あり続けること・・・"SEIKO Ballad"で禊ぎをしてきました^^? 松田聖子病(その6)
いよいよ2012年も残り1時間となってまいりました。
そろそろ神社に後厄払いの受付に行かなくては。
でも、年内に、このブログをまずは完成させます^^?
で、前回のここに戻ります。ダブりますが。
「この連載の当初に思いついたタイトルがこちらです。
「あり続けること・・・松田聖子さん”Seiko Ballad”で禊ぎをしてきました^^?」
なぜ、いきなり‘禊ぎ’なのか自分でも意識せずに思いついたのですが、そもそも、‘禊ぎ’という言葉自体が適切なものかどうか大いに疑問で、意味あいからしたら‘厄払い’といったほうがいいのかなとも思いますが、それもまた大げさな話で^^?
なぜ、‘禊ぎ’という言葉を私が無意識に思い浮かべてしまったのか、後からこじつけまくりの無理を承知で言わせていただければ・・・。
Wikipediaより以下、引用。
「禊(みそぎ)とは、神道用語で2つの意味がある。
- 神道で自分自身の身に穢れのある時や重大な神事などに従う前、又は最中に、自分自身の身を氷水、滝、川や海で洗い清めること。類似した水垢離(みずごり)と呼ばれるものがある。
用例は万葉集より「君により言の繁きを 故郷の明日香の河に禊しにゆく」 (巻4-626) - 禊祓(みそぎはらえ)の略。俳句や短歌などでは、夏の季語に用いられる。」
上記で引用終わり。
まあ上記2の意味は関係ないにして、1の「自分自身の身を○○で洗い清めること。」この○○に入る‘モノ’が問題です。
本当にこじつけなのですが、この○○に、「松田聖子さんのパフォーマンス」と入れたい。まあ「天使の声」とか言ってもいいのですが、いきなりそこにいくには飛躍がありすぎますので、刻ませていただきます^^?」
前回の記事の最後に触れた、この言葉、またダブって引用しますが、これが禊ぎの全てなんです。
「昔はすごかった 今のほうがすごい
本当にすごいところは、いつもすごかったということ」
ここなんです。
30年前の曲を同じキーでCDよりうまくうたうことなんて、まったく30年間聖子さんから離れてみていた私にはとても信じられない。まあ、それはそれとして、今回、生で本人にお会いして強く感じたというか魅入ってしまったことは、二つあります。
ユーチューブやニコニコ動画でのコメント、多くの聖子さんの方々のブログなどインターネットではさまざまな聖子論があり、とはいえ、実は彼女のファンからの評価はかなり一定のものがあります。
私が魅入ってしまったことの一つがこれです。私自身、正直、とても気になっていたのです。ホンマかいなと。
「(超)礼儀正しい」、「頭の低い人」、「スタッフやファンを大切にする」。確かに今のテレビとか動画をみるとそれは'見て’わかるんですよ。でも実際に感じるまでは、信じ切れなかった。実際に目前にして、確信に変わりました。これは「本物(のお姫様)」であると。
そして、もう一点。
「今のほうがすごい」というファンの人って、実はたくさんいらっしゃるんです。特にずっと見守ってきた女性ファンのブログとか書き込みを読ませていただくと、やたらその言葉が目に付いたんですよね。
でも、私が聖子さんのことを再検証する前の、自分のイメージって、ざっとこんな程度のものだったんです。最初に懺悔しつつ?そのイメージを元に彼女の現在のイメージを再現してみます。
