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2009年11月14日 (土)

マイケル・ジャクソン 『THIS IS IT』 2009年10月28日全世界同時公開

ちょっと気になっていた上記の映画を昨夜、会社帰りに観てきました^^?

09111408_11 岡崎ウイングタウンで観覧。

2009年10月28日全世界同時公開。2週間限定。

ということになっていますが延長しているところも多いようです。

お薦め度: ★★★☆☆

泣ける度: ★★★★☆

映画としての完成度: ★★★☆☆

メーカーのオフィシャルHPはこちらへどうぞ!

http://www.sonypictures.jp/movies/michaeljacksonthisisit/

さて、マイケル・ジャクソン論については、それなりに関心があったので、本当は、フィンガー・ファイブ(以下、F5)、もといジャクソン・ファイブ(J5)のことから書き起こす予定でしたが、やはり映画のインパクトが強すぎてこちらの記事を先に書くことにしました。

結論からいうと、もう凄すぎるというしかないのですが、これはあくまで、彼の楽曲を少しでも知っている人のみに限定させていただきます。だから先にあげた私の映画の評価はかなり辛めになっています。わかる人しかわからないという意味で。

実は私の中でのマイケル・ジャクソン(MJ)は、1982年に発表されたモンスターアルバムの『スリラー』で終わっていました。(※参照)

丁度、私が中学生1年生のとき、ボーイスカウトなんぞ?をやっていたので当時大学生の先輩(ローバースカウト)のお兄さんの車にたまたま何かの行事に参加の移動で乗せてもらった時に、ガンガンにカーステレオでかかっていたのがアルバムの『スリラー』のカセットで、もうこのときの強烈な印象しかない。確かにMTVが日本でもはやりだしたころで、深夜にやっていたことは知っていましたが、そんな深夜テレビをみる習慣もなく、当時はLPも高価で、しかもうちにはそもそもステレオがなかったので、はやりの映画や音楽シーンから縁遠かったのですが、このアルバムの凄さはめちゃくちゃ覚えています。やはり「スリラー」の‘お化け踊り’や「ビリージーン」の‘ムーンウォーク’は、どんな田舎の中学生や高校生でマネをしなかった男子学生はいなかった(私はやらなかった)というほど、当時の風景として溶け込んでいたというか、学祭でも必ずどこかのグループがマネやもどきをやっていました^^?

※ マイケル・ジャクソン 『スリラー』 25周年 2008年2月21日http://arukunakama.cocolog-nifty.com/life_i_love_you/2008/02/25_6dda.html

さて、この映画をみて、自分の視野の狭さというかそれ以降の動きを全く追っていなかった自分の怠慢というか寡聞をちょっと恥じ入るばかり。実は、アルバム『バッド』の発売は高校3年生のときだったのですが、あまり当時は関心がありませんでした。特に、『バッド』のビデオクリップは、ちょうど私の4歳年下の弟の世代(当時、中学生)には非常に受けたみたいでしたけど、自分はこのビデオクリップにもそれほど関心しなかったし、アルバム自体を聞くこともありませんでした。

そうそう、1985年のUSA for アフリカの『We Are The World』のセッションを忘れてはいけませんよね。ちょうど私が高校1年生の確か秋か冬のころのこと。私も、12インチシングル(LP)を親にねだって買ってもらった口です。この『We Are The World』について語ると長くなるのですが、自分の身の回りで、この曲によって人生を変えた人が少なくとも1名はいます。

話を戻すと、1980年代後半からのマイケルの活動は、本当にノーマークだったのですが、例の6月の急死事件以後のリバイバル(便乗商法?)で、私も改めて『スリラー』、『ONES』、『ムーンウォーカー』などを聴いたりビデオを見直したりしたのですが、この映画をみて、実は1990年以降、いや『バッド』の頃から、J5の無邪気なマイケル坊やや、20歳代前半で大きな成功を治めたイケイケゴーゴーの‘アイドル’マイケルから一皮ふた皮剥けてより深い境地というか高みへの助走が始まっていたことに、いまさら、今頃になって気がついたのでした。

