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2013年8月17日 (土)

宮崎駿監督の「風たちぬ」をみてきました!

初出: 2013年8月16日 フェイスブック クロスロード・オブ・ハッピネス 書き込み
<宮崎駿監督の「風たちぬ」をみてきました!>
※ネタばれになりますのでできれば、見ていない人はこれを読まずに、まっさらな気持ちで映画に向き合うことをおススメします!
<<以下は、映画を見た人のみお楽しみください!>>
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今日、時間をみて、いま話題のあの映画を見に行ってきました。いろいろ立ち寄り立ち寄りだったので、ちょっと開演時間に遅れるかなと思ったのですが、他の映画の予告編の間に席に着くことができて、本当にラッキーでした^^?
さて、まず一言でいうと、「普通の映画じゃん!」というのが私の率直な感想。
巷でいろいろ言われていますが、もう変な先入観や期待?をせずに、もう淡々とみてやってください。
私のポイントは3点のみ。
主人公の零戦の設計者堀越二郎は、幼少からの憧れのイタリアの航空機設計者ジャンニ・カプローニさんと夢の中で何度も対話をするのですが、物語の中ほど、カプローニさんが現役を引退するときに、「創造的ないい仕事ができるのは10年のみ、君はこの10年をどうするつもりだ」というようなニュアンス(一度みただけなので正確じゃないかも)のことを言います。映画の最後に、そのときから10年後、再度、夢の中でカプローニさんが、二郎に10年間を総括させます。
ネタばれになるので詳しくかけないのですが、私は、この「10年」という言葉にピクリと反応しました。二郎は地方出身ではありますが地方の名士の豪族の坊ちゃん出で、東京の大学(しかも帝国大学)の航空学科の卒業の英才ではあるので、もう就職してからも最初から頭角をあらわして、まあ秀才そのものの人生、いや正しく彼の能力を世界(国)のために役立てたのですが、彼としては彼なりの夢があり、彼なりに精一杯時代を生き、たぶん?やるべきことをやって10年を過ごした。
翻ってみるに、私は全然二郎と比べようも無いほど鈍感で何の制限もなく学ぶ機会がいくらでもあったのに、学校を出てから21年を過ごしてしまった。
まあ、それは仕方がないにせよ、あと10年で、私は何ができるのだろうか。世間や人の評価はともかく自分として納得のいく「こと」を成し遂げられるであろうか。
そんなことを思いました。
ということで勝負は10年(しか)ないことに気づかせてくれたことにまず感謝。
2点目は、そうですね。これまたネタばれになるのですが、「飛行機はのろわれた夢なのだ」というニュアンスなことをカプローニさんが二郎にとくところ。これって科学や技術そのもののことなんですよね。
私は、1991年の大学生のときに、「知は力なり、ただし開かれたものだなくてはならない」ということに気がつき、それを座右の銘としてきました。‘知’とは技術でも情報でもなんでもいい、一部の人がそれを独占するときに人類の悲劇が引き起こされてきました。ローマ時代に「衆愚政治」などという言葉がありましたが、私はそれでも、知は一部のエリートの特権階級だけのものではない。そして科学技術も情報も、それ自体には善悪もないということを繰り返し話して書いてきました。
つまり、薬は毒でもあり、同じ技術も情報も結局は使い方なのです。それを一部の人に任せていてはダメだ、(エリートにしてみれば)おろかな人たちばかりかもしれないけど、おろかな人たちの衆智のほうが結果として私は正しいと思っています。
今回の原発の問題も結局、問題はそこにあるわけで、エリートは知を独占して隠して自分たちだけでなんとかしようとしなくてもよいわけです。
三人寄れば文殊の知恵ではないですが、頭がいいと思っているエリートさんが思いもよらない方法で問題を解決することができるかもしれないでしょ^^?
とにかく力を広く開放することが大切だと思います。無理に押し込めておくとあるのは爆発だけでしょう!拡散して力が集まらないようにしなければならない。それがエントロピーの法則、熱力学の第2法則そのものです。って、適当に煙を巻いてもいけないのですが、科学が明らかにしてくれることって、結局、普通の当たり前の考え方や感じ方が正しいということを裏づけしてくれるものかもしれませんね。
まあ、パラダイムが変わってしまったら話は別でしょうが、同時代に生きている人たち、われわれがなんとなく不安に思っていること、間違っていると漠然と思うことを、いろいろ研究してみると、やっぱり間違っていたということになるんじゃないかなあ。
あと3つ目ですが、技術者の根性というか夢を持ってしまった人間の、その人としての課題を探求し知りたい、極めたいという衝動は、善悪とかの判断を超えて否定はできないなということです。
原子力の危険性や遺伝子組み換えやクローンの問題、倫理?的にはおかしくてもまずくても、それを追求し知りたいと思った人の欲望は歯止めがきかないし、はたがいくらブレーキをかけようと思っても、それこそ命を懸けてやろうとしている人を止めることは並大抵なことではできない。実際に、本意と不本意とに関わり無く、自分の信念に命をかけて殉教した人や人柱にされてきた人がいかに多かったことか。
もう我々はそんな人たちの屍の上に胡坐をかいて日常を送っているわけですよ。
私としては、そんなことをこの映画をみながら感じました。
何が本当に正しいのか、誰にもわかりません。この映画をみて感じることも千差万別でしょう。
ただできうることなら、こんな人のコメントなど読まずに、まっさらな状態で向き合ってほしい。
私はそう思います。
ではでは^^?

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