あくまで私のイメージですが、私に限って言えば、1980年代の初期アイドル時代から全く時計が動いていないというか、スキャンダルやダーティーなイメージの90年代や、日本のマスコミが冷ややかにほとんど無視していたアメリカ挑戦時代、離婚騒動やビビビ婚や「ゴシップの女王」などという、マスコミのネガティブキャンペーンは、これまた一般市民?である私にも染み渡っているわけで、最近のライブの動画を見ても、40過ぎのオバサンが中学生や高校生みたいなキャピキャピな服をきて踊っていやがらあという見方も、しようと思えばできるわけです。
私の場合、さいわい、しおれたきゅうりさんやメガネおやじさんのガイド(愛のこもったコメント)があったので、そんな意地悪な見方はついぞできませんでしたが、なんの予備知識もなくいきなり画像だけ(それこそアイドル時代の記憶しかないのに)30年後に見せつけられたら、もうどん引きで、なんだこりゃ、まだ30年も前の曲を懲りもせずに歌い続けているのか、と鼻先でせせらわらっていたことでしょう。(←たらればの話しとしても、ごめんなさい。みなさん)
しかし、これがキモ。
「昔はすごかった 今のほうがすごい
本当にすごいところは、いつもすごかったということ」
つまり、聖子さんの30年前と今が点として全く別の‘モノ’として存在しているのではなくて、それが時間軸という線によって一本貫かれている。このニコニコ動画やユーチューブにアーカイブされている30年前のパフォーマンスと、今の眼前の奇跡のパフォーマンスは同じ松田聖子さんの体を通して発現されている。我々が見ることのできないその間の昔(32年前)から今に至る「いつもいつもがすごかった」(に違いない)ということを、否応なく感じさせられてしまったのです。
だって、50歳のオバサン(失礼)が、ダンス(社交ダンス的なものから本格的なクラシックダンスみたいなものまで)もすれば、空も飛んじゃうし、彼女自身が常に一瞬一瞬(※)が素晴らしいものであるように、それこそ日々精進を積み重ねてきたことが、今、現在の彼女のパフォーマンスの奇跡につながっているということを肌で感じざるを得ない。(※松本隆さんが、聖子さんは、「瞬間の人」」と話しているそうです。)
もう、ここに、この事実(30年前も現在も同等以上のパフォーマンスを発揮している)を体現していること自体に完全に感服というわけです。
私は正直、1980年代の松田聖子さんは素晴らしかった、それをニコ動や熱心なファンの方々のブログなどで‘再’発見できてよかったよかったと心底、思っていたのです。このコンサートに参戦するまでは。
ファンにならずとも私みたいなライト?なミュージックファン(J-POPSやオーディオファン)としては、黄金の1980年代の彼女のパフォーマンスを知らない(知らなかった)ということは、めちゃくちゃ愚かでもったいないことだというのは、彼女のCDなどを聴けば、すぐにわかるはずなのです。
ところが現実は想像をはるかに超えていました。彼女は、常にいつもいつも(誰がみていようがいまいが)こんなハイ・パフォーマンス(歌だけではない)を発揮し続けていたのだという事実。
いや彼女の32年間の全ての24時間をみることは絶対に不可能なのですが、きっといつもいつも日々鍛錬を続けていたと考えなければ、彼女の‘今’はとても説明できない。
彼女は過去も未来も否定も肯定もしていない。ただ、その時その時でやるべきことをやり続けている。過去の栄光を振り返ることもなく、ただただひたすらに‘今’できる最高のパフォーマンスを追及し続けている、そんなことをビシバシとステージ上の彼女の姿から感じました。
もう、はんぱないオーラですよ。ステージでも何度も後光が射していました。天使になって空を飛んじゃうし、(いやいやこれはメガネおやじさんに語っていただかなくては^^?)
