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2009年11月22日 (日)

高橋しん 『いいひと。』 変わることと変わらないこと 1990年代再考

ずっと書きたかった原稿です。

09112200 高橋しん 『いいひと。』

ビックコミックス 小学館 「週間ビッグコミック・スピリッツ 1993年 号~1998年50号 掲載作品」

単行本 1993年~1999年

お薦め度: ★★★★☆

泣ける度: ★★★★☆

マンガとしての完成度: ★★★★☆

実は、私の1990年代は、この作品と共にあったと言っても過言ではありません。

中途採用で地元の名古屋本社の会社に入社したつもりが海外事業部が東京だったため、院浪していた京都から急遽、上京したのが1992年9月のこと。

将来的には東京に行きたかったのもあり、海外の仕事をすることも夢だったのも事実ではありますが、1992年は4月からニューチャレンジということで大阪から京都に引っ越したばかりで、半年もたたないうちに東京へ。そういえば、そのときの免許証には大阪、京都、東京の住所が書かれていました^^?

さて、中途採用で上京したものの、通常入社の新入社員から5ヶ月遅れで、しかもその13名は本社採用であったため、東京には5年以上年上の先輩や20年選手や、海外部の重鎮というかベテラン社員ばっかりのところに突っ込まれた?ものですから、いろいろ入社当時からミスというかトラブルメーカーというか、まあバカなことばかりやってきたものだと思います。確かに、東京採用の女性社員で年齢の近い方も何人もいらっしゃったけど男性社員はいなかったなあ。

とにかく9月7日付けで採用だったのですが、当時は生活環境も関西と関東では全然違うし、同期もいないし、もう右も左もわからないようなめざまぐるしい日々でした。

当時の会社は港区は赤坂の溜池交差点の近くにあり、昼は会社の上司や先輩と近くのめしやで外食だったのですが、たまたまひとりで、となりのコマツビルの地下一階の喫茶店にランチにいったときに、そこの置いてあった当時は隔週刊であったビッグコミック・スピリッツで、このマンガの初回を読んだのですね。、たしかに、1993年の春のことでした。

それ以来、2週間に少なくとも1回は、ひとりで、このマンガを読みにその喫茶店に通っていました^^?

なんていうのだろう、このマンガの主人公は、北野優二という北海道から東京に上京してきたフレッシュマンで、ライテックスという超一流のスポーツメーカーに就職したのですが彼の大学時代からの恋人や仲間たちと、会社で知り合った上司やまわりの人たちとの交流物語なのですが、やはり自分ともダブったところがあるのでしょう。

仕事の業務内容は、まったく違うのですが彼の経験というか、彼の周りを巻き込んだ一見常識破りの言動は、自分の未経験値?ともマッチしていたし、今思うと、私も漠然と感じていた社会というか会社に対するなぜというクエスチョンに、ゆーじ君自身が体を張って答えてくれていたような気もします。あくまでも彼流の解決?方法なのですが^^?

ところで、彼の信念は、「私の周りの人の幸せが、私自身の幸せだ」ということなのだそうですが…。

そんな甘い考えでこの世知辛い世の中生きていけるのかというのが大方の常識だと思うのですが、そんなゆーじくんが如何に、日々、身の回りの人たちと繰り広げるドラマで、実は漫画の連載途中で、1997年4月からにスマップの草薙剛くん主演でテレビドラマ化もされたので、こちらで知った方もいるかもしれない。

最初から漫画で見てきたものとしては、ドラマの出来はなんともかんともといったところで、最初の1回目はみたけどとても見られたものではなかったという感じでした。と言いつつも何回かみたような気もする。

まあ、それはそれとして、なかなか話がすすまないドラマではありますが、それでも当時の思想というか風潮というか、やはりバブル後に社会にでた私たちの世代の気持ちというか雰囲気を代弁していたような気がします。

作者の高橋しんさんが1967年9月8日生まれということもあり、やはり年代的にも近い(2学年上)ということもあったのだろうな。かなり共感できるエピソードがありました。

あと、各回のタイトルが、当時はやっていた主にJ-POPのタイトルや歌詞などから拾ってきたようなキャッチーなもので、そのときはあまりなんとも感じませんでしたが、その後、改めて読み返すごとに、そのタイトルから当時のミュージックシーンが浮かび上がってきて、描かれている世界や世界観のみならず、そのはやりの音楽が聴こえるみたいで、まさに1990年テイスト満載の作品でもあります。

なんか、前書きが長くなってしまいましたが、彼の言葉で非常に印象ぶかいのが次の2つのキーワード。

1. 「オレは変わらないから。」 そして、2.「想い出す」こと。

これって、実は宮本常一さんの言葉(※1)ともつながってくるのですが、1990年代というまさに時代がうねりを立てて、既存のパラダイムが音を立てて崩れ去っていった「失われた10年」を生きてきたわれわれ世代の高橋しんさんが、時代は変わっても「変わらないこと」(ところ)に、この主人公を置いたところに非常な聡明さというか時代に抗うわけでなく、また迎合するわけでもなく、‘時代’と‘個人’との距離をきちんととったということ、そのすごさが今更ながら非常に貴重に思えてきます。