今までは、マイケルのビートの効いた「踊り」と、もうこれはJ5時代からの天性‘歌’のうまさに眼をくらまされていたというか、少なくとも私は、実はソロ以降のマイケルの曲は唄の歌詞を考えたり読むものではなく、ただなんとなくビートで心地よく聞く(聞き流す)もの、ダンスシーンで無駄にむやみに消費される‘街’の音楽というかさざめきとでもいうような街のビートのひとつでしかなかったと思います。

しかし、改めて、ヒット曲の歌詞の内容をつぶさにみてみると、耳や体に心地よい‘ビート’としてのみ聞き逃してよかったものなのか、もっと真摯に‘唄’の心に想いを寄せる必要があったのではないのか。

いや、今からそれを始めようと思います。実は、マイケルの‘別’の読み方、聴き方を示唆していただいたのが、大学の恩師の先生でした。たまたま大阪に行ってお会いした折に、非常に、マイケルの話で盛り上がってしまって・・・。まあ、その方向での私の読みというか‘聴き込み’は、まだこれからなので、一旦、この映画について、まとめます。

世界中から‘カリスマ’であるマイケルとの競演することを夢見てオーディションに参上した何十カ国からの若者達や、競演のミュージシャン達。この映画は、作為があるというかリハーサル映像を、淡々とつなぎ合わせただけのものですが、いかにマイケルが‘人’を愛したのか、また人から愛されたのか、天才といってもよいと思いますが、当代稀有の天才ミュージシャンのマイケル、超一流の仕事の流儀というか、一流のプロの仕事がいかようなものなのか、またその一流のものどおしの競演=コラボレーションが如何に凄いものを生み出すのか、生み出しうるのかということを、われわれは追体験することができます。

バックミュージシャンやダンサー達が如何にマイケルを尊敬して慕っていたのかは置いておいても(当然、わかることですが)、逆にマイケルが如何に謙虚にスタッフみんなを盛り立て盛り上げ、彼‘のみ’に見えていた‘ビジョン’にみんなを導こうとしていたのか、天才の、いや凄い人の本当の‘凄さ’を魅(見)せつけられた気がしました。

とにかく、凄い人ほど、謙虚で頭が垂れているということを見ただけでも、私には非常に大きな収穫でした。凄い人で、‘威張ったり’人を脅かしたり、ハッタリをいう人はいない(はずだ)ということを感じただけでも眼が肥えたという感じです。つまり如何にも偉そうにする人ほど‘小者’で‘偽者’であるかということですね。他山の石というか、これから人生を生きてゆく上で、非常なヒントになりました。

さて、この映画だけだと実は、マイケル理解に不足がありました。先に話した恩師より教えてもらった『ライブ・イン・ブカレスト』をこの映画をみた後で買って、今日見てみて、非常にストンとマイケルの凄さとこの映画の凄さがわかりました。

今思うと、アルバム『スリラー』の佳曲「ヒューマン・ネイチャー」は今でも好きだけど、「ブラック・オア・ホワイト」、「アース・ソング」、そして何より「マン・イン・ザ・ミラー」のメッセージが非常に気になるというか心に刻まれました。

「マン・イン・ザ・ミラー」自体は、アルバム『バッド』に収録されているので1987年の作品なのですが、やはりこれがその後のマイケルの大きなターニングポイントになったのではないか、新しいNEWマイケルの萌芽が既に1987年の段階であったのかということを感じさせます。

識者が、「オバマが今(大統領で)いるのは、マイケル・ジャクソンがいたからだ。彼(黒人大統領)の出現を50年早めた」というような主旨のことを発言したとメディアが報じていましたが、この「マン・イン・ザ・ミラー」を聴いて、その歌詞を読んで、それかもしれないと素直に思いました。オバマ大統領の好きな「チェンジ」も「イエス・ウィ・キャン」もマイケルやそれ以前の黒人歌手や運動家が何度となく歌って語ってきたことなのではないか。

特に、この「マン・イン・ザ・ミラー」=すなわち‘自分’が、まず変わる(チェンジする)こと、世界を変えるには「マン・イン・ザ・ミラー」から変えるしかないというメッセージは、今でもというか20年後の今でこそその普遍的な価値をもって語り継がれる、いや歌いつなぐべきことなのでしょう。