話を元に戻すと、なぜ松田聖子さんのパフォーマンスが‘禊ぎ’につながるのか。
本当にここまで書いてきてひらめいたのですが、いや、聖子さんの生き方自体、生き様そのもの自体が、冷たく厳しい‘清水’そのものなんですよ。全然、甘くありません。ぬるま湯では決してありません。
例えば、ニコ動のコメントで、聖子さんを「求道者」に例えていたり、しおれたきゅうりさんが、ご自身のブログで、「松田聖子という精神」という言葉で表現されていますが、全く激しく同意です。
彼女は‘清水’そのものなんです。私にとっては。
自分を見つめなおすための‘鏡’という(無難な)言い方もありかもしれませんが、そんな‘鏡’というようにおぼろげに(自分の)シャドー(影)が写るといった生易しいものではなく、もっと直に、肌にヒリヒリと感じる、いや傷口に塩を塗りこむような厳しい‘モノ’なのです。
冒頭のwikipediaのリンクに、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8A に滝に打たれて修行しているおっさん?の画像がついていますが、聖子さんの歌やパフォーマンスはこの滝の'清水’そのもの。
聖子さんのパフォーマンス(歌や踊り、芸?)は、観客というかファンを魅了して喜ばすものでありながらも、相手の人間性というか相手自体のあり方を考えされる、それは頭ではなく体で考えされるものであるのではないか。なにか、つらつら書いてきて、そんな言葉が浮かんできました。
別に聖子さんの‘清水’は、何も語りかけません。ひたすら滝を流れ落ちるだけ。私は、今回「冷たく厳しい」と書きましたが、本当は無色透明で味も色も温度もなんの刺激もないものなのかもしれません。
しかし、聖子さんの滝の‘清水’に身を浸すと‘魂’を否応なく丸裸にさせられる。そんなことを思いました。
たぶん「冷たく厳しい」と感じているのは‘今’の私の魂なのでしょう。
そうなんです、見て喜ばせるだけではなく、それをみた人が何を感じるのか、そこに彼女とファンとの間での双方向間のやり取りがあるのではないか、そこが松田聖子として32年間、‘あり続けて’いる価値というか貴重さというか、そんなことを体感させられたコンサートへの初参戦でした。
とりあえず、この項は、ここで終えます。
ただ、松田聖子論はいろいろおもしろそうなので、今後も取り上げていきたいと思います。
おまけ:
聖子さん、あなたは「Precious Heart」そのものなのですね。(シングル発売の)1989年11月15日の約束をずっとず~と一人で守るべく闘い続けてきたのですね。
「心の奥で燃えているのは
世界中にメロディー
届けることなの」
これは‘真実’だったのですね。
聖子さんの「大きな夢」 私は決して「笑いません」、笑えるものですか。だって、その夢をひたすら追いかけているあなたが、この世に現実の存在として‘生きている’のですから。
「世界中に この「しあわせ」届けたい・・・」
23年後の参戦をお許しください。こりゃあもう聖子姫を応援せずにはいられません。本気で32年間、その道を一人でもずっと歩き続けているのですから。
「(松田聖子で)あり続けること」
いつもいつも全力投球の最高のパフォーマンスをありがとうございます。本当に感動しました。
おっともう1月1日の午前2時です。とはいえ、実は、年末の氏神様でのお祓いも初詣も済ましてきて、この項を完成させました。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
ではでは^^?
(この項 了)
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コメント
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感動いたしました!
聖子ちゃんの本質をよくぞつかんでくださいました。
そう、そうなんですよ。聖子ちゃんは、人間性からしてすばらしいんですよね。
きちんと自分で自分を律しているんです。
「自分が周りからちやほやされるのが当たり前だと思い込んでしまったら、女性としてお終いだわ」と自伝の中でも語っています。
人間らしい女性としてあり続けることを常に心がけているんですよね。 だからこそ謙虚で、言葉遣いが丁寧で、微笑みを絶やさないんですよね。
どんなにスターとして上り詰めていても、少しもおごり高ぶっているところが無いんです。
いくら斬新的な世の中を作ってもおごり高ぶった平家は滅びてしまいましたからね。
そういう素晴らしい人格の人が、世界No.1と言える位のルックス、パフォーマンスすべて抜群のアイドル歌手なのですから、日本の世界に誇るべき宝だと思います。
私も出戻り組ですが、よくぞ姫の素晴らしさに気がついていただきました。
本当にありがとうございました。
投稿: 通りすがり | 2013年1月 1日 (火) 13:09
通りすがりさま
初めまして。しばやんです。
熱い書き込みありがとうございました。
>聖子ちゃんは、人間性からしてすばらしいんですよね。
確かに歌がうまいとかはプロの芸人?として当たり前のことなのですが、聖子さんには、それプラスアルファというかベースに礼儀正しいことに象徴される「人間性」という基本的なところがしっかりしているんですよね。
私、記事でも書きましたが、姫を目前にするまでは半分そういう評価を疑っていたんです。フリじゃないかとか、ファンの贔屓目とか。
ごめんなさい。
そのとおりの人でした。
>「自分が周りからちやほやされるのが当たり前だと思い込んでしまったら、女性としてお終いだわ」と自伝の中でも語っています。
しおきゅうさんとかメガネおやじさんのブログに最近入り浸って?いるのですが、初期のファンの方々から、20前後の頃から姫はそのような覚悟をしていたという話を最近、ちょくちょく耳にするんですよね。
筋金入りというか、この30年間、ぼーと生きてきてしまった私には感嘆の嵐です。
まいりました。という感じです。
これからもよろしくお願いいたします。
ではでは^^?
