると、まだこれから調べようと思いますが、私は、彼らの‘若さ’と‘行動’は評価しても、完全には絶賛できないと思う。というのは世界を変える過程で亡くなれば(殉死すれば)確かに伝説となり、悲劇のヒーローとして、「カリスマ」にも奉り上げられる。しかし、どんなことでもそうですが‘こと’をなした後の、つまらない日常と、ゼロから新しい秩序を築き上げていく地道な生活を、彼ら(ゲバラや龍馬)は、果たして送ることができたのであろうか。
ヒーローや強力なリーダー、もっといえば救世主、カリスマを求める民衆の気持ちがわからないわけではないが、それ(特定の優れた人たち)だけではこの‘世界’は変わらないし、既存の秩序を‘壊した’だけで、彼らは単なる‘デストロイヤー(破壊者)’だけで終わってしまう。たとえ旧秩序が、どうしようもない政府であり体制であったとしても。
私は、そこもふまえた上で、この(20)‘世紀のカリスマ’を考えてみたいと思います。

ではでは^^?

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