※1 いろいろな人が引用していますが、『民俗学の旅』の最後の章の文章「私は長いあいだ歩き続けてきた。そして多くの人にあい、多くのものを見てきた。それがまだ続いているのであるが、その長い道程の中で考えつづけた一つは、いったい進歩というのはなんであろうか。発展というのは何であろうかということであった。すべてが進歩しているのであろうか。停滞し、退歩し、同時に失われるものがすべて不要であり、時代おくれのものであったのだろうか。進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、時にはそれが人間だけではなく生きとし生けるものを絶滅にさえ向かわしめつつあるのではないかと思うことがある。~後略~」(講談社学術文庫 1993年 234ページ)などを参照。

こちらの記事もご参照ください。

ブームの宮本常一?(『宮本常一 旅する民俗学者』を手にして) 2006年3月30日 作成http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00030.htm

http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-cc80.html (表紙の画像付)

俗な言い方ですが、私にとっての20歳代(1990年代)って、やっぱりいろいろな意味でも‘青春’であったといえますね。

実は、この文章は、2000年になってから早い時期に書き留めておきたかったのですが、結局10年近くかかってしまいました。(既に、2009年も11月22日)

あと、この漫画は、主人公が主人公の周りの普通の人たちが主人公であるという群像劇と申しましょうか、小説とかでは今までもあったかもしれませんが、漫画では非常に不思議というか、「何もしない(できない)」ヒーロー?というかたちをとっています。

というか、ゆーじは、変だけど、‘普通’の人代表というか、無垢?な子供大人というか「今までオレってやりたいことをやらなかったことってないんです。」という自由人、劇中では周りの人から、さまざまに評価されていますが、ある登場人物は、「あいつって、それほど‘いいひと’でもなかった」とか、またある人は「(偉大なる)無」とか、よくも悪くも言われているのですが、そうです、今はやりの言葉でいえば、ファシリテーターというか、彼の言動によって、彼に関わった人たちがそれぞれ自分の(熱い)想いとか考えに気づくというか気づきの‘きっかけ’、自分(たち)を見つめなおし、新たにスタートなりをきるための触媒としての狂言回しを担っていることに気づかされます。

最後の書き下しのプロジェクトでは、彼は何もやっていないというか、周りのみんなをその気にさせて、「決して個人ではたどり着けない(世界)」へと周りの登場人物をも、そして読者をも導きます。

最後のオチは言わないのがお約束ですが、彼のいた世界、彼がいる世界って、やはり一人ひとりが、やっぱり少しは生きやすい世界であるだろうという期待と期待を抱かせてくれます。

誰もが「いいひと。」になれる可能性を秘めた世界。決して大上段に世界平和や愛を語るのではなく、たとえどんなに世界が‘変わった’としても、‘変われない’自分(たち)をいつくしみ、‘忘れる’ことや‘忘れない’ことを恐れずに「想い出」を大切にしていく。

それぞれの人々、個人個人がもつ‘幸せ’な「想い出」を糧に、苦労や悲しみを「未来」へとつなげていく。そして、人の想いは、たとえ片想いであったとしても十分に価値のあるもので、‘小さな’幸せを紡いでゆく。

彼は「変わらない」ことによって、彼の周りの人を「変えていく」。そんな不思議な漫画です。

たかが漫画と侮ることなかれ、私はいろいろ行き詰ったり悩んだときに、それなりに前に進むための‘ちょっとばかり’の「勇気」をその都度、ゆーじ君から与えてもらったような気がします。

高橋しんさんのこの後の作品の「最終兵器彼女」も名作といわれていますが私はその頃は漫画を卒業というか全然読んでいないし、私にとっては「いいひと。」がベストというか、私の20歳代の生活というか‘青春の全て’であったような気もします。

この連載が終わってからは、スピリッツも全く読まなくなりましたね。他にもおもしろい連載があって、たとえば、玖保キリコさんの『バケツでごはん』とか、中川いさみさんの『大人袋』とか、本当におもしろくて今でもたまに読み返していますが、それらの作品が(いいひと。を含めて)終わってしまったのが、多分、同じ頃ではなかったのか、つまり1990年代の終わり頃(※)はなかったのかと思います。

※『バケツでごはん』 1993年5月3日号から1996年8月19日号まで「ビッグコミック・スピリッツ」で連載。『大人袋』 1995年4月24日号から1999年頃(手元にある単行本の第4巻の収録が、1998年9月14日号までの収録、確か第5巻で完了したはずです。) 

ともあれ、ちょっとマイケル・ジャクソンやオバマ大統領の「チェンジ」という言葉に対して、いや実はそれだけでいいのかというのが頭の片隅にあって、こんな昔話?を書いてみました^^?

あと、蛇足ですが、「変わること」と「変わらないこと」について、5年ほど前にも書いています。まあ、私の考えも基本的に‘変わっていない’です。当時と較べても^^?

5年目の“歩く仲間”と1年後のフィリピン(人として・・・ “変わってくこと”“変わらずにいること”) 2005年3月23日

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n00025.htm

ではでは^^?

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