投稿: しばやんです^^? | 2013年1月 2日 (水) 10:14
こんばんは。
メガネおやじさんやしおきゅうさんのプログでお会いしていますね。しばやんさんのプログにお邪魔させていただきました。
実は私も趣味人倶楽部というオヤジと淑女向けの小さなSNSで聖子のコミュニティを主宰していまして、そこで色々な文章を書き散らしています。会員にならないとそれら読めないのですが、特に会費等はないので、よろしければ見てみてください。もちろん、年末のバラードコンサートのレポートもアップしてあります。
私はもちろん聖子が大好きで、それ以外にも色々な音楽が好きなんですが、一方で、しばやんさんが音楽以外で書いておられる内容にも興味惹かれます。量がかなり膨大なので、まだ本当に少ししか目をとおせていませんが。私は聖子より1才半年上、学生時代は聖子の全盛期で彼女の音楽きいたり、コンサート行ったりしながら、一方で、鶴見良行氏とかダグラス・ラミス氏とも個人的な交流を持つこととができて、そういったこともあり、社会人になってからはベトナムと仕事の上でも、個人生活の中でもとても深い関係持って今日に至っています。そしてベトナムと関係を持ってしまった以上、戦争と平和、そして今や原発の問題も避けて通れません。
聖子病患者として仲間になられたしばやんさんと知り合えたのも何かの縁でしょう。今後も何かの折に色々とお話ができれば、と思っております。
投稿: ボッサクバーナ | 2013年1月 2日 (水) 22:17
ボッサクバーナさん、初めまして^^?
そしてわざわざ出向いていただきありがとうございました。先日、趣味人倶楽部には入会させていただいたのですが挨拶が遅れて申し訳ありませんでした。(実はコンサートの記事拝見していません。私も自分の記事を書かないと記憶が混じってしまいそうで。後でゆっくり拝見させていただきますね^^?
>一方で、鶴見良行氏とかダグラス・ラミス氏とも個人的な交流を持つこととができて、そういったこともあり、社会人になってからはベトナムと仕事の上でも、個人生活の中でもとても深い関係持って今日に至っています。そしてベトナムと関係を持ってしまった以上、戦争と平和、そして今や原発の問題も避けて通れません。
非常に関心があります。それらのテーマは、「歩く仲間~歩きながら考える‘世界’と'開発’」というHPとブログでかなり書き込んでいます。
最近、どうもこのブログとか聖子ちゃんブログを新設したり軟派に走っていますが^^?
そうですね、なにかじっくりと話す機会があるといいですね。
よろしければ、こちらも覗いてやってください。
■鶴見良行さんは敬愛する歩く先達です。
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/gsteps.htm
■歩く仲間’ 歩きながら考える・・・‘世界’と‘開発’
コンテンツ (HP版です)
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/contents.htm
■歩く仲間プロジェクトの全体の入り口です。(実はリンク漏れも多し)
http://homepage1.nifty.com/arukunakama/index.htm
これからもよろしくお願いいたします。
そうだ、聖子ちゃんネタはこちらにお願いいたします。
■聖子巡礼・・・時代を超える永遠のアイドル
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/seikojunrei/
ではでは^^?
投稿: しばやん | 2013年1月 4日 (金) 23:04