私の2009年のベストな‘泣ける唄’は、今、この場で「マン・イン・ザ・ミラー」であることを宣言?してこの項を終えたいと思います。

正直、映画の最後の数曲の部分、特に「アース・ソング」から「マン・イン・ザ・ミラー」にわたってのくだりの部分は、こみ上げてくる涙を止められませんでした。遺作となった「THIS IS IT」を背景にクレジットが流れるのですが、映画では実質、「マン・イン・ザ・ミラー」が最後の(歌われなかった最後のリクエストを除くと)曲となっています。(ネタばれになってごめんなさい)

もう既に、サウンドトラックが発売されていますので、これもついでに紹介しておきましょう。

09111500 マイケル・ジャクソン 「THIS IS IT (THE MUSIC THAT INSPIRED THE MOVIE MICHAEL JACKSON'S THIS IS IT)デラックス・エディション」

EICP 1301~2 初回生産限定盤 CD2枚組 EPIC/SONY 2009年10月28日

やはり買うなら2枚組みのデラックスエディションをお薦めします^^?

曲名は左を参照。

お薦め度: ★★★★☆、 泣ける度: ★★★★☆、 アルバムとしての完成度: ★★★★☆

P.S.

全く必要ないであろう蛇足ですが^^?

この映画をみていて、最後のほうで、ふと心に想ったこと、「実は、この「ジス・イズ・イット」は既に九割方いや九割九分(リハーサルとして)完成していた。つまり、マイケルはこれほど執拗にリハーサル風景を画像に残していたということは、これ(「ジス・イズ・イット」)を完全に100パーセント(以上)の‘もの’にするために(自ら)死んだのではないか。つまり、「ジス・イズ・イット」のリハーサルが‘映画’として‘復活’するために、あえて自分を殺さなければならなかったのではないか。つまり、マイケルの怪死は、必然というより計算されたものではなかったのか。」ということを感じました。

以前、キリストの「パッション」について言及していますが、この「ジス・イズ・イット」プロジェクト自体が、もしかしたら最初からマイケルの「パッション=殉教」であったのではないか。家付の医師は、あえてというかマイケルから頼まれて「ユダ」の役割を買って出たのではないか?と私は思うというか、ここに書いてきてみてほぼ‘99パーセント’確信しました。

「パッション」=キリストの最後の24時間は、世界史上でもトップクラスのミステリーで神学者から平教徒、さらには異教徒まで巻きこんで、いろいろな解釈や推測がなされていますが、実は昔からある有力な説のひとつとして、「キリストは聖書の預言を全て実現するために、ユダに裏切るように仕向けた」という話があります。

つまり、それまでになされていた「キリスト」の預言が成就するためには、どうしてもキリストは死ななければならなかった。そのためにユダは、その預言を成就させるためにあえて裏切り者の烙印というか重荷を背負わなければならなくなった。実はキリストよりユダのほうが‘偉い?’というような評価も一部ではあるようです。

まあ、私も人から聞いた話なのですが、その「ユダとキリスト」像があるとしたら、マイケルの急死というか怪死は、マイケル「レジェンド」を完成させるためにはどうしても必要なプロセスであったような気がします。

あと、映画で、マイケルが「あと4年で(地球を)救わなければならない」という最後のミーティングでスタッフ全員の前でスピーチする場面が、‘異様’にというか‘異常’に非常に心に残りました。つまり、なぜ「4年」なのかと。

この地球環境問題、まったく出口も終わりも見えていないのに、なぜに「4年」なのですか。マイケルさん。これは、まさか今、巷で話題になっている「2012年12月21日」のことなのですか。これだと、マイケルジャクソンが死んだときから数えても、3年6ヶ月しかないのですかって、ということは、マイケルのいうように4年間で世界を変えないと、本当に「2012年」か2013年に「世界は滅亡」するのですか。

なにかトンデモないことに‘気がついて’しまったようで、自分としても終始がつかないのですが、私としては愚直にマイケルが遺した「マン・イン・ザ・ミラー」から(世界を)変えていくしかないのでしょう。

「We can change, Yes, we can. 」と語る、どこぞの国の大統領と同じように、心に夢と希望と、そして(小さな)勇気をもって^^?

ではでは^^?

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